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少年食物誌

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 瀬戸内海に面した小さな港から内陸にむかって、一本の川がのびていた。港から入江に入りこみ、山陽本線の鉄橋をくぐると、その川の両側は石垣のスロープになり、スロープの上には漁村とも農村ともつかない不思議なたたずまいで、瀬戸内のひなびた田舎町のエキゾチックな家なみがある。

 その川の幅は、山陽本線の鉄橋をくぐったあたりで、30メートルくらいだったろうか。内陸へ入りこむにしたがって、川幅はすこしずつせまくなっていた。ローカルピープルたちは、その川のことを、入り川、と呼んでいた。

 海の満ち引きに応じて、その川の水位も上下した。引き潮のときには、川底を数センチの水深で水が流れていき、潮が満ちはじめると水流は逆になり、石垣のスロープのてっぺんから20センチくらいのところまで、海の水があがってくるのだった。

 曇った日の朝、10時ごろ、この川の川っぷちにすわり、満ちていく潮をながめていると、川の上流から、手こぎの小さな漁船がくだってくる。川上に村があり、その村に住む漁師の船だ。

 船主は、川っぷちにすわっているぼくの前まで船をあやつってきてとめ、

「お乗りんさい。魚をとるところを見せてあげよう」
と、言ってくれる。

 石垣から、ぼくは船に乗り移る。

 川口をめざしてくだっていき、港の沖へ出ていく。港を中心にして東西にのびている小さな町がオモチャのように見える距離までくると、漁師は船をとめる。

 海中にしかけてある魚とりの網を、彼は、船にひっぱりあげはじめる。垂れ幕のように海中に張り渡し、浮きで支えてあるその網をあげるには、微妙なコツと、こまかな心配りが必要であるように感じられた。

 時間をかけて、ていねいに、漁師は網をあげていく。

 魚が、網にかかっている。名前は忘れてしまったけれど、網にかかって飛びはねる魚を、漁師は手で一匹ずつ網からはなし、船の水槽の中に入れていった。カニやナマコ、それにタコなども、ひんぱんにかかっていた。固いトゲを何本も持ったカラにかこまれたウニもあった。

 ひきあげた網は、再び海中にセットしておく。すべての網から魚をとった漁師は、櫓(ろ)をこいで港へ帰っていく。魚について彼はぼくにじつにいろんなことを教えてくれたのだが、もうみんな忘れてしまった。

 ぼくを乗せたところまで送り届けてくれると、彼は、船の水槽の中から、魚、タコ、イカ、ナマコ、カニ、ウニなど、その日とれたものをひととおり、ぼくにくれるのだった。

 Tシャツを脱いで首のところをしばって袋にし、その中に入れてもらう。ずしりと重たい。とても食べきれないほどの量だ。

 彼は船をこぎ、川上の村へ帰っていく。農業や町での手間仕事のかたわら、一隻の船を持ちパートタイムで漁をやっていた人ではないのかと、いまぼくは思う。

 もらった魚を家へ持って帰り、料理して食べる。料理といったって、サシミにするとか塩焼き、あるいはタコやカニのように、ただゆでるだけだ。このような最小限の料理をほどこされた新鮮な魚のおいしさといったらない。

 こういった食べ方にいまでもあこがれているわけではないし、こんな食べ方があらゆる料理にまさるというわけでもないのだが、食べ物の「味」とか、ものを食べることとかに関する基礎体験のひとつとして、ぼくの体の感覚に残っている。大都会のスーパーで買ってきた、どこでどうやってとったのかすら知らない魚をどう料理して楽しんでも、むなしいご苦労さん、という気持は、しかしやはりある。

 網にかかったばかりの、陽光をうけとめて銀色に輝きつつピチピチと指さきにはねるイワシの、しっぽのちかくにナイフで斜めに切れ目をつけ、そこを指さきでつまみ、ひきはがすようにふたつに裂いてしまう。小皿の酢じょうゆをちょっとつけて、食べる。背骨をひきはがし、内臓をとり、もういっぽうもおなじように食べる。これこそ料理だ!と思ういっぽう、キャン・オープナーでカンづめをあけるだけの行為も、ぼくには料理に思える。

 アメリカのスーパー・マーケットの棚にずらりとならんでいる、加工されパッケージされたありとあらゆる食品群もまた、ぼくの食べもの原体験の重要な一部分だ。

 カンづめ、箱づめ、ビンづめなど、可能なかぎりの加工をほどこされたさまざまな食品のパッケージが、スーパー・マーケットの棚からいっせいにぼくに語りかける。

 パッケージたちは、雄弁だ。自然のままの食品をはるかにこえて、彼らはそれぞれに雄弁家だ。わたしを買って! カン切りであけて! ボックストップを開いてちょうだい! ビンのフタをあけて! とにかく手にとってみて! と、語りかける、呼びかける、叫んでよこす。こたえずにはいられない。

 畑に実っている本物のピーナツを知るずっと以前に、ぼくは、ビンづめのピーナツ・バターとすっかりなじみあっていた。畑に実っているピーナツを見せられたときの、あの畑の土の香りとかピーナツの小さな粒のかたち、感触、歯ごたえ、嚙んだ瞬間の味などの、なんとエキゾチックだったことか。

 こうして書きはじめるときりがないけれど、ハム・アンド・エッグスが朝の自分にとっての分身のような食事になってしまったあとで、ぼくは、ニワトリを飼った。

 そのニワトリは、ある日、タマゴを生んだ。巣の片隅に、フンまみれになってひとつ、ころんところがっていた、いびつな白いタマゴ。神秘的で感動的で、同時に、エキゾチックだった。

 あそび友だちのひとりが、そのタマゴの食べ方を教えてくれたのだ。その食べかたは、ぼくにとってはひとつの大きなショックだった。

 タマゴのとがったほうを小石で叩いて小さく割り、割れたかけらをとりのぞき、小さな穴をあける。

 この穴に口をあて、タマゴを生のまま、吸いだすのだ。ヌラヌラの白身をほぼ吸いおえたところで、吸い口から内部へしょうゆをすこし垂らし、ハシを突っこんでかきまぜる。生タマゴの黄身にしょうゆがよくなじむ。まだニワトリの体温が残っている生あたたかいその生タマゴは、ぼくにとってのエキゾチシズムのひとつの頂点だった。

 このときのショックは、たとえばはじめて旅館に泊まったとき、黒っぽい茶ワンの中に白い生タマゴがころんとひとつおさまって食卓に乗っているのを見たときのショックなどにつながっている。

底本:『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年


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2016年2月5日 05:30
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