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ペイパーバックの中のトルーマン・カポーティ

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 トルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』を、いま頃になってようやく僕は読んだ。長編小説だとばかり思っていたのだが、短い小説だ。しかし短編とも呼びがたいのだろう、シグネットというペイパーバックの叢書で一冊にまとまったときには、他に三つの短編を加えて、一冊になった。一九五十年あたりからいくつかの雑誌に書いた短編小説が、一九五九年にマス・マーケットのペイパーバックとなった。写真のなかにそれがある。『ティファニーで朝食を』の主人公であるホリー・ゴライトリーが表紙に描いてあるけれど、イメージの質がまったく異なる古いタイプの女性として描いてある。ペイパーバックにかぎらず、初版を手に入れる楽しさのひとつは、こんなところにある。オードリー・ヘップバーンを主役にして映画になったときの、オードリーのスティルを表紙に使った一九六一年の版も、写真のなかにある。この版で六刷目だというから、映画になる以前からこの作品は評判を取り、マス・マーケットのペイパーバックでかなりのところまで売れたようだ。

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 オードリー・ヘップバーンもホリー・ゴライトリーとしてはたいへんなミス・キャストだと僕は思う。カポーティが創作したホリー・ゴライトリーは、もっと野性的だ。スリムで現代的で、必要とあらば強い攻撃性を発揮することの出来る、都会には納まりきらない野性の力を感じさせる女性だ。外見のイメージだけで言うなら、『ヴォーグ』のようなファッション雑誌のページを飾っている、ファッション・モデルのような女性だ。実際にはまったく野性的ではなくても、モデルとして写真に撮影されると、すっきりと細身の体にしなやかな筋肉の強靭にいきわたった様子が、野性の魅力へと転換されているようなモデルがいるけれど、ホリーは外見においても性格においても、そのように造形されている。一九五十年代が終わる頃のアメリカで、小説のなかにこのような女性を主人公として作り出したカポーティには、少なくともその点においては、先見があったと言っていい。

 ホリー・ゴライトリーが活躍するニューヨークは、ずいぶんと昔のニューヨークだ。ヘミングウェイがいま四十二歳、という記述がある。『オクラホマ!』というミュージカルで広く知られるようになったいくつかの歌がまだ新しい歌だった頃、という文章もある。アパートメントの外壁に鉄で作ってある非常階段の踊り場で、さっき洗った髪が乾くまでギターを弾いて過ごす、というような記述もある。Cross your heart and kiss your elbow.という言いかたも懐かしさの彼方のものだ。「日曜日には時計の針はゆっくりと進む」とか、「林檎にはウィスキーがよく合う」といった、気の効いたようなそうでもないようなワン・センテンスを探しながら読むと、少しは楽しいかもしれない。

 冒頭の三ページくらいを、僕はたいそう気に入った。かつて親しく知っていたホリー・ゴライトリーをめぐる、すでに過ぎ去った出来事を一人称で語っていく男性が、ホリーの足跡をたどってまず最初に一軒のバーにあらわれる。ホリーはこのバーを行動の拠点や人脈の中枢として使っていた。ホリーの面影などもはやどこにもないのだが、どうやら彼女はアフリカへいってしまったようだ、という程度のことはわかる。このあたりまでの書きかたはじつに好ましい。少なくとも僕は好きだが、そこからは最後までつまらない。どんどんつまらなくなる、ということはなく、つまらなさが一定の次元で持続されていく。

 ともに収録された三つの短編のうち、『花の家』と『ダイアモンド・ギター』は、基本的にはよく似た幻想的な物語だ。カポーティにはともすればこの方向へと進みがちな傾向があったのかもしれない。そしてその傾向を僕は好まない。しかし、『ア・クリスマス・メモリー』という短編は傑作だ。僕にとっていちばん最初に読んだカポーティがこの短編だった。語り手である七歳の少年と、遠い従姉弟どうしである六十いくつかの女性の物語だ。女性は毎年クリスマスにはフルーツ・ケーキを焼くのを、人生の重要な一環としている。少年が七歳のときのフルーツ・ケーキについて、その始まりの一端から終わりの他端にむけて、出来事を淡々と語っていく。過去の出来事のぜんたいを、冷静に淡々と、しかし小説のように面白く記述していく、という技法ないしは領域を、カポーティはこの短編で自分に確認したのではないか、と僕は推測する。なぜならこのすぐあとに、カポーティは一世一代の傑作である、『冷血』というノンフィクション小説の発想を手に入れたのだから。

 トルーマン・カポーティの最初の作品は、一九四八年、彼が二十三歳だったときに単行本で刊行された、『いろんな声、さまざまな部屋』という長編小説だ。たいへんな評判になり、作家としてのカポーティの位置を高いところに固定した作品だという。彼の作品は、少なくとも『カメレオンの音楽』あたりまでは、シグネットというペイパーバック叢書に収録された。だから僕は『いろんな声、さまざまな部屋』の、シグネットでの一九四九年の初版や、一九六十年の第六刷などを手に入れてみた。いま半分くらいまで読んだところだ。

 この作品でも、発端の二ページほどが、僕にとってはことのほか面白い。ここからどのような物語が始まるのか、期待が興奮に支えられて、読者である僕の心の底から沸き上がってくる。このままのリアリズムでいってくれればいいのに、と読者の僕は熱望するのだが、そうはいかないようだ。ぜんたいは幻想的なお伽話であり、奇怪さや不気味さで貫かれていくなかに、主題として浮かんでくるのは孤独さという問題だろうか。物語の場所であるニューオリンズのとある場所に蓄積された時間が、物語のなかの人物たちの身の上に化けて出るとでも言っておこうか、一筋縄ではいかない詩的なイメージとその言葉で編み上げられるものを、たとえばこの僕はどう表現すればいいのか。

『夜の樹、そしてその他の短編』という作品がシグネットでペイパーバックになったのは一九五一年だ。インターネット上にアメリカで構築されている、ペイパーバックの古書通販網をたどると、ほぼ六十年前のペイパーバックでも、じつにあっけなく手に入る。本の状態が「ヴェリー・グッド」と表示されているものを選んで注文すれば、ほんとに新本同然かそれにごく近い状態のものが、アメリカのとんでもないところの古書店から、僕の自宅へと送られて来る。手に取ってつくづくと眺めているうちに、ふと読み始めるという読書のパターンは、これからも続くだろう。

『草のハープ』のシグネットの初版は一九五三年だ。これも写真のなかにあるが、これは神保町の古書店で店先の箱になかば捨てたようにして売られていた、一冊百円のペイパーバックのなかに見つけたものだ。草のハープとはなんだろうか、草笛のようなものだろうか、などとずっと以前から思っていたのだが、このペイパーバックを手にしてさきほど書いたようにつくづくと眺め、最初のページをふと読んだら、秋風にいちめんの草がなびくとき、草どうしが触れ合って出す音のぜんたいを、主人公のひとりである女性が、草のハープと呼んでいるのだ、ということがわかった。物語の主題やそれを語っていく言葉の感触は、『いろんな声、さまざまな部屋』にくらべると、かなり異なるようだ。

『夜の樹』と『草のハープ』は、一九五六年に一冊にまとめられてペイパーバックになった。それも集合写真のなかにあるし、表紙が変わったときの一九六一年の初版もある。それに、『冷血』がペイパーバックになったときの、一九六六年の初版も。マス・マーケットのペイパーバックにおけるトルーマン・カポーティは、今回のこの集合写真のとおりだ。

出典:『Free&Easy』2009年2月号


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2018年3月26日 00:00
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