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この光と空気のなかに

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 エドワード・ホッパーの絵を見るたびに感じることについて、僕は書いてみることにする。見るたびに感じるとは、見るたびに感じることの質や方向に沿って、そのたびに、けっして小さくない影響を、ホッパーの絵から僕は受けている、ということにほかならない。

 人間が日常を営む空間が、地表から空に向けて、ある程度の高さのところまで、立ち上がっている。そしてその空間は、いまでは地球のぜんたいを覆っている。その空間のなかに、人々そして彼らの作ったすべてのものが、存在している。そこに太陽の光が届く。その光を受けとめて反射させることによって、人も物体も、色とかたちをともなった、目に見える存在となる。

 地表に沿った空間の広がりは、その空間のなかに身を置く人に対して、移動へのきっかけとして作用する、と僕は感じる。ホッパーの絵を見るときは特に、そのことを強く感じる。光も人に対して移動することをけしかけている。朝の光によって人は空間のなかへ導き出され、昼のあいだその光とともに移動していき、日が暮れて夜になり、そこで停止して休息する。

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 ホッパーの絵のなかに描かれている空間は、都会の景観にせよ自然の光景にせよ、移動のための場所、あるいは移動の途中で立ち寄る場所であることを、もっとも中心的な命題にしている、と僕は感じる。そしてその空間のなかに描かれている人たちは、誰もが移動の途中であるように、僕には見える。そこに住んでいるという設定の人も、最初からそこにいてずっとそこにい続けるのではなく、あるときどこからかそこにあらわれ、しばらくしたらどこかへいってしまう人ばかりだ。

 移動、あるいは変化という、アメリカの日常を支配する根源的な推進力を、僕はホッパーの絵から感じる。脱出した近代を背後に置き去りにしつつ、現代のただなかを轟々と突進していき始めた若いアメリカの光景が、彼の絵のなかにある。

 誰もがその光景のなかを移動し、変化していく。どこのどのような空間も移動のためのものだから、その空間は根源的な寂しさと常に一体だ。移動していく途中のように見えるどの人も、したがって、根源的な寂しさを存在の大前提としている。

 エドワード・ホッパーが描いたいくつもの絵を画集で見るたびに、移動という命題が持つ絶対孤独のような価値を、僕は感じる。

出典:『Free&Easy』1999年11月


2017年11月9日 00:00