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幼い頃の自分について語る(3)

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(2)からのつづき》

3

 小学校の六年生だった頃の自分について書くのは、これで三回めです。材料がなにもないけれど、ないとは言わないでなにか思い出してみようと思いつつ、ワード・プロセサーのキーをまるでつまびくように叩きながらいま思い出したのは、蛸つぼのことです。蛸つぼとは、海に生きている蛸という生き物をとるためのつぼです。とって食べるのです。

 ぼくは学校が嫌いで、ろくに登校しないまま小学校を卒業したことは、すでに書きました。学校へいかずにひとりでいろんなことをして遊ぶか、なにもせずにぼんやりとしているか、あるいは、大人の仕事の手伝いをするか、その三種類のことをぼくは交互に楽しんでいました。

 大人の手伝いをするときのぼくは、たいへんに役に立つ子供でした。漁師の手伝いがしたくなると、朝早くに家を出て、港へいくのです。顔見知りの漁師たちが何人もいて、そのうちのひとりがかならず船に乗せてくれました。船で沖へ出ていくのです。

 沖とは言っても、瀬戸内海ですから、たいしたことはないのです。あらかじめ網が海のなかに設置してある場所までいき、その網を引きあげるのが、ぼくのよく知っている漁です。網にはありとあらゆる魚類がかかっていて、それを船のなかの水槽に移します。船いっぱいに魚をとり、網を再び設置して、漁は終わるのです。

 とったばかりの魚を船の上で食べるのは、面白い経験でした。なまこというものを、ぼくは船の上ではじめて食べたのです。おいしいとは言えないと思うのですが、とれたばかりのなまこは、興味深い味と感触を持っています。

 蛸も、とりました。蛸つぼをいくつもとりつけてあるロープを、海の底から船の上にたぐり上げるのです。つぼのひとつひとつに、蛸が一匹ずつ、入っています。つぼを逆さにして力をこめて振ると、蛸が落ちてきます。落ちてこないときには、手を入れてひっぱり出すのです。

 港へ帰ると、そこには漁業組合のような建物があり、とってきた魚をおばさんたちが料理してくれるのです。風呂もわいていて、風呂に入ってから新鮮な魚の食事をします。ゆでた蛸の、普通には「頭」と呼ばれている部分のおいしさを、知ってますか。

 蛸は神経質で、蛸つぼが汚れていたりすると、入ってくれません。いつも点検してないといけないのです。割れるつぼも、たくさんあります。海から引き上げた蛸つぼのつらなったロープを船で港へ持って帰り、港の片隅で丁寧に点検していくのは、ぼくの仕事でした。秋の日の、ほんとにきれいな明るい陽ざしのなかで、こういう作業を無心におこなえるのは、たいへんに幸せなことでした。

 汚れた蛸つぼはきれいに洗い、割れたのはロープからはずして、新しいのに交換するのです。交換するとき、その新しい蛸つぼになにかちょっとした細工をほどこしたような記憶があるのですが、正確には思い出せません。

 蛸つぼを買いにいったこともありました。漁師のおじさんがトラックでいくのに、ぼくもついていくのです。いくときはトラックの荷台は空ですから、ぼくはそこに乗り、秋晴れの日の美しい景色を眺めて楽しみました。

 当時のトラック、そして当時の道路で二時間ほど走った、ちょっと山のなかに入った高いところに、蛸つぼを作っているところがあるのでした。場所がどこだか覚えていないのですが、ひょっとしたらいまでもあるかもしれません。たくさん積み上げた蛸つぼに秋の陽ざしが当たっている風景を、記憶という現在のなかにいまぼくは見ています。

 作ったばかりだという蛸つぼをトラックの荷台いっぱいに乗せて、ぼくたちは帰っていくのです。港へ帰りつくとすでに秋の日は夕方になっていて、蛸つぼを降ろすと夕食です。

 風呂に入り、新鮮な魚の夕食を食べて、さあ、ぼくは自宅へ帰るのです。そして自宅では英語の本を読んだりしていたのですから、ぼくも相当に変わった子供のひとりだったのでしょう。

底本:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年


『きみを愛するトースト』 小学校 少年 瀬戸内海
2017年9月25日 00:00
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