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幼い頃の自分について語る(1)

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 ぼくは六歳から十四歳くらいまでの期間を、瀬戸内海に面したふたつの町で過ごしました。もうずいぶん以前のことです。どのくらい以前かというと、いまの瀬戸内海は、ある種の文脈では「死の海」などと呼ばれるほどにさまざまに汚染された海になっていますが、ぼくが子供だった頃には、その瀬戸内海に汚染源はまだなにひとつなかったのです。そのくらい以前のことです。当時でも瀬戸内海に沿って工場がいくつもあったのですが、戦争で叩きつぶされ、まだ活動を再開していなかったのです。

 戦争が終わった世のなかで、大人たちは、自分たちの生活を再建していくことで精いっぱいの日々を、当時は送っていたのだそうです。子供に対するおよそ信じられないような管理がいまは大人の手でおこなわれていますが、当時の大人たちはそんなことには手がまわりませんでした。自然環境もいまとは比較にならないほど自然のままにありましたので、子供が自由に育つ環境として、たとえばぼくが子供の頃を過ごした瀬戸内海に面した町は、じつに恵まれた場所でした。

 戦後の混乱期、と呼ばれている期間が、しばらく続きました。戦前の教育システムからいっきょに解放されたあとの、設備も調わなければ新しいシステムも出来あがっていない期間のなかで、ぼくは小学校の六年間を過ごしたのです。ひとことで言えば、学校システムはたいへんにおおらかであり、ぼくのようにほとんど学校へいかない子供がいても、学年の終わりにはちゃんと進級出来たりしたのです。

 ぼくは学校へいかずに、ほかの場所で自分の好きなように遊んで日々を過ごしていくことの名人でした。小学校の低学年の頃から、すでにそうだったのです。

 ぼくにとっては、一年じゅういつも夏休みみたいなものでした。だから、夏休みが始まっても特別にうれしくはなく、夏休みがいよいよ今日から始まる、などという意識を持ったことすらありませんでした。

 しかし、夏という季節は、なによりも大好きでした。空は青く、陽ざしは暑く、海は招く、服はTシャツにショート・パンツでいいし、日は長く、風の香りや陽ざしの感触など、夏こそぼくの季節だと、夏のたびに毎日、ぼくは思いました。

 小学生だった頃をこうして思い出していくと、夏の記憶しかないのです。冬には雪が降ることもあり、真冬を中心にしてその前後の季節にはずいぶん寒い日々があったはずなのですが、夏の記憶しかありません。子供の頃のぼくにとって、季節はいつも夏だったようです。

 日本の夏を、瀬戸内海に面したふたつの町で、満喫してぼくは過ごしたのです。ありとあらゆる遊びを、毎日、飽きずにくりかえしました。ぼくにいくらかの想像力があるとするなら、それはこの夏の遊びによってつちかわれたものです。そしてぼくを煮つめてスープにすると、味はともかく、香りは、瀬戸内海の夏の香りであるはずです。

 学校へほとんどいかない、という態度は、自由でとてもいいのですが、あと何日で夏休みだとか、明日からついに夏休みだ、というような興奮的な感慨を味わうチャンスをぼくは持たないままですので、いまから考えると、この部分がやや残念です。おなじく、夏休みがもう終わってしまう、という悲しみに満ちているはずの気持ちも、ほんとうは知らないのです。

 夏がようやく終わるのは、ぼくにとっては、九月の終わり頃でした。ほかの子供たちはとっくに秋の気分でいる頃、ぼくは学校へいかずにひとりで夏とのお別れをしていたのです。あれほどに夏だった海が、今日は秋の海なのです。あれほどに夏の香りに満ちていた山が、秋の香りなのです。風景のなかのさまざまなディテールに、夏から秋への変化を感じては、夏よ、ぼくに戻ってこい、とぼくは呼びかけていたのです。

 秋も完全に深まってしまった頃、子供むけの雑誌の、夏休み特別お楽しみ号などを友人から借りてきて、その雑誌のなかにある夏休みをぼくは楽しんでいました。

《(2)へつづく》

底本:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年


『きみを愛するトースト』 小学校 少年 瀬戸内海
2017年9月23日 00:00
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