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ミッキーマウス・カントリー

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 ミッキー・マウスの帽子をぼくはまだ持っている。ずいぶん昔に買った帽子だ。なにしろディズニー・ランドが開園してまだ六年ぐらいしかたっていないころ、ディズニー・ランドのギフト・ショップで買ったのだから。

 この帽子は、じつにゆかいだ。頭にかむる部分が、ぽかんと単純な半球のおわんのようになっていて、大きな丸い耳が左右にひとつずつ、とりつけてある。耳は薄いプラスチックでできている。ぜんたいが黒で、両耳のあいだの正面には、ミッキー・マウス・クラブのワッペンがぬいつけてあったりする。女の子むけのミニー・マウスの帽子もつくりはまったくおなじだが、こちらにはリボンがついている。

 ミッキー・マウスのこの帽子をかむると、なぜだかミッキー・マウスになったような気持がしてくる。

 ディズニー・ランドをはじめて訪ねたその日、朝から夜までかかって、かなり詳しくディズニー・ランドを楽しんだことを、いまでも思い出すことができる。あのころのぼくは、少年と大人の中間のような年齢だった。

 いまにして思えばあれはサンタ・アナ・フリーウェイなのだが、なんとも言えない人工的で強引な感じのするハイウェイを、朝、アナヒムにむかって飛ばしたのだ。夏のはじめの季節だった。ハイウェイには、ぼうぼうと風が吹いていて、透明な鋭いきらめきのある陽ざしのなかを、タンブルウイードが風にあおられ、ハイウェイを転がっていた。追い風を受けとめて転がっていくそのタンブルウイードは、ぼくたちが乗っていた自動車よりもずっと速いのだった。

 サン・フェルナンドのほうから走ってきたので、フリーウェイがサンタ・アナ・フリーウェイになってからでも、えんえんと走ったような記憶が、ぼくのなかにはある。

 到着したところが、なんにもなくてただ風だけが吹いては土ぼこりを盛大にまきあげているような荒野のまんなかだったら、ぼくもおそらく納得しただろうけれど、着いたさきはディズニー・ランドという、精緻をきわめた人工の地だった。

 力まかせに吹きまくるブラスバンドの音が、風にちぎられては、空に舞っていた。

 少年時代も終わりにさしかかっていたぼくが一日がかりでディズニー・ランドに遊んで得た結論は、ディズニー・ランドは気味の悪いところだ、ということだった。

 気味の悪さの原因や理由がどこにあるのかは、比較的たやすく説明できるような気がする。

 遊園地、という日本語をあてはめるには、規模も考え方もあまりにちがいすぎ、したがって自らディズニー・ランドと名づけたとおり、「ランド」でしかあり得ないこのディズニー・ランドの内部では、ありとあらゆるものが、レプリカなのだ。カリフォルニア的な、としか言いようのない美意識にもとづいて入念につくりあげられた数々のレプリカは、やはりカリフォルニアに特有の、常に最先端をいく科学技術により、支えられ、生かされている。気味の悪さは、このへんから生まれてくる。

 漫画映画のフィルムのなかに人の手によって描かれたキャラクターたちであったミッキー・マウスや白雪姫、七人の小人たちなどは、人間がぬいぐるみを着こんだり衣裳をつけたりする、ということをとおして、レプリカになっている。西部開拓時代のレプリカがあり、宇宙開発のレプリカがある。原子力潜水艦のレプリカに乗って海のレプリカに潜っていけば、精巧につくられた機械じかけの魚のレプリカが泳いでいる。ジャングルのレプリカのなかを流れる河を舟でくだれば、機械じかけのレプリカ河馬が水面に顔を出し、口を大きく開いてみせる。ミッキー・マウスの帽子をかむるとミッキー・マウスになったような気がする、とはじめに書いたが、それは、ぼく自身がしばしミッキー・マウスのレプリカになることを意味する。

 よくできたレプリカというものは、たいていの場合、じっくりながめると、薄気味の悪いものだ。ディズニー・ランドだけではなく、ロサンゼルスぜんたいに、不思議としか言いようのないレプリカ趣味があふれている。そして、そのほとんどが、ロサンゼルス的な迫力をたたえて、薄気味悪い。

 ひところまでは、ヨーロッパのレプリカが多かった。いちいちあげていくときりがないが、たとえばウエストウッドのUCLAキャンパスにある、明らかにヨーロッパを感じさせるおごそかな建物は、みなイタリーのロンバルディにある建物を模したレプリカだ。本場のスペインにはひとつもないが、カリフォルニアで言うところの、無数にあるスペインふうの建物は、ロサンゼルスが持つレプリカ趣味のおそらくは基本となる部分のひとつだろう。

 ヨーロッパの有名な絵画や彫刻のレプリカばかりを展示した美術館のようなところへいった記憶があるが、あれはロサンゼルスのどこだっただろう。たとえば絵画のレプリカなら、それはロサンゼルス趣味にもとづいた立体的なレプリカになっていた。モナリザのレプリカには、笑ってしまった。あの微笑をたたえて椅子にすわっているモナリザをモデルに、レオナルド・ダヴィンチが絵筆を持ってイーゼルにむかっているところが、ウインドーの内部に立体的に再現してあったからだ。

 ヨーロッパにはじまり、いまでは中国から中近東まで、さまざまな国のレプリカが、ロサンゼルスには、いっぱいある。センチュリー・プラザのホテルなど、ロサンゼルス的なレプリカ趣味の、現代におけるひとつの頂点だと言っていい。ディズニー・ランドは、さらにその上をいっている。

 こうしたロサンゼルス的なレプリカが持つ薄気味の悪さは、レプリカそのものが往々にして持つ気味の悪さだけから生まれてくるのではない。ロサンゼルスにおいては、非常にしばしば、そして非常に多くのものが、見事に現実ばなれをしている。リアリティから切り離された、まったく別の次元に、それらのものは生きている。この、現実やリアリティから切り離されて中空に浮きあがっているようなありさまが、なんとも言えず気味が悪く、同時に、非常に魅力的でもあるのだ。

 南カリフォルニアにおいては、「あらゆることが可能である」と人々は言う。「どんなことが起こっても不思議ではない土地」、それが南カリフォルニアだ、とも人々は言う。

 カリフォルニア、特にロサンゼルスを中心とする南カリフォルニアに、新しい可能性の追求をカリフォルニア的に徹底させる気風が昔から横溢おういつしている事実は、否定できない。

 この気風には、カリフォルニアという土地の歴史と、ロサンゼルスという都会が持っている基本的な性格とが、密接にからみ合っていると、ぼくは感じる。

 ロサンゼルスのプロパーは、東京都とおなじくらいの広さだ。周辺の衛星都市を含めたグレイター・ロサンゼルスになると、その広さは関東平野ぜんたいくらいだ。シエラ・マドレ、サン・ゲイブリエル、サンタ・アナなどのマウンテンズによって囲まれた、太平洋ぞいの細長い土地だ。北アメリカ大陸ぜんたいのスケールからいくと、けっして広いとは言えない。

 フロンティアのいちばん奥であるこの土地は、一八四八年にゴールド・ラッシュがはじまるまでは、平凡な歴史しか持っていなかった。

 カリフォルニアにはじめて白人がヨーロッパから来たのは、十六世紀のはじめだった。やって来たのは、スペイン人だった。当時はまだ大陸を横断してカリフォルニアに至るという陸路がなく、彼らにとって、カリフォルニアは遠い土地だった。

 ロサンゼルスのそもそものはじまりである小さな村が最初にできたのは、一七八一年だ。この村には、エル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・ラ・レイナ・デ・ロス・アンジェレス・デ・ポルシアンクラという長い名前がつけられた。この長い名は次第に短くなってロサンゼルスとなった。

 一八四一年に、大陸の東から陸路によってカリフォルニアに来た、最初の移住者たちが到着した。一八四六年には、ドナー・パーティという移住者たちの馬車隊が、現在のドナー・パスで雪にとじこめられ、仲間の人肉を食べるという事件があった。おなじ年、メキシコを相手にアメリカは戦争をはじめた。ロサンゼルスのプエブロには、三千人の人たちが住んでいた。

 メキシコとの戦争に勝ったアメリカは、近代史上では最大といっていい規模の帝国主義的な侵略によって、カリフォルニアを含む西部一帯の広大な土地を自分のものにした。一八四八年のことだ。このおなじ年の一月、サターズ・ミルで金鉱脈が発見され、十二月には大統領のポルクが、カリフォルニアには黄金が大量にあると発言したため、明くる年、一八四九年には、大量の人たちが馬車でカリフォルニアに流入した。フォーティ・ナイナーズと呼ばれている人たちだ。

 エル・ドラードとしてのイメージを早くも完全に身につけたカリフォルニアでは、人口急増がはじまっていった。ユニオン・パシフィックとセントラル・パシフィックが一本につながって大陸横断鉄道ができたのは一八六九年のことだが、その十年前に、すでにカリフォルニアの人口は四十万ちかくになっていた。

 一八七六年にはサザン・パシフィック鉄道が、そして一八八五年にはサンタ・フェ鉄道が、それぞれロサンゼルスに到達し、大いに競ってあらたなる大量の人々をカリフォルニアに移住させる役を果たした。鉄道運賃の値下げ競争がはじまり、たとえば中西部のカンザス・シティからロサンゼルスまではじめは百ドルもしたのだが、一八八六年には一ドルにまでなってしまった。カリフォルニアへの旅は健康にいい、などと宣伝されていた。健康にいい、といううたい文句に、アメリカの人たちは昔から弱かった。

 馬車、鉄道、そしてその次は自動車が、カリフォルニアに新人口を運びこんだ。一九一五年には大陸を東から西まで自動車で走って横断することができるような道路が、すでにできていた。自動車と道路は、一九二〇年代のダスト・ボウルからの大移住を可能にした。

 エル・ドラードの黄金はもうなくなっていたが、カリフォルニアは、ランド・オヴ・オポテュニティとして、そのイメージの輝きをさらに大きくしつつあった。オポテュニティは機会、つまり仕事だ。いつも明るく陽の照る、気候温暖な黄金の土地であるカリフォルニアへいけば、仕事はいつでもそしていくらでもあり、その仕事をとおしてほかのどこにおけるよりも有利に自分の生活を将来にむかって向上させていくことができる、と人々は信じてカリフォルニアにむかった。

 そして、彼らの夢は、アメリカが第二次大戦を通過することによって、現実のものになった。アメリカのいたるところから、過去をすててまったくあらたにやりなおすために、数多くの人たちがカリフォルニアに来た。日本を敵国とする太平洋戦争のための巨大基地となったカリフォルニアは、最先端の科学技術に支えられた軍需産業の地となった。おなじことが、ベトナム戦争のとき、もう一度くりかえされた。

 第二次大戦後のアメリカは、世界でもっとも豊かな、もっとも強力な国になっていくのだが、その最先端をきったのが、カリフォルニアだった。カリフォルニアが「人類の未来が見える窓」とまで称されるようになったのは、このころからだ。

 あらゆる新しい可能性を約束された土地という、昔からのイメージや地理的な条件のほかにカリフォルニアを支えているのは、宇宙工学を中心とする現代の最新の科学技術であり、その科学技術を展開させていくためのマンパワーである、高等教育を受けた人たちだ。

 科学技術というものは、可能性のある方向にむかって自らを徹底的に推し進めていく力を持っている。カリフォルニア、特に南カリフォルニアにおいてあらゆるものが極限まで徹底されていく傾向が強いが、この傾向は、南カリフォルニアがアメリカの科学技術の一大中心地であることと深く関係している。極限まで徹底された科学技術は、日常のリアリティからは見事に浮きあがった、アンリアルな世界をつくりだす。

 一九六七年の統計によると、カリフォルニアに住んでいる人たちは、四人のうち三人までが、カリフォルニア以外のところから移住してきた人たちだった。彼らは過去をすて去っていて、過去という束縛から自由であるうえに、カリフォルニアという強力にアンリアルな土地に住んでいるのであるから、生活の根をどこにも持たず、しかも自動車という魔法の車によっておたがいにこまかく分断されている。

 あらゆるものがリアリティから切り離されて浮きあがっているような性格を持つにいたる重要な土台のもうひとつは、カリフォルニアの気候だ。ハリウッド・ボウルという野外劇場が創設四十年をむかえたとき、その四十年の歴史のなかでたとえばコンサートが雨によって中止になったりしたのはわずか三日だけである、と自慢していた。カリフォルニアは一年じゅう気持のいい晴天だという伝説は、なかば以上、正しい。雨が降ったり寒かったりもするのだが、地中海ふうの亜熱帯乾燥気候は、きらきらと明るく強い、透明な陽ざしを、カリフォルニアの夢の一部にしている。ロサンゼルスの天気が悪くても、パーム・スプリングスまで自動車を飛ばせば、いつだって快晴のかんかん照りだ。この陽ざしは、生活の豊かさや楽しみの追求の哲学とあいまって、日常生活の多くの領域に、遊園地で遊んでいるような雰囲気や状況をかもしだす。この数年、日本の「若者むけの雑誌」でしばしば紹介されるカリフォルニアは、この遊園地的な側面の、枝葉末節的なごく一部分だ。

 南カリフォルニアは、たしかに、なにかが見える窓だ。そして、ぼくがその窓辺に立つと、かつてディズニー・ランドで強く感じたアンリアルな薄っ気味の悪さが、現代的に何十倍、何百倍と際限なく増幅されていくありさまが見え、それ故に、東の山や荒野、西の海が、やはりいちばん面白いということになってくるのだ。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年

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2017年7月11日 00:00
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