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野球カードがない子供の日々なんて、とうてい完璧とは言いがたい。

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 ぼくがいつも不思議に思うのは、なぜ日本にベースボール・カードがないのか、ということだ。これだけ野球の人気が高く、子供たちのあいだでも野球に関する興味が盛りあがっているのに、ベースボール・カードがないとは。ベースボール・カードがなければ、子供の日々はとても完璧とは言えないのだが。

 ベースボール・カードとは、野球選手のカードのことだ。ハガキをふたつ折りにしたくらいの大きさのカードで、表には野球選手ひとりひとりの写真がカラーで印刷してある。プレイ中のアクション写真だったり、ユニフォーム姿の上半身のアップだったり、いろいろだ。

 カードの裏には、その選手の野球界における戦歴のようなヒストリーが、ワン・パラグラフで説明してある。打率だのホームラン数だのエラーの数だの、前年度のシーズン成績がデータで詳しくあがっている。

 これが、ベースボール・カードだ。二〇世紀のはじめから、このようなカードはアメリカに存在し、一九五〇年代まで、いろんな商品のメーカーが、無料のギブアウェイふうに、カードをつくって配布していた。コーンフレークスの箱に印刷してあったり、ミルク・カートンに印刷してあったり、あるいは小さなカードがビー玉の中に仕込んであったり、さまざまだった。

 ベースボール・カードのほかに、スポーツ・カードという、もっとジャンルを広げたカードもあった。フットボール、アイスホッケー、サッカー、ラグビー、水泳などの選手たちがカードになったし、大人のお父さまむけには、プロのビリヤード・プレイヤーとかライフル・シューター、ハンターなどが、パイプ煙草たばこのおまけになっていた。

 このベースボール・カードでもっとも有名なのは、ニューヨークのブルックリンに本社があるトップス・チューイン・ガム社の風船ガムのおまけについてくるベースボール・カードだ。一九五一年から全米のキャンディ・ストアやバラエティ・ストアに出まわりはじめた、トップス・チューイン・ガム社の風船ガムとベースボール・カードは、アメリカの一九五〇年代をその内側から語るときに、ぜったい欠かせないもののひとつだ。

 春のトレーニング・キャンプのニュースがすこしずつ伝わってくるころになると、その年の新しいベースボール・カードが、街かどのキャンディ・ストアに入荷してくる。昨日もきちんとテーブル・マナーを守ったごほうびにお母さんからもらった一〇セント玉や五セント玉を持って、子供たちはキャンディ・ストアにかけつける。

 地元の人たちを相手におじさんとおばさんがふたりでやっているようなスーパーレットには、子供の興味をそそるものがたくさんある。今日はどれを買おうかと、さんざ品定めを楽しんでから、野球カードの入っている風船ガムを買うことにする。包装紙を開くと、あのなんともいえないピンク色のバブル・ガムの強い香りがし、新しいベースボール・カードの手ざわりに、胸をときめかせる。

 カードは風船ガムとともに数枚がワン・パックになっている。すでに持っているカードが何度もつづけて重複することもあるのだが、持っていない珍しいのが手に入ったときのうれしさといったらない。

 四月のはじめには、その年の新しいカードをパックしたトップスの風船ガムが店に入荷している。毎日、バラエティ・ストアに日参しては、ガムを買いこむ。靴の空き箱やショッピング・バッグに、カードをためこむ。

 カードを相手のひとり遊びは、無限にある。友人たちといっしょに遊ぶなら、なんといっても、フリッピングだ。集めたカードを持って、何人かが集合する。適当な壁から一五メートルほどはなれたところに線を引き、ひとりひとり、そこから壁にむかってカードをフリップする。トランプを飛ばすときのようにカードを人さし指と中指にはさんで持ち、手首のスナップでフリップさせる。全員が投げ終え、壁にもっとも近いところにカードを着地させた人が勝ちになる。ほかの人が投げたカードは、すべてその人のものになる。

 夕食までの時間をフリッピングに没頭し、勝ったカードを自宅で分類する楽しさ。メンコに、すこし似ている。そう言えば、昔、日本のメンコにも、ベースボール・カードふうなのがあったような気がする。

 トップス・チューイン・ガム社は、もとをたどれば一九世紀の終りに創設された、煙草の葉を扱う会社だ。一九三〇年代の大不況のなかで商売がえをせまられた結果、目をつけたのがチューイン・ガムだった。

 現在では、業界のなかでは大手であり、風船ガムのおまけの野球カードは、トップスだけしかつくっていない。いろんな種類のガムをつくっている会社だ。ノヴェルティ・アイテムなど、かぞえあげたらきりがない。バズーカという名前のガムは、この会社のもっとも有名な商品のひとつだろう。誰でも知っている。

 ベースボール・カードをつくるのは、たいへんな仕事だ。ワールド・シリーズが終ると、本社のスポーツ・デパートメントにいる数人のスタッフが、連日、会議を開く。カードに採用する選手の人選だ。その年の成績を徹底的に調べてデータにし、どの選手が落ちるか、どの選手があがるか、推測をまじえて討議する。スタッフの誰もが、大リーグの百戦錬磨れんまのスカウト・マンなみの野球通だ。

 コーチや審判、監督なども含めて四〇〇名くらいの人選ができると、専任のカメラマンふたりがすでに撮影してストックしてあるフィルムのなかから、フィルム選びがはじまる。きめこまかく、慎重に選ぶ。昔は選手たちのポーズも画一的だったが、現在では写真的にも面白くなってきている。

 有名選手でも無名のルーキーでも、カードが印刷される枚数はおなじだ。トップス社が自分のところで考案して特許をとったふりわけ機を使い、かたよりがぜったいにないようにふりわけ、風船ガムといっしょにパックしていく。全米への出荷も、かたよりはまったくない。しかし、キャンディ・ストアで買うと、おんなじカードが何枚もたまってしまう。子供たちからの不満の投書がよく来るというが、こればかりはどうすることもできないようだ。

 カードに採用された選手たちは、主として、印税契約で報酬をうけとっている。その印税は、ひとりあたま年間で四〇〇ドルくらいになる。プールしておいて子供に自動車を買ってあげる選手がいたり、風船ガムと野球は共存共栄のようだ。

 アメリカ人はカードの好きな人たちだから、これまでにありとあらゆるものが、カードになった。エルヴィスもビートルズもカードになった。第二次大戦のころには戦争までカードになり、海兵隊にこてんぱんにやられている日本兵のカードがあったりした。

 例によって、こういったカードのコレクターやディーラーなどがアメリカには何人もいて、一〇〇〇万枚のストックを持ったディーラーなどが盛業中だ。ディーラーやコレクターの年次大会にでかけると、カード・フリークは興奮で気が狂うだろう。

 トップス社の野球カードも、その年のものをひとそろい手に入れようと思ったら、全米いたるところで風船ガムを買いまくるか、ディーラーに頼んでワン・セットを高い値段で買うしかない。野球専門紙『スポーティング・ニューズ』の広告ページを見ると、野球カードの売買や交換の広告がよく目につく。カードというやつは、凝りはじめたら始末に悪いのだが、それにしてもなぜ日本にベースボール・カードがないのだろう。

(底本:『5Bの鉛筆で書いた』角川文庫 一九八五年)

今日のリンク|今日は171年前、野球の初の公式試合がアメリカで行われた日|トップス公式サイト

トップス社公式サイト

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2017年6月19日 00:00