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いま高校生なら僕は中退する(2)

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前回(1)

 僕は高校を卒業した。成績は本当にビリだったと思う。あまりにも桁はずれのビリは、職員会議としても問題にせざるを得ない。特例中の特例としてその問題は解決された、という話を僕は信頼すべき筋から聞いた。卒業したのではなく卒業させてしまえ、ということだったようだ。

 その僕は、あろうことか、大学へ進学した。進学に関して、きちんとした自覚はいっさいなかった。大学でなにを勉強したいわけでもなかったが、大学へいくという意志はあった。四年間の猶予を選ぶ、という意志だ。試験で〇点を取り続けた高校生は、猶予を持たない場合の危険性を察知するほどには、成長していた。

 いま僕が高校生なら、すでに書いたとおり、僕は絶対に中退する。なんとか高校生を続けていくことに、意味はなにひとつない。成績不良で二年生に進級することは出来ず、そこで中退の意志を固めてそのとおりにする。

 高校中退の問題以前に、高校に入れるかどうかの問題がある。高校だけが存在しているのではなく、高校の前には中学が、そしてそのさらに前には小学校が、存在する。中学生の僕は、これは絶対に不登校生だ。非行に走っても意味はない、攻撃的になっても得るところはごく少ない、という程度の判断は出来ると思うが、学校のすべてがとにかく大嫌いということは、僕の場合ならあり過ぎるほどにある。

 それほど嫌いなら、成績は最悪にきまっている。だから高校にはまず入れないのではないか。 いま僕が高校生だったら、という仮定はそもそも成立しない。小学生の僕も、おそらく決定的な不登校児童になるだろう。中学にも入れない。

 幼年期から大学にいたるまで、日本の教育システムは、時代遅れの国策に寄り添うだけでそれ以外の機能を果たしていない。ひとりの人の真の幸福など、そんなものどうにでもなれという立場で、日本の教育システムは稼働している。

 いま僕が高校生なら、一年生を終えてそこで中退だ。明日から学校にいかなくていい、ときまった日の次の日は、本当に学校へいかなくてもいい日なのだ。高校とはもはやなんの関係もない自分が、その日のなかにいる。せいせいした気持ちになるはずだ。嫌なものや好かないものから解き放たれたことによる消極的な快感ではなく、もっと積極的なうれしさを、十六歳の存在ぜんたいで、僕は感じるだろう。自分は唯一の正しい道を選んだという自負に支えられた、充実感だ。

 そして、さて、どうするか。仕事をしなければならない。十六歳の僕になにが出来るのか。 満足に出来ることは、なにひとつないはずだ。高校を一年で中退した、十六歳の少年の体があるだけだ。その体ひとつで、身を粉にする、という働きかたをするのが、もっともまっとうだろうと僕は思う。どんな仕事があるだろうか。

 いろいろあるはずだ。身を粉にするのはいいけれど、粉にするはじから消えていくような虚しい仕事は、なんとしても避けたい。十六歳の高校中退少年ではあっても、その少年が身を粉にするときに発揮されるなんらかの力が、たいへん善きこととしてほかの人たちに伝わり、そのことをとおしてほかの人たちを助けることが出来るなら、その仕事はひとまず天職のような最高の仕事だろう。十六歳の、なにも出来ない、なにもしたことのない少年に、このような質の仕事があるだろうか。けっしてなくはない。老人の介護の仕事など、まさにこのような仕事なのではないか。

 東京にいるのは嫌だ。ただいるだけで引き受けざるを得ないマイナスの要素が、東京にはすでに限界を越えて多い。僕の好みとしては、四国あるいは瀬戸内沿いのどこかで、老人の介護の仕事で身を粉にする。地方自治体の末端組織のアルバイトでもいい。どこかの老人ホームに雇われてもいい。雇用先がどこであろうと、仕事はおなじだ。人の助けを必要としている老人たちのために、十六歳の力を使うことが出来るなら、それで充分だ、それ以上は望まない。

 この仕事で身を粉にするひとりの少年が、地方都市の片隅で生活出来ない、ということはないと思う。十年続ければ、数知れぬ修羅場をかいくぐった、たいへんなヴェテランになれる。それでも僕はまだ二十六歳なのだ。十年のあいだにあの世へ見送った老人の数は、百人を下りっこない。自分とはどこでなにをどのようにして生きる人なのかということに関して、そのような十年を経ることによって、透徹した基礎が出来るに違いない。

 高校を中退せずになんとか卒業し、なんとか大学に入り、そこも卒業してどこかの会社に就職して二十六歳になっている場合の自分は、これは文句なしに悲惨さのきわみだ、最悪の事態だ。日本の教育システムは、悲惨さのきわみである最悪の事態に、これからも大量の人材を注ぎ込もうとしている。

 日本の教育システムは、人材のすさまじい無駄づかいのためにある。世界でもっとも非科学的なそのシステムのなかでは、どの人もなんら生かされることなく、ただ頭数になるだけという悲惨な運命を、幼年期から始まって一生ずっと、背負わなくてはいけない。高校の中退であれなんであれ、このシステムから離脱するのは、きわめて正しいことだと僕は思う。

→完[全2回]

(『坊やはこうして作家になる』2000年所収)

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2000年 『坊やはこうして作家になる』 学校 戦後 日本 高校生
2017年3月7日 05:30
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