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「真珠湾」よりも大切なこと

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いま必要なのは“言葉の関係”に入ること

 ハワイのオアフ島、真珠湾のアメリカ軍基地を、日本軍が奇襲攻撃して太平洋戦争がはじまった日から、五十年が経過しようとしている。真珠湾攻撃の五十周年記念だ。これを機会に、アメリカでは日本との摩擦がさらに高まり、日本を攻撃したり排斥したり叩いたりする気運がこれまで以上盛んになるはずだ、という調子の文章が、いわゆるマスコミにかなり多くすでに登場している。真珠湾をそのような低級なアジテーションの枕に使ってはいけない。

 日本人のあいだでは、真珠湾は相当に風化したと言われている。ハワイを観光旅行している日本の若い人に、真珠湾攻撃を知っていますかと質問すると、なんのことだかわからず、ただ首をかしげるだけの人がたいへん多い、といった話をよく耳にする。日本人がどれだけ忘れようと、あるいは忘れたくとも、そして真珠湾をスタートにした、不幸で悲惨な戦争の被害者の側へいくらまわりこもうとしても、アメリカで真珠湾が風化することは絶対にない。五十周年を機に、日本にいろいろと難ぐせをつけるような言動がアメリカのマスコミにも出てくるかもしれないが、そういうものは三流の人がすることだから、相手にしないほうがいい。

 真珠湾はいまでもひとつの事実をはっきりと教えてくれている。国際関係はさまざまな利害の複雑で深刻な衝突の関係であり、どの国も自国の利益を最優先させるために、いかに冷酷非情な手段と言えども、ためらうことなくきわめて巧みに、当然のことのように採択する、という事実だ。

 戦後の日本は、ただひたすら経済活動だけにかまけてきた、と多くの人が言う。戦後の復興から高度成長へ、そして世界一の金持国家へと、人々の働きぶりや民生技術の応用革新などに支えられて、日本の経済活動は成功してきた。いいものを出来るだけ安く作り、出来るだけたくさん売るという活動がいまの日本を作った。

 経済活動だけをおこなってきた日本は、どこの国とも経済関係だけを結んでいればよかった。しかし経済は政治と不可分であり、これだけのパワーになってくると、経済つまり数字や物品だけの関係ではすまなくなってくる。文化ぜんたいの関係。ごく簡単に言って言葉の関係に入らざるを得ない。言葉の関係に入ることを拒否したなら、それは自殺することとほぼおなじだ。

 いまの日本で、言葉の関係、などと言うと、誰しも平和を望んでいることは確かなのだからよく話し合えばわかってもらえるはずなどというようなことを、多くの人は頭に思い描いてしまう。何語で。どんなスタイルで、いったいどのような哲学を話し合うというのか。ごく基本的な初歩のところでなにも修羅場をくぐっていず、したがってセンスも経験の蓄積もなにもないまま、かつて一度もなかった激動の国際関係のなかへ日本はほうり出されつつある。米ソ二極対立という枠組の内部におさまって比較的に安定していた世界は、ばらばらに解き放たれ、どの国も自分の利益のために、あらゆる国を相手にあらゆる関係を錯綜して結ばなければならないという、日本にとってはたいへんに不得意に見える世界しか、前方にはない。

「死んじまえ」とさえ言われなくなったなら

 その世界が日本をどう思っているか端的に示しているものを、ひとつだけ紹介しておこう。アメリカ国内で放映されたTVのニュース番組という、資料と出来事のちょうど中間のような領域にふと見かけた、言葉の関係の一例だ。

 日本の経済力がヨーロッパの内部へ本格的に入っていこうとしている様子をごく表面的にスケッチしたそのレポートは、『NOと言える日本』という本の英語版を画面にアップにして見せたあと、次のようにしめくくった。

「ノーと言える日本を待ちかまえているヨーロッパが、その日本に対して用意している言葉は、ドロップ・デッド(いますぐこの場で死んじまえ)だ」

 日本に対してヨーロッパが「ドロップ・デッド」と言うことをアメリカは望んでいるし、アメリカもそう言いたいのだ。しかし、ドロップ・デッドと言われているうちは、まだチャンスがある。ドロップ・デッドのひと言をきっかけに、自分にとっても相手にとっても、ドアをいまよりもっと大きく開いていく機会をさまざまに作り出していくことは、実際には充分に可能なのだから。そしてそうしなければ、どちら側にもドアを大きく開かなければ、日本にとって進むべき肯定的な道はない。

 どんなことがあっても、日本はドアを閉ざしてはいけない。ドアを閉じたらおしまいだ。そして多くの日本の人たちはすぐにドアを閉じてしまうことが、たいへんに得意なのではないだろうか。あるいは、自分がドアをぴったりと閉じていることに、まったく無自覚で気づきもせずにいることがたいへんに得意なのではないだろうか。

「ノー」と言わされた日本人

 無自覚にも冷たくぴったりとドアを閉じてしまい、そのことにまるで気づかないままに、ドアを閉じた自分を全世界にあっさり見せてしまうという、すくなくとも公式の場では絶対にあってはならない一例を、さきほどの例とおなじアメリカ国内のTVニュース番組で僕は見た。

 ゴルバチョフが日本を訪れたとき、CBSのイーヴニング・ニュースという番組は、三日ほどにわたって一項目ずつ、関連する短いレポートを報道した。その項目のなかのひとつに、ゴルバチョフは日本へおカネをもらいに来た、というテーマがあった。

 誰でも知っている日本の大企業の、かなりの要職にあるらしく見うけられるひとりの日本人中年男性が、会社の自室のデスクで、イーヴニング・ニュースの特派記者のインタヴューを受けた。インタヴューアーであるアメリカ人記者は、彼に次のように言った。

 「いまソ連国内は大変で、ゴルバチョフさんの今回の目的は、まずなんと言っても、日本からの経済援助でしょうね。どうですか、彼は目的を達成することが出来そうですか」

 こういう質問のしかたは、きわめて教科書的で定石的なものであり、したがって教科書のなかでしか使うことの出来ないようなものだが、日本を代表する大企業の、個室を社内に持つほどの地位の男性は、こんな質問を受けてしまった。彼は頭からなめられたのだ。なめられるに値する理由があったにちがいない。こんな質問でも充分に引っかかってくれる、という判断のもとに、その記者はわざわざこう言ったのだ。社名も彼の名も僕はうっかり見落としたことにして、その彼は英語で次のように答えた。

「ディペンズ・オン・ハウ・マッチ・ヒー・イズ・エクスペクティング(ゴルバチョフさんがどのくらいの額を頭に描いているかにもよりますよ)」

 彼は得意そうににこにこ笑っていた。ごく初歩的な罠のような軽いジャブを、自分はうまくかわしたと思ったのだろう。彼のこの返答に対して、その記者は、

「ヒー・シュドゥント・エクスペクト・マッチ(あまり多くを望んでいけないということですね)」

 と言った。なんということもない、ごく定石的な問いかえしだが、ジャブをかわしたつもりでいい気持ちになっている相手を、冷静に見ながらストレートを放つ間合いを計っている。

 間合いを計っているその記者に、我が大企業要職氏は、得意の頂点に達しつつ、

「ノー」

 とひと言、明確に、答えた。彼は自分で自分にストレートを放ち、命中させた。日本人英語ならイエスと言ってしまうところだが、反射的に正しくノーと出たかぎりではめでたいが、修羅場にのぞむにあたってのセンスの準備や、修羅場のなかでの体験の蓄積などなにひとつないと、さきほど僕が書いたのは、たとえばこのことだ。

 ノーと言うならもっとほかに有利な言いかたがいくらでもあるのだが、いちおう喋れてはいても質的には片言の外国語だから、これ以上は望むべくもない。それに、自分が属している私企業ひとつだけを、この人は代弁している。そのことによって国益とは対立している。無尽蔵に資金を注ぎこむわけにはいかないけれど、とにかくなんとか力を合わせてソ連を助けなくてはいけない、というコンセンサスはすでに世界ぜんたいのものだ。それをむこうにまわして、こうもあっさりノーと言った、あるいは言わされた様子は、見事と言うほかない。

ドアは確実に閉じつつある……

 インタヴューした記者は、このようなノーのひと言を、画面と音声におさめたかったのだ。最初から計算があったにちがいない。世界の大問題であるソ連経済に関して、かくもあっさりノーのひと蹴りをくれてしまう日本、というものを記者は自分のレポートのなかに出したかったのだ。そして彼はそのことに完璧に成功した。国際関係という修羅場の経験ゼロから来るナイーヴさが、このようなノーのひと言の背景にあることを、世界は知らない。もし知ったなら、こんどはそのことを逆用されるだけだ。

 これからの日本が世界ぜんたいを相手にして結んでいく関係は、興味深さや面白さにおいては、ほかにくらべ得るものがないほどだ。と同時に、やっかいでつらいと言えば、おなじくこれにまさるものはない。人々のあいだで広く進行している、すさまじいまでの質的な低下は、ドアを閉じる方向に作用する力になっていると、僕は感じている。

(雑誌「BART」1991年8月、特集「日米開戦から50年 僕たちの、真珠湾」寄稿)

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1991年 アメリカ ハワイ 太平洋戦争 戦争 戦後 日本 真珠湾攻撃 言葉 雑誌「BART」
2016年12月31日 05:30
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