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じつはホットなままに

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 僕が初めてワープロを使ったのは、一九八〇年代のなかばではなかったか。オアシス・ライトという機種だった。直訳すると、オアシス軽だ。この軽便型のワープロは、蓋を閉じてデスクの上に置いてある様子を観察すると、信じがたいほどに安物のポータブル・タイプライターに見えた。黒灰色としか言いようのない、趣も美意識の発露もおよそ皆無の、小型なのに押し黙って妙に重い、造形的にはどうにもならないものだった。

 量販店で見かけて、使ってみようか、となんとなく思った。だからそれを買って自宅へ持って帰り、夜にさっそく使ってみた。ある程度までの機械や電子装置、キーボード操作などに、僕はいっさい抵抗を覚えない。操作のしかたはマニュアルを見ればわかった。たいそう単純な機能だったからだろう。

 液晶表示の画面は小穴と呼んだほうがいいほどのサイズだった。万年筆のキャップを横に置いたくらいの大きさの表示窓だ。そしてこの窓に表示されたのは、じつにわずか七文字だった。

 七文字しか表示しないワープロは、社内で試しに作ってみたらみんな笑った、という程度のものではないかと僕は思う。けっして製品ではないし、試作品ですらないはずだ。しかし日本の会社は、それを新製品として市販した。いい度胸だった、と書いておきたい。

 しかし七文字で僕には充分に役に立った。キーボードを見ながら片手でつまびくようにキーを操作した。平仮名の部分はいっさい確認しない。そして漢字の確定だけを、表示窓を見て確認した。表示窓の基本機能は、少なくとも僕にとってはそれだけのことでしかないから、表示数は七文字で充分だった。

 書くべき文章は頭のなかで出来ていく。万年筆で紙に書くにしろ、ワープロのキーをつまびくにしろ、頭のなかに出来ていく文章を、目に見えるかたちで固定していくだけだ。万年筆で書いていくときには、いままさに書きつつある一文字を中心的に見ながら、書いたばかりの数文字をなんとなく見ている。手をとめて読みなおしたりしないなら、七文字しか表示しない窓をときどき見ながら書き進んでいくのと、ほぼおなじことではないか。

 このワープロには逐次印刷という機能があった。確定するはじから、文字が印字されていくのだ。書いた部分をどうしても見たければ、印字されているのを見ることが出来た。短いエッセイを僕はこのワープロでたくさん書いた。締切りが毎日あった。僕にとってはこれがバブルだ。バブル期には多くの企業がだまされて情報誌を発行したからだ。

 このワープロをどのくらいの期間にわたって使ったか、正確には覚えていない。三年も使っただろうか。使用していた期間には、短いエッセイはすべてこのワープロで書いた。短いエッセイならこのワープロ、という条件づけのなかに僕はあったようだ。

 次に市販されたオアシス・ライトの表示窓は、二十字で二行だった。これでもまだ試作品の域を出ないはずだと僕は思う。しかし市販されたこれを使って、小説にせよなににせよ、すべての文章を僕は書いた。書いたばかりの文章が、都合のいいことに二十字で二行いつも見えているのだし、僕が書くのは文書ではなく、終わりまでひとつにつながった文章だから、二十字二行の表示は、たいへん適していたとも言える。しかし会社の文書を作る人にとっては、ほとんど使いようがなかったのではないか。

 このワープロが市場にあった期間は短かったろうと思う。それでも僕は五年以上は使ったような気がする。四台つぶしたのを覚えている。じつに故障らしい故障を起こして、四台ともある日のこと使えなくなった。修理はせず、おなじ機種の新品を買って使った。故障したのをひとまず物置に入れるとき、ふと裏を見たら、型番や社名が記載してあるところに、文書作成機という言葉が使ってあるのを、僕は見た。ワープロとは文書を作成するための機械であり、基本的には会社の備品となるべきものなのだ。

 いま使っているワープロは、二十字詰めで二十行の文章が、画面に表示される。一行ずつスクロールされていくから、ひとまず二十行だけ書けば、そこから先はいつも、四百字詰めの原稿用紙一枚分の文章を、僕は画面で点検することが出来る。

 僕のデスクの上にあるそのワープロの造形は、いまだに美しくない。キーボードのタッチはたいそう重要な問題だと思う。七文字や二十字二行の表示しか出来なかったワープロは、キーのタッチもひどいものだった。いま使っているワープロのキーは、それらにくらべるとはるかにましだが、僕が考えている標準値には、まだ到達していない。最新の機種では、もう少し改良されているかもしれない。

 限られた時間のなかでかなりの量の文章を原稿用紙に手書きするのは、その作業のために書き手の体のほとんどすべてがかなり強く拘束されるという意味において、肉体的には使役ないしは労働だと言っていい。

 机の上をある程度まではかたづけ、原稿用紙をきちんと置き、好みの万年筆とインクとを用意し、机に向かって正しくすわり、片手で原稿用紙をほどよく押さえつつ、もういっぽうの手に持った万年筆で、枡目ひとつひとつのなかに、自分の手で文字を書かなくてはいけない。

 自分の字を見るのが嫌な僕でも、この労働を苦痛だと思ったことはない。かたちとしては使役や労働であっても、それを中和してあまりある快感の、発生源でもあるのだろう。枡目を埋めていく自分の字に心酔することの出来るタイプの人なら、快感はもっと大きなものとなるはずだ。文章を作っていく頭と、それを固定する手先とは、おそらく複雑きわまりないかたちで、連携している。手書きのときの頭と手との連携と、ワープロのときの頭と手の連携とのあいだに、質的な差はあるだろうか。質的な差とは、書いていく文章の視点や組み立てに、違いが生まれるかどうかというようなことだ。

 差はある、と思っていたほうが、態度としては科学的だろう。手書きの場合、頭と手とは、どららかといえばホットにつながっている。とにかくここまでこう書いたのだから、ここから先もこの方向で書き進むほかないと手書きの場合は思うのではないか。確たる根拠はなにもない。僕がそうだというわけでもない。仮説だとしておこう。

 ワープロで書く場合、画面に表示されている文章をふと点検すると、弱点が一目瞭然だ。少なくとも僕の場合はそうだ。視点の取りかた、書き進めていく順序、ひとつひとつの事柄にふさわしい適量の文字数、最適切な言葉、どのような論理のもとに句点を打ち、どこで行を改めて節としていくか、といったことすべてにかかわる判断が、きわめて冷静に、そして願わくば正しくなされていく状態というものは、ワープロが作り出した領域だ。

 基本的には頭で書く性質のものである文章というものは、生来的にはホットなのだ、と僕は思う。その人なりにホットである主観を、いかにしてクールに抑制し、客観に見せかけるか。文章を書くにあたってなされるあらゆる工夫は、このことのためになされる。主観のままでは多くの人を説得するのは難しいからだ。

 僕が書く文章は、すべての責任は自分だけにあるという種類の、まったく個人的な文脈の文章だ。出来上がった文章にホットさは感じられなくても、このような文章はじつはホットなのだ。ホットなものをホットには見せずにおくという体験を、ホットな手書きで大量に積んだのち、ホットなものをクールに点検出来るワープロで、じつはホットなままに、いまも僕は書いている。

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年

|制作舞台裏|書くことの根幹へ|斉藤典貴(晶文社編集部)

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11月11日刊行!『万年筆インク紙』

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自分の思考が文字となって紙の上に形をなす。
頭の中にうかんだ小説のアイディアをメモするための万年筆、
自分の思考をもっとも良く引き出してくれるインクの色、
そして相性のいいノートブックとは──。

作家・片岡義男が道具から「書く」という仕事の根幹について考えた
刺激的な書き下ろしエッセイ。


晶文社|ISBN:978-4-7949-6939-2 C0095|定価:本体1800円+税|四六判変型|288頁

デジタルの光で観る|『なにを買ったの? 文房具』

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新刊刊行に合わせて、サポータ用の写真アーカイヴ「片岡フォト」から『なにを買ったの? 文房具』を一般公開中。写真を選んでクリックすると一枚単位で拡大できます。ステッドラーのブルーの水彩色鉛筆もじっくりご覧になれますよ。

タグで読む01▼|文房具

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片岡作品の代表的なキーワードを選んで作品をご紹介する企画、第1回は「文房具」です。エッセイや小説の末尾にキーワードがこんなふうに並んでいますが、

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これを“タグ”といいます。このタグをクリックすると、キーワードに関連した作品をまとめて読むことができます。まだ作品の少ない言葉も多いのですが、ある程度まとまってきたものを中心にご紹介してゆきます。

関連エッセイ

11月12日|万年筆についての文章


11月11日 |人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ


11月7日|二百字詰め原稿用紙八百枚


10月26日|自分のことをワシと呼んだか


3月19日|自分らしさを仕事にする


4月1日 |なにもなしで始めた


1月4日|[オリヴェッティのタイプライター]


2000年 『坊やはこうして作家になる』 ワード・プロセサー ワープロ 万年筆 原稿用紙 書く
2016年11月16日 05:30
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