
わたしの片岡義男 No.13吉田保「『日本語の外へ』の頃」
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世の中が変わるかも
ぼくが片岡義男氏の本を初めて読んだのは『ぼくはプレスリーが大好き』だった。高校二年生だったと思う。東京に行っていた五歳上の兄の本棚にこの本を見つけ、たぶん時間つぶしぐらいのつもりで、手に取ったのだろう。その頃、角川書店の赤い背表紙の片岡氏の文庫本は書店の棚のかなり大きなスペースを占領していたと思うが、ぼくは一冊も読んでいなかった。
『プレスリー』を読み、「世間では単なる流行作家のように思われてるが、この人はちょっと違う」と、自分だけの発見をしたように思ったのをいまでも覚えている。
ぼくが出版社に入社し、最初に立てた企画が片岡義男氏の本だった。80年代後半から片岡氏がカルチャー誌や男性誌などに書いていた、もはや評論と言ってもいいようなかためのエッセイを集めて一冊にするつもりだった。一冊分以上のボリュームはすでにお書きになっていたと思う。
社内的には、あんな売れっ子作家がこんな小さな出版社(総勢五人くらいの出版社だった)で出してくれるはずがないと言われたが、とりあえず手紙を書いてみれば、と言われた。
待ち合わせに指定された銀座の喫茶室で初めて会った片岡氏はカウボーイ・ブーツを履いていた。あの靴音をいま思いだした。片岡氏は、「君が集めてくれたものをもとにして一冊書き下ろします。一年で」と握手してくれた。ぼくは大喜びした。
もちろん、この評論集は一年で書き上がることはなく(この世界での口約束はそういうものだとあとで知るほどの駆け出しだった)、それから毎月ワープロ打ちされた数枚の原稿を片岡氏から受け取る日々が続くことになる。
最初に片岡氏から原稿をもらったときから、これはすごいものが出来ると思っていた。卓見に満ちた文章が毎回そこにはあった。この本が出版されたら「世の中が変わるかも」とまで思っていた。
結局、ぼくが編集担当をした片岡さんのこの評論集は、出版までに六年かかった。その間にぼくはふたつの会社をやめ、フリーランスになっていたため、この本は『日本語の外へ』というタイトルで1997年に筑摩書房から出版されることになった。

『日本語の外へ』
『日本語の外へ』は話題になり、四千円もする値段のわりによく売れ、とりわけ村上龍や高橋源一郎といった作家たちには大きな驚きをもって受け取られたようだった。
出版パーティでたまたま会った筑摩書房のお偉いさんからも売れ行きを褒められたが、これで世の中が変わるということはなかった。
とても残念なことだといまでも思っている。
フリースタイル|編集長 吉田保
今回の一冊 電子版『カーニヴァルの女』(1975年)
吉田保さんの文章に登場する「プレスリー」に関する一篇として、小説デビュー作『ロンサム・カウボーイ』から『カーニヴァルの女』をピックアップ。
手で触れることのできる夢に、
身を投じた女の人生
ひとときだけ挿入されるカーニヴァルという非日常
主人公の女性にとっては逆に日常の住処となる
ベッドルームのジュークボックスにはただ1枚、
プレスリーのドーナツ盤だけが入っている