アイキャッチ画像

わたしの片岡義男 No.4石田千「彼らと愉快に過ごす」

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

石田千(いしだ・せん)さんは、小説家、エッセイスト。2001年に『大踏切書店のこと』で第1回古本小説大賞を受賞してデビュー。多数のエッセイのほか、小説に『きなりの雲』『家へ』などの作品があります。1月26日に連作短篇集の『ヲトメノイノリ』(筑摩書房)が発売されたばかり。
ひとが生きるうえで大切なこと

 北村君の部屋から、枝ぶりのいい柿の木が見える。一年ごとに、実がなる。
 うちはマンション住まいだったから、磨きこまれた木の階段を、とんとんのぼっていくのがめずらしかった。
 小学校の五、六年と中学校の一、二年の同級生で、高校、大学は別になった。それでも、近所だから、長い休みに入ると遊びにいって、あれこれ話す。うまがあうので、それぞれ恋人ができても変わらなかった。

 片岡義男さんの本は、北村君から借りるたび、手元に置きたくなって買った。そのなかでも、『彼らと愉快に過ごす』は特別な一冊で、ひとに見せると欲しいといわれてなんども買った。
 文具、食器、アウトドア用品。108の品物が、作者による写真と、みじかい文章で紹介されている。どのページにも、静物画のまえに立つような緊張と安堵、清潔な空気を吸いこむ。

 雑誌全盛のころで、いろんな雑貨がにぎやかに紹介されていたけれど、片岡さんの文章はまるで違った。
 リーヴァイスの歴史、コパトーンの甘ったるいにおいに沈む戦争の現場。いずれも、わけしり顔、もの知り声ではない、静かな語りで学んだ。文章は、なによりひとつひとつの品物たちが、誠実であろう、善くあろうと生まれたものであることを伝えていた。
 ひとが生きるうえで大切なことは、一枚のバンダナの花のもように、キャンプの夜におこしたちいさな灯に、ひっそりと咲くことを、この本で知った。

 ほかにも、平野甲賀さんのすばらしい装丁を、ナショナル・ジオグラフィックを、リチャード・ブローディガンを、エドワード・ホッパーを知った。モノポリーのルール。万年筆の書きごこち。ハーブティー、グリセリン・アンド・ローズウォーターの香りは、いまもこの部屋に漂っている。

 手さげ袋に持ち歩き、くたびれる電車で、教室で、アルバイトの休憩時間に、文字から届く作家の深い声に耳をすますと、息がらくになった。
 荒れた思春期をすごしたので、信頼できるおとなに会えたことにほっとしていた。片岡義男さんの本を読むときは、いまも夏目漱石の本とおなじような包容力と父性を感じる。

 片岡義男さんの作品は、毎年つぎつぎと発表されている。
 近年の作品に、町やひとの過去と現在を検証して語りあう場面があった。
 小説のなかに流れる二十年に、なんとか過ごしてきた二十年をかさねて読んでいる。それは、もっとも幸福な読書と思う。

 片岡義男さんの本を教えてくれた北村君は、いまはイラストレーションと写真を仕事にしている。いっしょに本も作った。柿の木は、いまも一年ごとに甘い実をつける。
 片岡義男という作家が、ふたりの大学生にあたえた道しるべがどれほど豊かなものだったか。いまにしてわかる。

小説家・エッセイスト 石田千

今回の一冊 電子版『彼らと愉快に過ごす』(1987年)

『彼らと愉快に過ごす』表紙

『ぼくの好きな道具たち』というタイトルの
雑誌連載から出発した写真エッセイ集

作家の身のまわりにいつも存在していて、
必要なときにはそれをおおいに使用し、
役に立てたり楽しんだりしている、
美しい、素晴らしい、楽しい、品物108点を紹介

関連リンク

 


2018年2月5日 12:00

わたしの片岡義男

毎週火曜日更新。作家、ライター、編集者……さまざまな立場から片岡作品への思いを語っていただきました。読んだことのある作品でも違った面が見えてくるかもしれません。