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音楽エッセイ『ロックン・ロール革命の遺産』を公開

音楽エッセイ『ロックン・ロール革命の遺産』(共同通信社『FM fan』/1977年10月〜11月掲載、全5回)を本日公開いたしました。

1950年の日本がどんな風だったのか、掴むのはなかなか難しい。そんなぼくがもし1950年をいま思い出そうとするなら、歌に頼るほかない。アメリカの歌だ。いまでも記憶している数々のアメリカの歌が、当時のぼくにとっても最も身近な「肌ざわり」として残っているからだ。タイトルを並べると、それは総括的にはアメリカン・ポピュラー・ミュージックだろう。ジャズのスタンダードやカントリー・ソングの大ヒットや名曲など、さまざまだ。日本でも少しあとになって流行した曲がたくさん含まれている。そして、ロックン・ロールを通して、ティーンエージャーたちは「大人はいやだ」と言ったのだ。

(『FM fan』1977年10月3日掲載)

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1950年代の日本には、「若者」というユース・マーケットがまだなかった。経済や産業がまだそこまで発展していなかったからだ。当時の日本で「若者」といえば、勤労しつつなんらかの思想や哲学を学びつつある青年とか、お祭りにフンドシをしめておみこしをかつぐ青年というようなニュアンスでしかなかった。「子供」と「大人」だけがいて、「若者」はいなかったし、「若者文化」も当然のことながらなかった。だが、アメリカのポピュラー・ソングや欧米の映画のように、自分たちだけの興味の対象を大人の世界の中に見つけ、ひそかに自分のものにしていた。

(『FM fan』1977年10月17日掲載)

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ビートルズの4人は、1950年代にはティーンエージャーだった。彼らの音楽の中核はロックン・ロールだ、とは言いきれないと思うけれど、自分たちの道を歩みはじめるにあたって、ロックン・ロール、さらには、その土台となっていたリズム・アンド・ブルースに大きく勇気づけられたことはたしかだ。彼らは50年代と深く複雑につながっている。その50年代の象徴としてなにかひとつだけ取り出すなら、それはエルヴィス・プレスリーだ。しかし、いま20歳の青年が、ビートルズを頼りに1950年代のロックン・ロールにまでさかのぼり、そこから黒人のジャンプ・ブルースまでなんとか理解できたとしても、そこから自立のパワーのようなものをすんなり受けとめ、吸いとることができるかというと、そうはいかないのではないのか。

(『FM fan』1977年10月31日掲載)

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いま、レコード店へ行くと、レコードの数がものすごくたくさんある。日常生活のあらゆるところに「音」がある。1950年代はおろか、ビートルズやそのあとに続く音楽すら直接には知らない世代の人たちは、無数に近く存在するあらゆる種類の「音」に、同時に接するのだ。これは、たいへんにSF的な状況だとぼくは考えている。ぼくがいま、なにも知らないけれども「音」に対する好奇心はいつも持ちあわせている中学生だったら、その好奇心を満たすために完全に「音」狂いになってしまうだろう。無秩序にかたっぱしからレコードを聴いて、アメリカを中心にした音楽のあらゆるジャンルを合計で1000枚くらい聴いて、どうにか人心地がつくのではないか。

(『FM fan』1977年11月14日掲載)

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ロックとかフォーク、あるいはそのふたつにオーディオをかませた内容の、いわゆる若者向け音楽雑誌は、ぼくにはとても素寒貧なものに感じられる。レコード店の片隅で売っているような雑誌も含めて、手に入るかぎりの音楽雑誌を買いこみ、ぼくは読んでみた。圧倒的に多いのは、外国のミュージシャンについて書かれた文章だ。アルバム・レビューとならんで、日記や手紙に書いておけばそれでよさそうな文章が、自己完結的なコップの中の堂々めぐりをくりかえしている。しかし、おカネを出して音楽雑誌を買ってしまう人たちが、この日本に、毎月、何万人となくいるのだ。そうでなければ、毎月毎月、あれだけの数の音楽雑誌が書店にならんだりはしないはずだ。

(『FM fan』1977年11月28日掲載)

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2023年4月4日 00:00 | 電子化計画

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