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エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』より9作品を公開

エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版/1995年)より9作品を本日公開いたしました。

 五歳の少女にとって、その青年とはじめて会った日、彼女は青年の顔を見ながら、私はこの男性と結婚するのだと、はっきり心に決めていた。彼女が彼と二度目に会ったのは、八年後だった。やがて彼女は彼と結婚し、彼は作家として有名となり娘が生まれる……。ローリー・リー(1914 - 1997)の『ふたりの女たち』という本は、かつては自分が体験した妻との愛の物語を、その妻に生き写しの娘が、インスタント・リプレーのように、同じ量の時間を使って、三次元で再現される、という物語を写真と文章とによって描いた本だ。
参考リンク:『Two Women』A Book of Words and Pictures.

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 ビートルズはたいへんにフォトジェニックだが、少年の頃からリヴァプール時代、ハンブルグ時代、そしてアメリカへ最初にいった頃まで、つまり一九六四年くらいまでは、彼らは絶対にモノクロームだ。ポール・マッカートニーの兄、マイケルが撮影した、スターになる前のビートルズの写真集『マイケル・マッカートニーの白と黒』は、いい写真集だ。特にリヴァプールのキャバンという店で撮られた1枚は、これぞジョンとポール、という感じが強くある。そしてもう一冊、ロバート・フリーマンによる写真集『イエスタディ』もなかなかのものだ。
参考リンク1:『John Lennon and Paul McCartney with Gene Vincent, The Cavern Club, Liverpool』by Mike McCartney;
参考リンク2:『YESTERDAY, The Beatles 1963-1965 by Robert Freeman』

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 ロバート・フリーマン(1936 - 2019)はザ・ビートルズのアルバムジャケットを多く手掛けた写真家。彼がある期間にわたってビートルズを撮りつづけたことによって生まれて来た写真集『イエスタデイ』は、紹介するに足る面白い出来ばえの写真集だ。フリーマンはザ・ビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ!』『ラバー・ソウル』『ウィズ・ザ・ビートルズ』なども手掛けているが、ザ・ビートルズという存在自体、カメラの被写体としてもたいへんに面白い存在だったとぼくは昔から思っている。
参考リンク1:MutualArt「Robert Freeman」
参考リンク2:SAN FRANCISCO ART EXCHANGE LLC 「ROBERT FREEMAN」

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 マイク・エヴァンスによる画文集『ビートルズの芸術』は、1984年にリヴァプールで行われた、ビートルズに関係するヴィジュアル・アートを集めた展覧会の作品を集めた本だ。アート・スクールの学生だったころから、ナショナル・チャートで第一位をとったグループになるまでの期間のビートルズの写真は、その後に比べて圧倒的にモノクロームだ。この時期の彼らにモノクロームの写真はよく似合っている。彼らのスタイルは最初からきわめてフォトジェニックであり、経験と才能豊かな写真家がモノクロームで捕まえるには最適な対象だった。
参考リンク:Mike Evans『The Art of The Beatles』(1984)

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 ニューヨークの演劇界を中心的な仕事の場所としていた写真家ロイ・シャット(1909 - 2002)の写真集『ジェームズ・ディーン あるポートレート』(1982)を手に入れたぼくは、大好きなディーンの写真がじつはロイ・シャットの作品だったのだということを、はじめて知った。《破れたセーター・シリーズ》の呼び名で有名なディーンの一連のポートレートは、もっとも広く知られた優れた写真だ。一見スナップ・ショットのように見える写真が多いが、ほんとうはプロの写真家がコンポジションをよく考えて撮った写真だ。ディーンは写真に興味を持っていて、ロイとのつきあいの中心は、ロイからディーンが写真を学ぶことにあった。
参考リンク:ROY SCHATT:WESTWOOD GALLERY

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 マリリン・モンローは自分に対してカメラが向けられているとわかっているときには、いつも必ず唇を半開きにしていた。赤く塗った唇を常に半ば開いている自分、というものを、彼女はカメラに対して意図的に作ってみせていたからだ。彼女は女優であったけれど、カメラのための被写体、と呼んだほうがより正確であるような気がする。自分に向けられているカメラのレンズに対して、その特性のありったけをひとつに絞り込んで与えることに大きな熱意を燃やし、しかもそのことに関して大きな才能を持っていた珍しい存在だった。絵画に描かれたマリリンを収録した本、『アートにおけるマリリン』を見ていくと、彼女がいかに写真的であったか、よくわかる。
参考リンク:『MARILYN IN ART』by Roger G. Taylor

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 モノクロームによるゲイリー・クーパーの写真が、年代順に並べてある写真集をおしまいから見ていくのは、たいへんに面白い。晩年の老いた人が、一ページごとに若くなっていく。年代順に見るよりも、次第に若くなっていくという順番で見たほうが、ゲイリー・クーパーならクーパーの持っていた本質のようなものが、より正確に、より鮮明に、明らかとなっていく。若く美しく、優美にもの静かなゲイリー・クーパーは、写真を頼りに自由に推測すると、無理というものとまるっきり無縁の人のように見える。例えばジョン・ウエインとはまるで反対の世界のものだ。
参考リンク:『LEGENDS GARY COOPER』

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 『ハリウッド製チーズケーキ レッグ・アートの六十年』は、ハリウッドのごく初期から映画界内部でさまざまな仕事をし、最終的にはスティル・カメラマンとしてたいへんな評価と信頼を集めつつ仕事をしたマディスン・S・レイシー(1898 - 1978)が編纂した本だ。全二百八十六ページのなかに、脚線美写真がぎっしりとつまっている。ハリウッド映画が描くさまざまな夢をしっかりと支える役を果たしたのは、美しい女性たちの見事な出来ばえの脚、つまり性的な魅力だった。性のシンボルはハリウッドにおいては大変高度にそして人工的に様式化されているから、写真をながめる行為は二重三重に面白い。
参考リンク:『HOLLYWOOD CHEESECAKE 60 Years of Leg Art』

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 1959年に「アメリカを代表する十人の女性写真家」のひとりに選ばれたアメリカの女性写真家、ルース・オーキン(1921 - 1985)の『モア・ピクチャーズ・フラム・マイ・ウィンドー』(1983)は、写真集『私が窓から見た世界』の続編である。彼女は65セントラル・パーク・ウェストという地点に建つ高層アパートメント・ハウスの十五階にある居間の窓から写真を撮るというやり方で、ドラマの語り方を手に入れた。続編は前作のより具体的な敷衍作業として、上出来の仕上がりとなっている。ルースがコダクローム64に写し取ったドラマに、ぼくの興味はつきない。
参考リンク:「RUTH ORKIN PHOTO ARCHIVE」

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2022年9月27日 00:00 | 電子化計画

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