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片岡義男.com 全著作電子化計画

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連作短編5作品を公開!

雑誌『NALU/ナルー』(枻出版社)に2006年7月号から掲載された連作短編より、5作品を本日公開いたしました。

この作品は、ハワイ・ハレイワで生まれた「僕」の父親の知人一家の思い出を描いたものです。静かに綴られる戦争の悲劇と、戦中戦後をハワイで暮らした日系人たちの心持ちは、エッセイではなく小説として書くことが正しいと片岡義男は思ったのでしょう。だから、タイトルはハレイワの思い出を振り返った話というだけではなく、文字通り、ハレイワを振り返って見る、その視線と風景を意味しています。そして、この物語の語り手である「僕」は、必ずしも片岡義男本人であるとは限らないのです。

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『ことの前のコーヒー』と同じく、自分についての依頼について考えるプロを描く本作は、小説に専念するために海の近くの家に引っ越した三十歳の女性作家が主人公です。彼女は引っ越しの時に、「自画像」というテーマの仕事のことを考えていました。絵でも写真でも文章でも良いから、自画像となるものを一点、そこに短い文章を添えるというものです。作家になる前には写真も撮れるライターだった彼女は、引っ越した部屋で自分の写真を撮る、ひとつのアイディアを思いつきます。そこには彼女らしさが集約されています。

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『私の心の色』は、詩人が主人公の、詩作についての物語です。そして、そこには主人公が書き上げた詩が丸ごと入っています。作中作ならぬ、作中詩です。だからもちろん、その詩は片岡義男が書いた詩ではなく、片岡義男が創作した詩人が書いた詩です。作中作という手法は、様々な小説で取り入れられている手法で、片岡義男も、それこそ作中人物が書いた短編小説が丸ごと入っている短編小説という趣向の作品も書いていますが、この入れ子構造になった物語は、読む側にとって、とても魅力的です。そして、この物語の中の彼女は、自分をイメージしてたった今、書き上げられた作品を読んで首をかしげて笑います。なんとなく「それはそうだよね」と思えてしまうことも含めて、良くできた物語だと思うのです。

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雑誌やWebの記事で使われる写真の多くは、文章の内容を説明したり、分かりやすくするために付けるもので、「絵とき」と呼ばれることが多いのです。この『海の写真を撮る』では、写真の内容について「絵とき」という言葉が使われていますが、古い週刊誌や新聞では、未だに写真とキャプションを「絵とき」と呼んだりしています。そのくらい、写真は説明的なものとして扱われていて、作品としての写真はグラビアページでのみ掲載されるものという常識のようなものがありました。Web記事の多くにライターが撮った写真が使われているのも、未だにこの「絵とき」的な発想が続いているからです。この物語では、絵ときにこだわらない姿勢の雑誌が登場します。それは今読むと、紙メディアの希望のようにも思えるのです。

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初夏の風を感じさせる掌編です。雑誌編集者である友人の百合江と私鉄の駅の側の喫茶店で待ち合わせた、元編集者で現在ミステリ作家の美樹子との会話は、その語り口調自体が、まるで小説の描写のようです。そこで語られるのは、初夏の海辺の潮風を、美樹子がどんな風に楽しんだのかという物語。そして、その潮風をそのまま、百合江は美樹子の身体を通して感じることができます。喫茶店でボンベイ・サファイアを飲みながら交わされる二人の言葉が、潮風のように、ねっとりと絡みついていきます。

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2022年3月11日 00:00 | 電子化計画

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