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【特集】9.11 あれから23年……日本は本当に学んだのか?

【特集】9.11 あれから23年……日本は本当に学んだのか?

2024年9月6日 00:00

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 2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ事件から今年で23年。アメリカは「テロとの戦争」を掲げてアフガニスタン、イラクへの侵攻を行いますが結局失敗に終わります。その結果は今なお世界に大きな影を落としています。この時の出来事は日本にとっても他人事ではなく、これからの国際社会でのあり方を見直すよい機会であったはずです。しかし23年を経た今、当時の経験から日本は本当に何かを学んだと言えるのでしょうか……。
 片岡義男は当時の新聞やテレビの報道で流れて来た言葉から、戦後から続くアメリカと日本のいびつな関係と、これからの日本のあり方について思考を巡らせ鋭く切り込んでいきます。20年前に書かれたエッセイですが、これから日本が今後どう歩んでいくべきかを考える一助になるはずです。

 この特集にあわせ、9.11のテロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)をその建設時から撮影してきた写真家・佐藤秀明さんの写真集『REQUIEM World Trade Center』(印刷版)の特別販売も行います。この機会にぜひお買い求めください。



1)YESのひと言から始まる

「イラクとの戦争後、復興の支援として資金の分担と兵員の提供の要請を大統領から受けたとき、日本の首相がなにを思ったか、想像するのは簡単だ。湾岸戦争の記憶が脳裏をよぎっただろう。資金は相応の分担をする。しかし今回は自衛隊も送ろう。復興支援なのだから、派遣に根本的な支障はない。時限立法にすればなんとかなる。……ほとんど命令と言っていい要請を下す大統領と、その要請を受諾する首相。ふたりの国家元首のあいだにこうして維持される関係を日本から見ると、それが日米関係にほかならない。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


2)この国の動きかた

政府が提出していた有事法制関連三法案が、第一五六回国会(編注:平成15・2003年)で成立することが確実になった。有事立法をめぐって、内容をともなった真剣な論議がおこなわれた形跡は、どこにもない。はっきりしたシナリオがあったわけではないとしても、こうなることは最初からわかっていた。論議の果てに合意に到達したのではなく、初めからそこには合意があった。これがこの国の動きかただ。これまで日本はこれで動いてきた。今後もそのことになんら変わりはない。

(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年所収)


3)主体的に判断しながら様子を見る日本

世界各国の複雑微妙な関係の重なり合いのなかで、日本はどのような考えにもとづいて何をしようとしているのかといったことを巡り、次のような言いかたが特に多用されているようだ。「総合的な見地から判断する」「日本が主体的にきめていくこと」「さまざまにある選択肢のなかから」「慎重に見きわめていきたい」……。こうした言葉が日本政府の面々によって、あらゆる文脈や状況で使われている現実のなかに、いまの日本がある。主体的な判断などなにひとつあり得ないはずなのに、「日本自身の判断としてやっていきたい」などと首相は言う。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


4)主体的な日本を求めて

ブッシュ大統領は二〇〇三年九月七日の演説で、イラク復興への資金的な援助に関して、日本に強く期待していることを述べた。アメリカはいろんなかたちで日本政府へ何度も要請を働きかけた。「日本の国力にふさわしい貢献をする」と首相は言い、「ブッシュ政権を資金面で支えるのは日本にとって当然の義務」と外務省は言った。十月十五日に日本政府は五十数億ドルという援助額を発表した。日本の主体的な判断などどこにもありはしない。主体的、という陳腐でしかもまるで噓のひと言で、首相とアメリカが結ばれていることだけは、よくわかるとしても。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


5)日本の主権のなかにあるアメリカ

二〇〇三年の九月から十月にかけて、イラクの復興支援のため、日本がアメリカから拠出を求められる金額が一兆円はいくだろう、などと話題になった。ここはひとつ気前よく出せよな、というアーミテージ国務副長官の遠慮のない発言の立脚点は安保だ。一九五一年に対日講和条約が調印され、翌年、日米行政協定というものが調印され、日本の主権に対する重大な侵害ではないかと当時の日本で大問題となった。この頃から現在にいたるまで、日本の主権は侵害され続けたのではなく、日本はその主権のなかにアメリカを持ち続けたのだ。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


6)「状況」はかならず袋小路になる

国家が戦場の他国へ軍隊を出すことにともなう責任について、首相は思考をめぐらせたことがあるのだろうか。日本にもっとも良く出来ることを、もっとも必要とされる適切な時期に、全力をあげておこなうことこそ、国際社会のなかでの責任ではないか。派遣の時期はいつなのか、という問題について、しかるべきときにだ、と言えば言うほど、そう言っている当人は袋小路へと追い込まれていく。そしてそこから脱出しようと試みるとき、もっとも陥りやすいのは、拙速という道だ。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


7)現実に引きずられる国

日本政府のような場数を踏んでいない人たちが現実的になろうとすると、現実に引きずられるだけとなる。第9条を現実に合わせれば、日本は武力を外に向けて行使する国になるのだと理解し、周辺諸国は警戒を高め日本との関係を変えていくだろう。日本はアジアのなかで不安定となり、場数を踏んだ国はそれを自国の利益に結びつけるはずだ。不安定な状態となって、そこを巧みに利用される。現実に引きずられるとは、昔も今も変わることなく、そういうことではないか。

(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年所収)


8)そして国家がなくなった

一九九一年の湾岸戦争では金だけを出した日本だったが、アメリカとイラクとの戦争では「実質的には軍隊」と首相が言う自衛隊が、戦場である他国へと派遣された。一九八九年の冷戦の終わりと、戦後日本というシステムのあらゆる部分の崩壊の始まりは、時間的に奇妙に一致している。失ったものをなんとか取り戻そうとする試みの最たるものとして、国際社会での名誉ある位置の獲得が、軍隊の派遣という短絡した方法で、国家によって模索されることになった。その国家は、国家機能の中枢から市民生活の最末端まで、あらゆる領域で崩壊を始めている。

(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 2004年所収)


9)噓と隠蔽の国

日本語が持つ性能のなかで、極めて特徴的な部分は、主観に関わる部分だ。主観と客観のダブルスタンダードは、表面の言葉の裏にあるもうひとつの言葉を、さぐり当てようとする。そしてそこには確かに裏があるという現実と結合すると、ダブルスタンダードは社会システムそのものとなる。経済活動を拡大していく企業群、そしてそれを保護しついにはよりかかるまでになった政や官というシステム全体にとって、もっとも都合のいい状態は、すべてが建前と本音で動いている状態だ。建前とは噓のことだ。その裏面で裏ルールによって行われることが、本当のことだ。しかしそれは知られては困るから、隠蔽するほかない。噓と隠蔽の国は、こうして出来ていく。

(『日本語で生きるとは』筑摩書房 1999年所収)



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片岡義男.comでは、以下の佐藤秀明さんの著作も公開しています。

『グラウンド・ゼロ』

ワールド・トレード・センターが出きあがる1970年代初頭のニューヨークが、貴重な写真と記録で語られる。


世界地図の歩き方33『世界貿易センタービル』

あったものが無となる景色 どうして悲しくフォトジェニックなのか。