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ピーナツ・バターで始める朝

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 ピーナツ・バターとの久しぶりの再会をいま僕は楽しんでいる。10年ぶり以上、15年くらいにはなるかもしれない。しかし20年にはなっていない。などと言いながら、10年や20年、あっと言う間だ。

 うれしい再会だから、なかに詰まっている淡い褐色のピーナツ・バターが見える透明な瓶を、思わず指に力を入れて持ったら、親指側とその反対の中指側とで、それぞれ数ミリずつ瓶がへこんだのには少なからず驚いた。そうか、かつてはガラスの瓶だったきみも、いまではプラスティックなのか。かつてのガラス瓶はごく平凡なものだったが、縦横と直径の相互比率がたいへん良く、したがってそれなりに雰囲気をたたえていた。もちろん蓋は金属製だった。いまは瓶も蓋もプラスティックだ。しかし配色の基本は変わっていないから、ひと目見ただけで、あ、あれだ、とわかる。

 あれとは、スキピーというブランド名の、アメリカ製のピーナツ・バターだ。スキピーを音声にすると、日本語でのきわめて端的な意味を持った、しかも普遍的に通用するあるひとつの単語を連想させるがゆえに、ハワイやアメリカの日系社会の日常では、単なるピーナツ・バターであることを少しだけ超えた位置を得ていたが、そんなこともすでに昔語りのひとつだろう。

 僕が買った14オンス340グラムのひと瓶は、スーパー・チャンクという種類だ。以前はチャンキーと言っていたように思うが、いまはスーパーチャンクだ。チャンキーには、でぶっちょ、という意味もあることだし。見事なまでに細かく均一な粒子へと練り上げられた、ほど良い粘性のあるクリーム状のスタンダード仕様に対して、ピーナツの小さなかけらが口のなかでそれと感じられるほどに混入されている仕様が、スーパー・チャンクだ。

 チャンクとは、かなりの容積のあるひとかたまりのことだ。その容積のもっとも小さい例が、このスキピーのスーパー・チャンクのなかにある、ピーナツの小さなかけらだろう。スーパー・チャンクに相当する日本語の表示は「粒入り」だが、ピーナツの粒ぜんたいが入っている、という誤解をあたえそうだと僕は思う。

 今日もまた平凡な一日の始まりに、あるいはそのような一日のなかば、午後の曖昧な時間、ちょっとお腹が空いたときに食べるものとして、ピーナツ・バターはスタンダードのひとつだ。できるだけ普通の食パンのスライスを、トーストしてもしなくてもいいから、その片面をピーナツ・バターを塗りつけるための平面として利用する。もうひと切れのスライスには、葡萄のジェリーを塗りこめる。そしてこのふたとおりのスライスどうしを貼り合わせ、かぶりついて噛み切り、ほど良く噛んだのち、牛乳とともに飲み下す。

 グレープ・ジェリーはピーナツ・バターと一心同体のような存在だから、これがないと「ピーナツ・バター・アンド・ジェリー」という食べ物は成立しないと言っていい。ジェリーにはいろいろあるが、半世紀以上も前に固定された僕の好みでは、赤ワインに使う赤葡萄のようなとでも言えばいいか、あの濃い紫色の葡萄のジェリーが、もっとも好ましい。30年くらい前には、スキピーともっとも相性のいいアメリカ製のウェルチのグレープ・ジェリーを、東京でも買うことができた。あれを見かけなくなって久しい。ピーナツ・バターとの再会が15年ぶりにもなったのは、ひとつにはそのせいでもある。

 ウェルチのグレープ・ジェリーを代用するものとして、フランス製のコンフィ・ドゥ・ヴァンを何種類か僕は買ってみた。味、香り、色など、多くの点においてウェルチのグレープ・ジェリーよりもはるかにシックだが、そのシックさはスキピーのピーナツ・バターとの相性をそこなうものではなく、むしろ好ましく増幅するのではないか。日本語ではワイン・ジャムと言われているようだが、僕の受けとめかたではこれはジェリーだ。味、色、香りだけが葡萄で、それらを別にするとあとに残るのは、軽さをともなった透明な滑らかさであり、いかなるかたちにせよ果肉の痕跡はいっさいない、というものがジェリーなのだと書いておこう。

 赤い葡萄を材料にしたコンフィ・ド・ヴァンはメルローを買った。白い葡萄を使ったジェリーをピーナツ・バターと取り合わせた体験はないけれど、思いのほか悪くないのではないかと思い、マスカットとソヴィニョンをひとつずつ、買い足した。ピーナツ・バターを塗ったパンに、白い葡萄のジェリーを塗ったパンを合わせるのは、僕にとっては初めての体験だ。期待は高まる。いまはもう夜だから、明日をピーナツ・バターで始めよう。

(『ピーナツ・バターで始める朝』2009年所収)


2009年 『ピーナツ・バターで始める朝』 アメリカ ピーナツ・バター 朝食 食べる
2016年2月9日 05:30
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