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海苔を巻いたおにぎりの謎

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 つい先日、残暑が続く平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗って、僕は新宿に向かった。空いている席があったので僕はそこにすわった。電車のなかで僕は本を読んだりしない。その反対の居眠りもしない。いっぽうの極に読書があり、もういっぽうの極が居眠りだとすると、そのどちらもしない僕は、居眠りと読書の中間に位置しているはずの、なにをするでもない、これといってなにを考えるでもない、ぼんやりとした曖昧な時間のなかを漂っている。

 僕の向かい側の席にひとりの男性がすわっていた。定年退職してから数年が経過した、というような年齢だろうか。最近の日本でよく目にする、良く言って余計な気を使っていない、きわめてカジュアルな服装を、その男性もしていた。つまりもはやどうでもいいような服装の彼は、そのような服装にまことにふさわしい顔つきと風体、そして雰囲気であり、さらにそういったぜんたいにぴったりと調和した鞄、手さげの紙袋、ビニールの袋などを膝の上に持っていた。

 鞄のなかのもの、そして紙袋のなかにあるものを相手に、なにごとかをひとしきりごそごそとやっていた彼は、それがひと区切りついたところで、ビニールの袋からなにかを取り出した。目の前にいる彼を、見るでもなく見ないでもなく、僕はぼんやりととらえていた。だから彼がビニールの袋から取り出したものが、なになのかわからないままでいた。片手に持てる大きさの、円形とも四角ともつかない、なにか黒いものだった。それをくるんでいた透明なビニールの包装をはがすやいなや、彼はそれを口へと持っていき、大きく開いた口に差し入れ、その黒い物体の一角を、パリーッという鮮やかな音とともに嚙み切り、口のなかで咀嚼を始めた。それはおにぎりだった。コンビニで買ったおにぎりだ。角を丸くした三角形という、もっとも標準的なかたちと大きさのそのおにぎりには、ぜんたいに海苔が巻いてあった。ぼんやりしていた僕にそれが黒い物体に見えたのは、おにぎりをくるんでいた海苔のせいだ。

 たいへんに鮮やかな、お見事と言うほかない、じつに立派な輪郭を持った、パリーッという音だった。おにぎりにくるんである海苔を彼の上下の前歯が嚙み切り、その内側のご飯のかたまりをも嚙み取っていく瞬間に発した、パリーッとしか書きようのない、そしてそれ以外ではあり得ない、曖昧なところのいっさいない、明確さをきわめた音だった。海苔でくるんだおにぎりの一角を勢いよく嚙み切るときにこのような音が発すると、海苔を巻いたおにぎりをいま自分がまさに食べようとしている実感と快感が極限まで高まって好ましい、というイメージを音にしたなら、このときの音こそ最適だ。

 彼がビニールの袋からおにぎりを取り出し、透明なビニールの包装をはがしたとき、そのおにぎりに海苔はすでに巻いてあった。どんなに巧みに焼き上げた焼き海苔でも、おにぎりに巻けばたちまち湿気を吸って、くたっとなるのではないか。そうなっているおにぎりを、子供の頃によく食べた。おにぎりに巻いた海苔は、巻いた直後でないと、ぱりっとしてこない。これが海苔をまいたおにぎりの、正しい姿ではないのか。

 彼が最初のひと口を大きく嚙み取った瞬間の、彼を中心にして少くとも半径三メートルの範囲内には確実に届いたはずの、あの見事なまでのパリーッという音は、いったいなになのか。午後の電車の席にすわってぼんやりしていた僕の感覚のなかに、あの音はたいへんな違和感をともなって突き刺さった。

 ほどよい大きさに切り揃えた焼き海苔を数枚、別の小袋に密封して添えておき、おにぎりを食べる寸前、その小袋を破って海苔を取り出し、自分で適当におにぎりに巻いて食べる、という方式のおにぎりは、 いまでもおそらく市販されているだろう。

 しかし、食べるときのほんのちょっとしたこのような手間を面倒くさがる人々は多いに違いない。だからそのような人たちのために、最初からおにぎりに巻いてあり、しかもいつ食べてもパリーッと小気味良く乾いている海苔というものが、とっくに開発されているのではないか。人が食べるところを僕が見て、パリーッというその音も聞いたのは、じつはそのような海苔によるおにぎりだったのではないか。

 コンビニで買ったおにぎりに巻いてある海苔が、ご飯その他の湿気を吸ってくたっとしているのが嫌だと文句を言う人たちは、ちょっとやそっとでは湿気を吸うことのない、完璧に乾いて枯れきったような状態へと加工した海苔を巻いたおにぎりを、たとえば電車のなかで袋から取り出し、パリーッと音をさせて食べることになる。電車のなかでおにぎりを食べるおじさんという、いまの日本ならどこにでも見かける、したがって誰も気にとめないような日常的な光景のなかに、きわめて非日常的な海苔とその音がものの見事に共存する一瞬を、つい先日、残暑が続く平日の午後、いつもの私鉄の電車のなかで、僕は目のあたりにした。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 電車 食べる
2016年6月18日 05:30
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