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日は暮れた、道はどこ

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 ある民間の企業が、日本全国の中学生を対象に、勉強に関してアンケート調査をした。その結果わかったことには、驚愕をとおり越して戦慄を覚える。この国はもう終わった、という性質の戦慄だ。自分の勉強方法は、とにかく暗記してしまうのか、それとも自分で考えようとするのか、という設問に対して、暗記は六十七パーセント、考えるは三十パーセントだったという。当然のこととして、と言っていいと思うが、わからないところは人に訊く中学生が六十四パーセント、そして自分で考える中学生は三十四パーセントだ。

 公立の小中学校における二〇〇二年度からの教育方針は、「自ら学び、考え、主体的に判断する能力」を育てることだという。しかし子供たちは、勉強は暗記だと言っている。別の調査によると、学校の授業がよくわかる小学生は二十パーセント、そして高校生だと三パーセントしかいない。暗記で詰め込む知識や正解には連関が決定的に欠けている。だから考えようにも手がかりはなく、したがってわからない、ということだ。

 中央教育審議会という機関が、高校教育に関して答申案をまとめた。「物事を自分の頭で自分の頭で納得がゆくまで論理的に粘り強く考える訓練をし、習慣づける必要がある」という。「地球規模の視野、歴史的な視点、多元的な視点で物事を考え、未知の事態や新しい状況に的確に対応していく力」を培うのでもあるという。戦後の日本の教育では、こういった基本中の基本をめぐる訓練的教育がほとんどなされて来なかったという反省の上にこの答申は立っていると僕は思う。そのような教育が最大限に効果を発揮したことによって、戦後の日本は少なくともここまでは到達したという説は定説のようになっている。

 目に見えるものだけに、国をあげて集中的にかまけて来たのだ。その質問にはこう答えればいい、この質問に対する正解はこれ、ということだけでここまで来た。その社会を根底から作りなおす果敢な試み、それが論理的な思考の教育なのだ。教育の現場というものは、それだけが切り離され単独に浮遊しているのではない。社会のあらゆる部分と分かち難く複雑につながっている。小中高の段階なら、まずなんと言っても家庭と密接につながっているし、その家庭がさまざまに感じる社会とも、関係は無限だ。

 目には見えないものの最たるものは、論理の道すじというものだろう。それは正しく考えれば正しく見えてくるものでしかないが、自分の頭で論理的に考えるためのいちばん最初の出発地点は、「なぜ?」という質問だ。「なぜ?」という質問をすべて排除した勉強、それが暗記だ。自分にとって切実な出発点に立っていないから、暗記した知識はすぐに忘れる。だからなんの役にも立たない。高校生には三十冊の必読書を課す、卒論を書かせて発表し討論する、といったアイディアが答申案のなかにあるそうだ。日暮れて道遠し、という言いかたが頭に浮かぶ。日はとっくに暮れて真っ暗闇のまんなか、そしてそこに立ちすくみ、道ってなんですか、と訊いているような状態だろうか。改革すべき構造が日本にはいくつもあるというが、その核心地点はじつはこのあたりなのだ。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


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2016年3月13日 05:30
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