アイキャッチ画像

五つの夏の物語|1

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

1

 常夏、という種類の夏がある。一年をとおして季節はひとつ、そしてそれは夏。毎日、目が覚めるたびに、自分は夏のなかにいる。一年じゅう、そのような日が続く。雨が降っていて気温の低い日、あるいはハリケーンが接近しているときでも、基本が夏であることに変わりはない。常夏とはよく言ったものだ。文字どおり、そこでは常に夏なのだ。このような常夏の場所は、僕にとってはハワイしかない。

 日本にいるときに体験する四季の変化や季節のうつろいは、かたときも止まることなく経過し続ける時間というものを、象徴的に感じさせてくれる。そしてその日本からハワイへと場所を移すと、そこはなにしろ常夏だから、時間は止まってしまう。時間が本当に止まることはあり得ないのだが、常夏の場所では、時間が夏のまま止まったような錯覚のなかで、毎日をやり過ごすことが可能だ。

 どの日も昨日のリプレーのような、おなじ日の繰り返しのなかに身を置いている錯覚を特に強く感じるのは、ハワイでも地元の人に言わせると暑い場所、たとえばラハイナだ。ラハイナにいると僕の時間は止まる。朝から夜まで時間は経過していくのだが、朝になると昨日とおなじ時間のところまで戻っている、という錯覚が強くある。日は重なるけれど、その重なりは経過していかないのだ。

 時間が止まるというハワイの常夏感を僕が楽しむとき、絶対に欠かせないのは、ジェネラル・ストアだ。ジェネラル・ストアとは、田舎町の雑貨店だ。田舎町の日常生活に必要なものは、いきつけのジェネラル・ストアで、ほとんどすべて買うことが出来る。常夏のなかにジェネラル・ストア。ここで僕の時間は止まる。

 ジェネラル・ストアは、いついってもおなじたたずまいと雰囲気だ。おなじ店主がおなじ冗談を言う。棚にはいつもとおなじ商品がならんでいる。文房具。日曜大工用品。家庭雑貨。作業衣を中心にした衣料品。箱、袋、缶、瓶に入った食品。ビール。清凉飲料。煙草。いつもおなじ商品しかないのだが、それらがなぜか楽しい。時間が止まっているからおなじものしかないのであり、時間が止まっているからそこは楽しい。

 常夏という時間の停止した錯覚にとって、絶対に欠かせないのはジェネラル・ストアだ、とたったいま僕は書いた。さらにもうひとつだけ、僕にとっての絶対の条件がある。そのジェネラル・ストアは、日系の経営であることだ。

 たとえばワイアルーアのフジオカ・ストアのようなジェネラル・ストアは、いまのハワイでは絶滅寸前だ。もっとも若い日系二世でいま七十代なかばだ。とっくに現役引退の年齢だ。昔ながらの日系のジェネラル・ストアは、一軒また一軒と消えていき、いまはもうほとんどないと言っていい。

 なぜ日系の経営でなくてはいけないのか。僕にとってのハワイは、日系の人たちの世界から入ったハワイだからだ。別のハワイが欲しいとは思わない。日系のハワイがあれば、それで充分だ。そして日系のハワイの具体的な象徽が、僕にとってはニシハラ・ストアや、ハセガワ・ジェネラル・ストアのような、日系のジェネラル・ストアだった。

 ジェネラル・ストアがハワイの各地で盛業だった頃には、十年くらいの時間経過では、いっさいなにも変わらなかった。亭主はますます元気、その美人の奥さんはさらに熟れ、幼かった娘は地元風味のいいお姐ちゃん、そして店の棚のどこを見ても、そこには十年前とおんなじ位置におなじ商品がならんでいた。

 地元の人がよく使うグローサリーという言葉は、食料品雑貨の店だ。ジェネラル・ストアにくらべると、品揃えは食品に大きく傾いている。スーパーという日本語と、ほぼおなじだ。グローサリーには時間の経過が如実にあるが、ジェネラル・ストアでは時間は止まったままだ。

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年

シリーズ・エッセイ|五つの夏の物語|

7月29日|五つの夏の物語|1


8月13日|五つの夏の物語|2


8月16日|五つの夏の物語|3


8月17日|五つの夏の物語|4


7月30日|五つの夏の物語|5


2000年 『坊やはこうして作家になる』 ハワイ ラハイナ 五つの夏の物語 物語
2016年7月29日 05:30
サポータ募集中