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パーマの帝国

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「パ」と「マ」のふたつの片仮名に、音引きの縦棒「ー」を一本加えて作る「パーマ」という言葉は、まだ充分に現役であるようだ。太平洋戦争が終わるのとほとんど同時に、この言葉が日本じゅうに広がった。戦後の日本でいっせいに始まった、民主主義のひとつだったろうか。主として女性のまっすぐな髪を、電気じかけでカールさせる、あるいはウェーヴさせることに、日本の人たちはいっさいなんの懐疑の念もなしに、賛同した。したがってパーマを重要な営業品目とした美容院が、日本のいたるところに出来た。それ以来のパーマだ。

 長方形の看板にパーマとあるだけで、ここには美容院があって髪にウェーヴをつけることが出来ますよ、ということがきわめて端的に人々に伝わった。単純化して簡単に言うなら、長方形の板に地色を塗り、その上に別な目立つ色で、パーマ、と書くだけでパーマの看板は出来た。絶滅寸前だと思うが、まだなくはない。

 四年ほど前に谷中でひとつ見つけた。細い路地を入ったところに一軒の美容院があり、日常的な実用建築としてのその出来ばえには、昭和の夢が凝縮されているようで、観察して飽きなかった。いつまでも見ていたかった。この建物のなかは、どうなっているのだろうか、と僕は思った。備品や設備のすべてが、使用されていた当時のままに残っている様子を想像すると、そのあいだだけ、時間は止まった、と僕は思ったのだが。

 この店へ客を誘導する目的で、路地の外にある二階建てのアパートメントの、建物の外につけてある階段の踊り場の外側に、パーマの看板が取り付けてあった。額縁のように縁取りがしてあったように記憶している。「片岡義男.com」のなかの「東京を撮る」という連載のなかに、このパーマの看板は掲載されている。パーマの文字の下にはその美容院の屋号があったのだが、その屋号は避けて撮った写真だ。

 パーマはパーマネント・ウェーヴの、日本式に略された上での、片仮名日本語だ。アメリカ伝来の言葉、そして実体だ。アメリカでも最初はいくつものボビンに髪を取り分けて巻きつけ、そこに電流をとおし、その熱で髪にウェーヴをかけていた。戦後の日本に移植されたそれは、たちまちパーマとなり、全国津々浦々に広まった。津々浦々、と久しぶりに書く。牧歌的でしかあり得なかった時代の、具象と抽象のどこか中間をいく描写言葉だ。

 つい最近、ほんのひと月ほど前、友人が世田谷区の松原六丁目で、ひとつ見つけた。小田急線の梅ヶ丘駅の北口から赤堤通りへ出て東へいったすぐのところに、それはあったと友人は言うではないか。スマートフォンで自ら撮った写真を証拠として送ってくれた。裏表両側が白いプラスティックの長方形で、その二枚を金属製の帯がひとつにまとめて固定している、という標準的な作りで、建物の外壁の端にその看板は取り付けてある。パーマ、と見事に片仮名であり、その下に、絶妙な調和、と友人が言う店名が、おなじく片仮名で三文字だ。店名を避けてパーマの部分だけを、僕はぜひ撮らなくてはいけない。

 Permanentがパーマとなって日本語と化したことのなかに、日本の秘密は存分にある。パームとはならなかったのは、その秘密のなかのごく小さな一部分だ。なぜパームではなく、パーマだったのか。いまこの言葉が現役であるのは、パーマという一語として通用するほかに、カット・アンド・パーマという言いかたのなかにも、パーマのひと言は生きているからだ。英語ではcut and permと表記され、音声でもおなじだ。この英語はそのままいまの日本で通用している。街の美容院の営業品目が、たとえば店舗の前の黒板にピンクのチョークで、cut and permと書かれているのをしばしば見る。一度だけ、cut and pamaと書いてあったのを見たことがある。Permはパーマでありそれはpamaでもあるのだ、という箴言は成立する。最近はデジタル・パーマというものもあり、それはデジパと略されているという。

 古風な建物の板壁にかかげられた美容室の看板をポラロイド写真に撮ったものが、秋田で美容院を営む女性から僕のところに届いた。その看板には片仮名で、「カット&パーマ」とあるではないか。初めはただパーマをかければそれでことは足りていたのだが、髪を切り整えてスタイルを作り、そのあとで必要ならパーマをかける、という手順へと変化するために要した年月がここにある。戦後すぐにパーマが席巻したあと、かなり長いあいだ、パーマの帝国は続いた。そこにカットというものがあらわれ、パーマより重要な位置を獲得した結果として、世界はカット・アンド・パーマへと進化した。

 コールド・パーマについても書いておこう。髪を取り分けて巻きつけたボビンのひとつひとつに電気をとおし、その電熱で髪にウェーヴをつけていた頃、女性の客はボビンへの電熱コードが集まる金属製の半球のすぐ下に、自分たちの頭を位置させて必要な時間を過ごした。熱くて不快な電熱に代わって、ウェーヴを作るために薬剤が用いられ始め、それによるパーマはもはや熱くはなく、その反対としてコールド・パーマという言葉が生まれた。いまではパーマと言えばコールド・パーマを意味する。

 パーマが戦後日本の重要な一部分となったとき、電熱で髪にウェーヴをつけることを、なんとか日本語で表現したいと人は思い、その結果、電髪、という言葉が生まれた。デンパツ、と読む。パーマの向こうには、いまやすっかり薄れはしたけれど、電髪という過去がある。

『フリースタイル』2018年8月

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東京を撮る12 『パーマの看板』 ※サポータ限定公開


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2020年6月16日 07:00
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