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「ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス」

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 昨年のいつだったか、『コロラド・キッド』というミステリーのペーパーバックを買った。作者はスティーヴン・キングだ。『コロラド・キッド』という題名には惹かれるものがあった。この題名でキングがいったいどんな物語を書いたのだろうか、と僕は思った。それに、長編とは言いがたい分量で、二百ページない。最近ではこの薄さのペーパーバックは珍しい。

 ここにある写真には二冊のペーパーバックがある。スティーヴン・キングの『コロラド・キッド』は、下にあるほうだ。「ハードケース・クライム」というシリーズのなかの一冊だそうだ。一九四十年代、五十年代の大衆向けスリラー・サスペンス小説のペーパーバックの雰囲気を、少なくとも表紙では再現してみたい、と編集者は思ったのだろう。絵がかなり下手だから訴求力がなく、したがって目的としたような魅力は、残念ながら表紙には生まれていない。

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 そんなことを思いながら、手に取ってあれこれと観察していたら、タイトル・ページの次のページに、献詞があることに気づいた。「感嘆と称賛の気持ちを持って、ダン・J・マーロウのために」と、キングは『コロラド・キッド』をダン・J・マーロウに捧げている。献詞には後半があり、そこでキングは、ダン・J・マーロウは『ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス」(死を賭けて)という作品の著者で、彼のこの作品は「ハードボイルドのなかでもっともハードなものである」と、述べている。キングの言葉どおりに書くなら、ハーデスト・オヴ・ハードボイルドだ。ちなみに、ハーデストとは、ハードの最上級だ。

 ダン・J・マーロウの作品はかつて一冊だけ読んだことがある。そして、「これは面白いよ」と、ハヤカワ・ポケット・ミステリーの編集者に紹介し、おそらくその延長線上の出来事だったのだろう、マーロウの作品はポケット・ミステリーにいくつか翻訳された。ゴールド・メダルというペーパーバック叢書から彼の作品は刊行され、ひと頃の僕はすべての作品を持っていたのだが、数年前、このジャンルのペーパーバックをすべて古書店に引き取ってもらった。

 ハーデスト・オヴ・ハードボイルド、とスティーヴン・キングが讃える『死を賭けて』も持ってたのになあ、などと思いながらインターネットで検索したら、古本で売りに出している人がアメリカにいた。注文したら一週間で手もとに届いた。写真のなかで『コロラド・キッド』の上に重なっているのが、そのペーパーバックだ。見覚えがある。確かにかつては持っていた。一九六二年の作品で、僕が手に入れたこのペーパーバックは、一九七三年の版だ。改定版、とタイトル・ページにうたってある。

 ゴールド・メダルのオリジナルで刊行された作品が、十年後に版を重ねたときには改定版になったとは、まずめったにない珍しいことだ。この改定版とはどういう意味なのだろうか、と僕は思った。表紙にはドレイクという名の男性の顔が描いてある。「誰でもない顔を持つ男」だそうだ。このドレイクという人を主人公に立てた、シリーズものとしての表紙の作りかただ。おなじ著者による作品が七編、見返しに列挙してある。『ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス』がいちばん上にあり、次が『ワン・エンドレス・アワー』という作品だ。そしてそこからあとの五編は、どれもタイトルの頭に「オペレーション」という一語が冠のようにあって、『オペレーション・ファイアボール』『オペレーション・フラッシュポイント』などと、明らかにシリーズだとわかる。

 念のためと思って、ミステリーのペーパーバックの山のなかを半日かけて探してみたら、『ワン・エンドレス・アワー』一冊だけが、山のなかにまぎれ込んでいたのを見つけた。一九六九年の作品で、内容的には『ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス』の続編なのだということを、発見した。ドレイクという人を主人公にした作品を一九六二年に刊行し、それから七年後になって、続編としての『ワン・エンドレス・アワー』を、マーローは発表したのだ。ただし、おなじ主人公によって物語が二冊目へと続いているだけで、シリーズものにするつもりは、作者にはなかったのではないか。

 当時のゴールド・メダル・ブックスにはハードボイルドもののシリーズが多く、このドレイクはシリーズに出来る、と判断した編集者によって、ひとまずこの二作がシリーズに仕立てられたのが、一九七三年だったのだろう。僕が持っている『ワン・エンドレス・アワー』は、シリーズものとしての作りにはなっていない。一九七四年あたりに、表紙をシリーズもののそれに変更した上で、再版されたのではないか。そして続々編となる第三作からは、「オペレーション」シリーズへと固まったのだ、と僕は推測する。こうしたことのために、第一作のなかに改変すべき個所が生じ、その改変ゆえの改訂版だったのだろう。

『ワン・エンドレス・アワー』の見返しには六編の作品名が列挙してあり、そこには『ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス』と『ワン・エンドレス・アワー』は加わっていない。主人公がドレイクではない、したがってどれも単独の作品なのだろう。タイトルにはすべて見覚えがあるが、いま僕の手もとにはないから、この六冊を早急にアメリカで探して手に入れなくてはいけない。それもこれも、スティーヴン・キングによる献詞のなかのひと言、「ハーデスト・オヴ・ハードボイルド」が、発端となっている。

「ハードボイルド」とは、なになのか。そしてその「ハードボイルド」のなかの、「ハーデスト」とは、いったいどのようなものなのか。キングのひと言をきっかけにして、ダン・J・マーロウの一九六二年の作品を読めば、少なくともごく基本的な正解は手に入るのだとしたら、こんな面白いことはない。キングが献詞に書いたひと言を正面から受けとめ、「ハードボイルド」とはなになのかを究明するために、僕は『ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス』を読んだ。

 百六十ページに足らない分量だから、あっと言うまに読めてしまう。このあたりに僕はほのかな懐かしさを覚えた。物語がどこから立ち上がり、どんなふうに進展していくか、といったことに関しても、かつて何度となく読んだ世界とよく似ている、という種類の淡い既視感を僕は持った。一九六十年代のおそらく前半に、ひょっとしたらこれを僕は読んだかもしれない。

 ドレイクという男性は銀行強盗だ。ほどよい田舎町の銀行に目をつけ、綿密に正確に下調べをして準備を整え、少数精鋭の仲間とともに白昼堂々と押し入って銃をかざし、現金を強奪して自動車で逃走する、というスタイルのヒット・アンド・ランの人だ。どこでなにをしていようとも、生きていくためにはそれ相応に、誰もが経済力を持たなくてはいけないのだが、ドレイクは適正なインタヴァルで銀行強盗を働き、その収穫によって生活を支えている。経験を重ねて修羅場をくぐり、プロとしての自負さえ自覚し、その自覚が自己証明のようになっているドレイクの、何度目かの銀行強盗とその顛末を描いたのが、この作品だ。続編と合わせて材料とすることにして、「ハードボイルド」の解明は来月号へと続く。

出典:『Free&Easy』2007年5月号


2018年2月12日 00:00