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日時計の影

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 昼間なら広い庭を見渡すことの出来る窓辺のテーブルで、ぼくは彼女と親しくさしむかいだった。遅い夕食を、ぼくたちは、いっしょに食べようとしていた。多忙な彼女のスケジュールにあわせていたら、今日の夕食はこの時間になってしまった。

 庭のなかに、明かりはなかった。窓ガラスに顔を近づけ、じっと目をこらすと、色とりどりに咲いている夏の花の気配を、なかば感じとり、なかば見ることが出来た。早い時間の夕食なら、食前の酒を飲みながら、その庭を散歩することが出来た。

「今日は、忙しかったわ」

 と、彼女は言った。心から満足しているような、深い微笑が、彼女の顔にあった。

「シャワーを六回。プールで泳いだのが、二回。遠く離れた場所にある、別々のプールよ。雨に降られてずぶ濡れになったのが、一回。そして、最後に、こうして冷たい水の入っているグラスを、私は手のなかに持っています」

 クロスのかかったテーブルに、彼女は肘をついていた。彼女の大きな手のなかに、ミネラル・ウオーターの満ちた、大ぶりなグラスがあった。食前酒のかわりに、ミネラル・ウオーターをひと瓶、ぼくたちはもらった。

「今日の私は、水と何度もつきあったわ。いい気分だわ。今日、最後につきあう水が、これかしら」

 ミネラル・ウオーターのグラスを顔のまえにささげるように持ち、彼女はその水を飲んだ。彼女の顎のすぐ下から鎖骨にいたるあたりまでを、ぼくは観察した。水を飲む彼女の、喉の動きを、ぼくは見守った。

「朝、起きて、まず最初のシャワーでしょう。そして、そのあとすぐに、プールへ出ていって、泳いだの。部屋に戻って再びシャワーを浴びて、食事をして、したくを整え、空港へ。飛行機でひと飛び、目的地に到着して、ホテルに入り、三度めのシャワーね。着替えて、仕事に出て、そこでにわか雨に降られたの。突然、すさまじい勢いで降ってくるのよ。さすがに、南の島だわ。熱帯樹の林を背景にして、大きな日時計が作ってあり、その日時計の上に私が立って、撮影したの。日時計の盤面に出来た影である私を、まるで溶かしてしまうように、雨は降ったわ」

 現在の彼女は、モデルを仕事にしている。本来は、まったく結びつかない別の仕事をしている。ぼくの友人の写真家にぜひにと頼まれ、このひと夏、彼のためのモデルを、彼女は務めている。

「その雨にずぶ濡れになり、ホテルに戻ってシャワーを浴び、雨があがってからプールで泳いだの。シャワーを浴びて服を着て、空港へいき、飛行機で帰ってきて、六度めのシャワーを浴びて、私はいまここにいるのよ」

 彼女は、ミネラル・ウオーターのグラスを、ぼくに差し出してくれた。それを受けとり、ぼくも水を飲んだ。

「日時計の上でずぶ濡れになり、ドレスが体にはりつき、空を仰いで笑っている自分の写真を、私はいちばん楽しみにしているの」

 ぼくの喉の内部を下っていく水の感触に、彼女の声が快適に重なった。

(底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 一九九六年)

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