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どこにでも部屋を作る才能

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 彼女はテントをいくつも持っている。興味を引くテントを見ると買ってしまう。だからいつのまにか数多くなる。いまでは毎年ひとつ、テントを買っている。冬のあいだに買い、春になると試してみる。そして夏に最終的な試用をし、秋から冬のあいだずっと、気がむくとどこかへ出かけていき、テントで夜を明かす。

 今年のテントはスカイゲイザーというロマンティックな名前だ。直訳すると、空を見つめる人。晴れた日の夜、ひとりで星を見て過ごすのに適したテントだ。

 フロアの広さは充分にある。九フィートに七フィートちょっとという四角だ。本来は四人用なのだが、広さを好む彼女はこれをひとりで使う。四角いフロアの左右から、メッシュになった壁が、一直線の屋根のポールにむけて、立ち上がっている。メッシュは半透明のガラスよりも外がよく見える。フロアのすこし上から屋根まで、すべて素通しのような雰囲気だ。入口は正面とうしろの両方にある。これもメッシュになっていて、屋根にむけておだやかに斜めに立ち上がっている。

 晴れた日の夜、見とおしの良い場所にこのテントを立て、左右の壁のフライ・シートを屋根までたぐり上げてしまうと、自分をとりまく壁は四面とも素通しのようになってしまい、たいへんに気分がいい。メッシュを覆うフライ・シートは、テントの内部から簡単に操作することが出来る。フライ・シートを上げるにしろ降ろすにしろ、テントの外へ出る必要はない。

 出来るだけ平坦な場所を選んでテントを立てる。フロアは充分に保護がきいているから、その上に彼女はエア・ベッドを置く。テントとおなじマットレスも、彼女はさまざまなものを所有している。いまはこのエア・ベッドに凝っている。フット・ポンプでふくらます方式だが、構造がよく出来ているから横たわったときの感触はすぐれている。これも彼女はダブル・サイズを使っている。

 このエア・ベッドの上に、ふたり用のスリーピング・バッグを広げる。枕はひとつだけ、そして彼女はひとりでそのなかで眠る。スペースにゆとりがないと彼女はよく眠れない。それに、寝相がかならずしも良くない。

 今日の彼女は午前中にステーション・ワゴンで出発した。これから数日間、たまたまテントを立てたところが自分の部屋になる、という生活を彼女は続ける予定だ。

 お昼には、太平洋を巨大に見渡す爽快な高台に、彼女はひとりでいた。田舎町を出はずれてから国道を離れて海にむかうと、県道があった。その県道を越えてさらに海へ近づくと、畑と松林のむこうに、草が漠然と生えた高台が広がっていた。

 松林のなかを出て海にむかう細い道が急な登り坂になるところに、彼女はステーション・ワゴンを停めた。そしてフォールディング・コットをカーゴ・スペースから取り出し、かついで急坂を登り、高台へ出た。下の岩場へ垂直に落ちている縁から二十メートルほどのところで、彼女はコットを広げた。簡易ベッドだ。枠も脚も木製の、雰囲気のある良く出来たコットだ。

 この上に横たわって二時間近く、彼女は海とその上に広がる空とを堪能した。コットの上にゆったりと体を横たえ、ただひたすら眺めているだけの海は、なにものにもかえがたい素晴らしいものだった。陽ざしは大地と草の匂いを地面から引き出し、風は海から潮の香りを運び、空は完璧に底なしだった。

 午後には彼女は砂浜にいた。おおらかに湾曲しながら長く続いていく幅の広い砂浜に、人はほかにひとりもいなかった。海岸に沿ってのびている有料道路のレスト・エリアにステーション・ワゴンを停めた彼女は、今度はビーチ・チェアを車から出し、砂丘の頂上に置いてそれにすわった。

 アルミのパイプにシートと背もたれのカンヴァスを張り渡しただけのものだが、すわり心地は抜群だった。脚は短く、しかもうしろ脚が前よりも短くなっているから、背もたれに体を預けたときの感触はなんとも言えない。両脚をまえにのばし、海を眺めて彼女は考えごとをした。

 考えごとがまとまったのかどうか、そしてなにについてどんなふうに考えたのか、あとになって思いかえしてみると、まったくなにもわからないところに、彼女はきわめて強い充実感を覚えた。

 午後遅く、彼女はいまいるこの高原に到着した。種明かしをするなら、ここは彼女の叔父が所有している山荘の、広大な敷地のなかだ。テントを張るにふさわしい場所は、いくつもあった。彼女が最初にテントで寝たのは、この山荘の敷地のなかでだった。彼女が十五歳の夏だ。それから十年が経過していた。だからいまの彼女は、自分好みのキャンプに関してなら、充分に体験を積んだいっぱしの専門家だ。

 夕食は山荘のキチンで作って食べた。風呂も山荘で入った。いまはもうなにもすることのない、夜の自由な時間だ。彼女はひとりでテントのなかにいた。左右の壁のフライ・シートが、屋根までまくり上げてあった。白いナイロンのメッシュは、夜になると素通しとほぼおなじだった。夜の高原のなかにたったひとりでいる感覚が、時間とともに増幅されていく様子を、彼女は楽しんでいた。

 あおむけに横たわると夜の空を広く見ることが出来た。月と星が出ていた。位置を変えていく月をひとりで見ていた。月は彼女だけの独占物となっていた。

 標高千二百メートルの高原の夜というものが持つ感触は、テントによってほんのすこしフィルターをかけられただけで、すべて直接に彼女の五感に到達していた。そしてそのことは、彼女の感覚の深い内部で、快感を呼びさまし続けた。

 テントの前後にある入口は、そのどちらもが正面であり、後部だった。ひとつは西をむいていた。そして反対側は東に面していた。どちらの方向にも、視界は大きく開けていた。

 沈んでいく夕陽を、彼女はテントのなかから西の空に見た。沈みきるまで見守り、山なみのシルエットの彼方に残光がほのかに識別出来るだけになってもまだ、彼女は飽きることなく西を見ていた。

 夜空を眺め、人工衛星がまっすぐに飛んでいくのを見ながら、彼女は明日の夜明けのことを思った。

 野外では夜が明けるのが早い。深い熟睡のなかで、自分の足もとがなぜか奇妙に明るいのを認識する。その明るさは刻一刻と強くなっていく。足もとがまぶしくてたまらなくなり、眠りの底から浮かび上がって目を開く。

 テントの東側は朝陽の直射を受けている。朝の音すべてが、いっせいに襲いかかってくる。起き上がってテントのなかからフライ・シートを両側とも上げると、そのとたんに、朝の高原の風がテントという部屋のなかを吹き抜けていく。あの風を受けとめる一瞬、自分は透明になっているのだと、彼女は信じている。

 明日はどこでなにをしようか、と彼女は思った。昼寝をぜひとも楽しみたいと、出発するときから考えていた。午後、昼寝をしよう。川の流れる音が涼しく聞こえてくるような場所を、捜さなくてはいけない。

 ステーション・ワゴンにはゴム・ボートもたたんで積んであった。フット・ポンプでふくらますと、愛らしくて同時に精悍な、頼もしいボートになる。ホワイト・ウオーターもかなりのところまでこなすことの可能な、安定性や操縦性にすぐれた、頑丈なボートだ。静かでほどよい大きさの湖を見つけ、そこにボートを浮かべて昼寝をするのもいい、と彼女は思った。

 昼寝と釣り合うのは露天風呂だ。明日のために地図を読まなくてはいけないと思った彼女は、深い快適さのなかで、おもむろにあおむけに姿勢を変えた。そしてランプと地図にむけて、手をのばした。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 一九九六年

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2017年6月26日 00:00
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