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登場人物たちの住む部屋

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 ぼくは十五年以上にわたって、小説を書いてきた。書いている当人にとっては、真剣な遊びのようなものであるが、たとえば税金の申告のときには、作家とか文筆業として申告するので、小説を書くのは仕事でもあるようだ。

 その小説の背景は、ほとんどの場合、現代だ。つまり、いまここにある世界を、ぼくは自分の小説の背景に使っている。見たり体験したりしようと思えば、すぐにそう出来る世界だ。登場人物たちは、日本を舞台にしているときは、日本の男女であることが多い。そして彼らは、ぼくの多くのストーリーのなかで、まだ独身だ。独身の彼および彼女たちの小説を、ぼくは多く書いている。

 彼や彼女たちは、ほかの誰ともおなじように、住む部屋を持っている。彼らの部屋は、物語を進めていくにあたって、重要な舞台となる。彼らの部屋は、重要な場所として、小説のなかにほぼ必ず、登場する。

 彼や彼女は、いったいどのような部屋に住んでいるのか。部屋が作品のなかに登場する場合、ぼくはぜんたいの間取りを考える。図面を、簡単にではあるけれど、書いておく。彼と彼女と、両方の部屋が出てくる場合には、どちらの部屋についても、間取りを描く。どんな間取りにするか、つまり、ただいま現在の日本の現実をどこまでぼくが考えに入れるか、そのことが問題となってくる。

 たとえば、これからぼくが書こうとしている短編小説の主人公が、二十代の終わりに近い年齢の独身の女性で、東京でフリーランサーとして仕事をしている、という設定だとすると、現実にぴったりと身を寄せて書くなら、彼女の部屋は現実のとおりに書けばいい。現実の彼女たちがどのような部屋に住んでいるか、ぼくはよく知っている。

 しかし、ぼくはあくまでも小説を書くのであって、現実をそのままレポートしているのではない。だから、彼や彼女が住んでいる部屋の間取りも、現実に沿ったリアルなものには、原則としてしないことにしている。

 登場人物たちは、物語を進めてくれる重要な人たちだ。第三者の目から見て、彼らがいかに不完全であり、いかに頼りなく見えても、とにかく物語のなかでは彼らが主役なのだから、自分のいまの状態に関して、彼らがある程度以上の自信を持っていてもらわないと、ストーリーぜんたいにわたって、小説としてのいい雰囲気が出てこなくなる。自分が住んでいる部屋との関係も、いい関係であってほしいと、ぼくは思う。

 ここでぼくが言ういい関係とは、具体的には、ある程度以上の広さであり、そこにひとりで住んでいることに魅力的な陰影を加えることの出来るような間取りであり、小説の一場面として使用に耐えるほどの舞台的な性格のことだ。

 東京の都心の、劣悪な環境のなかにある、すさんだ建物の「ワン・ルーム」がどんなだか、ぼくは知っているし、いわゆる一等地の十億、二十億円の「マンション」がどんなだかも、ぼくは知っている。この両極端のどこか中間にある現実を、小説の主人公たちにもあてはめていく、という書きかたは、もちろんそれはそれで成立するのだが、なんらかの必然があって現実をそのまま写さなくてはいけないという特殊な場合を除いて、ぼくはそのような書きかたをしない。現実のどこかに、主人公たちの住む部屋をみつけるのではなく、現実から離れたところに、彼らの部屋をぼくは創作する。

 かつてぼくは、「3LDK」の「マンション」に、女性とふたりで住んだことがある。場所はいいところであり、間取りはつつましく、建物の管理も雰囲気もよかった。不足を言えばきりがないけれど、快適に何年かそこに住んだ。このときの体験を、それでは小説にすることが出来るかというと、ぼくにはそれは出来ない。快適にそこに住めたのは、現実だったからであり、あのときぼくと彼女とを、小説のなかの彼と彼女におきかえ、おなじ間取りのなかにそのふたりを住まわせることは、ぼくには出来ない。

 なぜそれが出来ないかというと、その「マンション」の部屋には、まず廊下がなかった。そして、ひとつのドアによって独立しうる部屋は、ひとつしかなかったからだ。小説のなかの彼や彼女が住む部屋に、ぼくは、端から端まで歩いてすくなくとも途中で二度は直角に曲がるだけの廊下がほしいし、クロゼットや浴室などを別にして、部屋を独立させるためのドアが、すくなくとも四つはほしい。

 というふうに考えてくると、小説のなかの彼や彼女が住む部屋は、日本のいまの現実を大きくはみ出してしまう。彼ら自身の経済力では、とうてい持ち得ない部屋であり、たとえば姉夫婦が住んでいたのだが彼らは外国へいってしまい、いまは「彼女」が管理費だけでそこに住んでいるとか、叔父がセカンド・ハウスとして購入したものを、「彼」が格安の部屋代でいまは住まわせてもらっているとか、現実をふりきるための妙な工夫をしなければならない。そしてそのたびに、ぼくは、日本のいまの住環境の、基本的な貧しさを思い出すこととなる。

(底本:『きみを愛するトースト』角川文庫 一九八九年)

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2017年6月25日 00:00
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