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世界はすべて片仮名のなか

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 日本語には片仮名という書きかたがある。どんな外国語であろうとも、おおよそのところでよければ、その音を片仮名で表記することが、じつにたやすく可能だ。僕の好きな冗談のひとつに、全篇を片仮名書きした『風とともに去りぬ』というものがある。『風とともに去りぬ』の全篇を片仮名書きすると、すべての日本人が、原文の音のままに、『風とともに去りぬ』を最初から最後まで、完全に読みとおせる。片仮名の使いかたを少しだけ工夫するなら、そして声に出して読むなら、それはたいへんに格調の高い朗読となる可能性だってある。

 自分の国の文字を使い、まったくの外国語に対して、こんなことの出来る例を僕はほかに知らない。フォネティックスの究極のかたち、それが外国語の片仮名書きだ。ローマ字書きでもいい。ローマ字書きという方法は日本のものであり、それは片仮名書きとほとんどおなじだ。戦後のある時期、日本の初等教育の現場で、ローマ字教育が盛んにおこなわれた。そのことの意味はじつは大きい。ほんの二、三十年あと、片仮名が日本で果たす役割の巨大さを、まるで予見していたかのようなローマ字教育だった。

 人々が日常のなかで普通に使う日本語のなかに、片仮名で書いた外国の言葉、あるいはそれに準じる言葉があらわれ始めたのは、いつ頃からだろうか。僕は鎖国の江戸を思う。ギヤマンやビイドロ、バテレンなどは、振り返ればまだ見える距離にあると言っていい、片仮名書きされた外国語の原点だ。

 開国してまもない頃の横浜では、市井の人々は早くも片仮名語を盛んに使っていたという。外国との貿易という仕事をとおして、そして外国から来た人たちとの日々の接触をとおして、ひとつまたひとつとこぼれ落ちるように日本語になっていった外国語が、たくさんあった。

 どんな言葉がその当時の日本語になっていったかに関して、書き残された資料があるという。「ホウテル」というのは、いまで言う「ホテル」のことだ。音を片仮名で写し取ったものとしては、「ホテル」よりも「ホウテル」のほうが、はるかに原音に近い。「テ」のところに強拍を置きつつ音を長めに引き延ばして「ホウテール」と、当時の横浜の人たちは発音していたのではないか。

「ハマッチ」とは、なにだと思うか。なにか物品を見ればその値段を訊かずにはいられないという、いまの日本人の国民的疾病とも言うべき、「ハウ・マッチ」の元祖だ。これも「ハマッチ」のほうが生き生きとしている。外国人たちの口から出る音を、出来るだけそのまま写し取ろうとしていたからだ。音の正確さを問題にするなら、「ハウ・マッチ」よりも「ハマッチ」のほうが、ずっと正確だ。

「ツレコワラ」とは、いったいなにだかわかるだろうか。「ツレコワラ」という書きかたを知ったことを、僕はたいへんうれしく思っている。「ツレコワラ」とは「スリー・クオーター」つまり四分の三のことなのだ。横浜に来た外国人が自らの母国語のままに言うのを、聞きなれない音のままに片仮名で書くなら、「ツレコワラ」しかなかった、ということだ。「スリー・クオーター」は完全に日本語だが、「ツレコワラ」という音声は、あくまでも変則ではあるけれども、実用上は完全に英語だ。

 片仮名書きされた英語で思い出すのは、夏目漱石が愛の「ラヴ」を「ラッヴ」と書いていたことだ。これも「ラヴ」よりも「ラッヴ」のほうが、英語の音にはるかに近い。「ツレコワラ」も「ハマッチ」も「ラッヴ」も、仮に片仮名で書くとこうなるという程度のものであり、本当は、つまり当時の日本人の口から出ていた音は、もっと英語に近かったはずだ、と僕は思う。外国人の出す音を、出来るだけそのままに真似るという、街頭における肉体の反射だけがそこにあったのだから。

「ツレコワラ」や「ハマッチ」のような基礎的なことを、僕はたまたま読んだ『英語と日本人』(太田雄三、講談社学術文庫、一九九五年)という本で知った。幕末前後の日本人と英語の関係についてもう少し知りたいと思い、古書店でなにげなく探すと、『サムライと横文字』(惣郷正明、ブリタニカ出版、一九七七年)という、ぴったりの本を見つけた。基礎的な勉強の材料は、その気になれば誰にでも手に入るようだ。ごく最近に手に入れた本では、『文久三年御蔵島英語単語帳』(小林亥一、小学館、一九九八年)が感動的だ。

 平賀源内のエレキテル、あるいは杉田玄白たちのターヘルアナトミアから現在この瞬間まで、片仮名語が増えていくいっぽうの歴史を、日本は歩んできた。片仮名語が多すぎてけしからん、なんとかしなければならん、という批判を僕が最初に読んだり聞いたりしたのは、いつのことだったか。戦後、まだラジオの時代に、近頃は巷に片仮名があふれ、わけがわからなくて困るという主題の漫才を、幼い僕はラジオで聞いた記憶がある。

 一九五〇年代の終わり頃になると、片仮名語が急速に増えていくことは、日本社会が向かっていく方向とその性質に、不可分に重なり溶け合った現実であると、たいていの人は早くも承知していた。片仮名語を批判する人は、いまはもういないと言っていい。片仮名語は増え続ける。片仮名語は日本社会の質そのものだ。そのときどきの日本社会のありかたを、もっとも如実にそしてもっとも端的に映してきたのは、片仮名語ではないか。

 片仮名語は新しく増え続けるいっぽうだが、いつのまにか使われなくなる片仮名語も、たくさんある。使われなくなっていく経路に、日本社会の質的変化を読むことが出来る。ナウなヤングのファッション・センス、というような言いかたが、かつて日本を覆った。こんな言いかたを、いまはもう誰もしない。する人がいるなら、その人はただ笑われるだけだ。このような言いかたがなぜあらわれ、なぜ消えていったか。

 ナウはいまでは無数にあるからだ。ナウという言葉が流行した時期には、ナウというものは片手でつかんで高々とかかげ、これがナウだ、と叫ぶことが出来た。いまは叫べない。なぜならナウは無数にあり、みんなかたっぱしからナウだから、どれかひとつをことさらにナウと言う必要はないし、これがナウだと言ってみたところで、なにも始まらない。気にいるものだけ次々に取り替えていく、そして気にいらないものは無視するという状況のなかで、なにかひとつの物がわざわざナウであり得るだろうか。消費の対象として無数に細分化されたナウは、ナウという言葉を振り落とした。

 ヤングという言いかたも、もはや必要ではない。これからはこの人たちをおだてて商売していこうという方針が見え始めたとき、おだてられる人たちの呼び名がヤングだった。ヤングだけに市場を絞るという考えかたが、その頃はまだ珍しかった。いまはヤングがあたりまえだ。あらゆるものが若年化していく傾向は、幼児化をも通過してしまいそうなほどに徹底している。ことさらにヤングと明記する必要はない。ヤングは当然の前提であり、したがってヤングという言葉は消えていく。ナウが細分化されヤングが当然の前提になってしまえば、すべてがファッション・センスだ。したがって、これがいまのファッション・センスだという言いかたも、もはや成立しない。

 片仮名で書かれて日本語になっていく外国語は、増えるいっぽうだ。外国の言葉を片仮名で書き、片仮名的に発音しては日本語にしていく方針は、すでに日本のなかに強固に定着しているし、いまの日本を支える大きな柱のひとつでもある。片仮名語がなかったら、日本そのものが、もはや成立しない。国語の乱れなどという的を完全にはずした批判など、もはやなんの意味もない。

 片仮名で書かれ、片仮名ふうに発音されたとたん、日本語になってしまう外国の言葉は、日本のなかでどのような役を担うのか。それまで日本になかったもの、あるいは外から入ってきたばかりのものが、ひとまずかたっぱしから片仮名書きされる。それまでなかったものが、これほどたくさん次々に入ってくるとは、どういうことなのか。

 日本は加工業の国であるということだ。外国で原料を安く買い、国内へ運び込む。それでさまざまな製品を作り、国外に輸出して大量に売る。日本はこういう加工業の国であり、そのことを支える技術の開発や改良、一定の質で維持され続ける勤労などから、国ぜんたいが徹底して展開した企業群との一体化までを視野に入れると、ちょっとやそっとではないすさまじいスケールの加工業だ。そのスケールは、日本人たち当人の日常的な認識を、はるかに越えた地点まで到達している。

 安く仕入れた原料で製品を作り、それを国外で売る。作って売るだけではなく、国内にないものを仕入れて国内で売るという経路がある。情報というかたちでも、外のものは国内に入ってくる。外に売れば売るほど、外からも物と情報が入ってくる。

 外から日本に入ってきたものすべてが、片仮名書きされて日本語になったと言っていい。開国前は武士だった日本の青年たちが、開国したのち英語の勉強を始めたとき、日本では見たことも聞いたこともないチョコレートやアイスクリームといった言葉を、英語で学ばなくてはいけなかった。いったんは漢字を当てたものの、のちほどすべて片仮名となった。そうならざるを得なかった。だから片仮名書きされた言葉は、漢字の身代わりとしてとらえることも可能だ。

 日本にないものの典型は、まず固有名詞だったはずだ。だから初期にはニューヨークやハワイに漢字を当てた。ナポレオンやアレキサンダー大王にも、漢字はあったかもしれない。ホッテントットやオッペンハイマーに漢字を当てても、それはただのコストでしかない事実に、やがて人々は気づいた。コストは負担だ。片仮名で書いてしまえば、そこですべては解決する。片仮名書きされた言葉は漢字の身代わりであると同時に、日本語がたいへん得意にしている擬態語や擬声語などとも、どこかでつながっている。

 次々に登場しては定着していく片仮名語の、機能における中心は、新しい製品を売っていくにあたっての、イメージの醸成機能だ。片仮名語でイメージという背景が作られ、その背景の前で新しい物が消費されていく。

 ムードという言葉はとっくに日本語だ。まださほど遠くない昔、ムードという言葉が新しい言葉として登場し、人々に肯定され受け入れられた、ムードの始まりの時代があった。ムードという言葉によって、たとえばムードのある喫茶店という新製品とイメージとが、消費生活のなかに一定の位置を占めることとなった。デートという言葉が登場し、ムードのある喫茶店でデート、という新しい消費の様式が生まれた。

 ムードのある喫茶店でデートするには、流行の服や化粧のしかた、髪の作りかたでなければならないとされ、人々は率先してその命令を受けとめた。一九六〇年代のなかばあたりから、若い女性の日常的なファッション用語を中心に、片仮名で言いあらわされる領域が急激にふくらんでいくのを、僕は体感した。片仮名書きを抑制することはもう無理だ、とそのとき思った。

 ムードやデートなどという、いまや日本語になりきって誰もなんとも思わない言葉が、日本にもたらした経済効果について思ってみるといい。経済効果を高めるためのイメージの醸成という機能だけではなく、日本のありかたぜんたいにとって、驚嘆すべき機能も、片仮名語は担ってきたのではないか。増え続けた片仮名語は、じつは二分法のための必須用語だった。世界のすべてをふたつに分けるための言葉だ。

 オンかオフか。○か×か。好きか嫌いか。買うのか買わないのか。欲しいのか欲しくないのか。自分の欲望や衝動を唯一の拠り所にして、あらゆる物を徹底的に二分法で区分けしていく。そして○のほうだけを取る。日本は開国からこのような質の社会に向かっていたのだが、庶民生活の隅々にまでこの二分法が生活そのものとして浸透していったのは、僕の体感では一九六〇年代のなかばあたりからだ。

 そのときどきの自分の欲望や願望、漠然とした気持ちなど、まったく責任のともなわない基準だけで、すべての物や物事を○と×とに二分し、○のほうつまり自分にとって都合のいいほうだけを取る。都合のよくない物には見向きもしない。だからそれらの物には居場所がなく、かたっぱしから忘れられていくのみというありかたの社会にとって、大量の片仮名語は必需品だった。

 ムードがあるかないか。ムードが盛り上がるのか、ムードがこわれるのか。ファッション・センスがあるのか、それともないのか。コンディションがいいのか悪いのか。うちにとってメリットがあるのかないのか。コンセプトが受けるのか受けないのか。マーケットにニーズがあるのかないのか。ゲットしたいのか、したくないのか。もうゲットしたのか、まだなのか。

 人々の生活の全領域でこのような二分法が徹底的に持続された戦後の日本が五十年を越えたのだから、そこにある社会つまり人々の捩じれかたは半端なものではない。なぜなら二分法とは、恐ろしいことに、じつは狭量さのどんづまりなのだ。どんづまりまで到達した狭量さは、いまの日本に関して浮かび上がるキー・ワードのひとつだ。

 片仮名語の歴史をたどると、日本の近代そして現代の歴史が見える。ギヤマンやビイドロそしてカステラなどをおよその出発点だとすると、到達点は狭量さのどんづまりなのだから、ここから先はもうないことになる。もうないとは、もう駄目ということだ。

 開国した当時の横浜で、日常的に外国人と接していた日本の人たちが、たとえば英語の音を片仮名で写し取っていた行為に、利己的な動機はまだごく少ない。この奇妙な外国語の音をなんとか日本語で写し取り、書きあらわすことは出来ないものだろうか、と人々は思った。

 その思いは、たとえば「砂糖とミルク」という意味の英語であるミルク・アンド・シュガーを、「ミウクンシュガ」と表記したという結果を生んだ。この「ミウクンシュガ」という片仮名書きは、英語の学習をめぐって発揮された熱意の産物のひとつだ。その「ミウクンシュガ」が、いまの日本で一般的になされる片仮名書きであるミルク・アンド・シュガーになると、そこには、自分の都合によってすべてのものを一律に整理してしまわずにはおかないという狭量さが、明確にある。

「ミウクンシュガ」という書きかたには、いっぽうの完全な異言語である英語の音を、もういっぽうのこれまた完璧な異言語である日本語を使う自分たちが、その全身で受けとめるときの肉体性が、そのままあらわれている。しかし肉体性は人それぞれだから、「ミウクンシュガ」は「ミユケンシガ」でもあり得る。多様性は邪魔くさいし効率を妨げるから、ミルク・アンド・シュガーという書きかたを一律におこなう。自分の都合だけを考えるという狭量さが、こうして書きかたの一律さを支えることになる。

 漢字だけによる言いあらわしかた。漢字と平仮名の混在する言いあらわしかた。片仮名による言いあらわしかた。日本語はこの三つの層で構成されている。漢字だけの層がいちばん下にあり、漢字と平仮名をともに使う言いあらわしかたの層が、その上に横たわる。そしていちばん上にあるのは、片仮名書きされた言葉の層だ。外国語を片仮名で書いた言葉だけの層ではなく、擬声語や擬態語、感情、気持ちなどを片仮名書きした言葉も、この層のなかに含まれる。

 いちばん下の層からいちばん上の層に向けて、日本語は離脱の歴史を重ねていった。漢字だけの世界からなんとか離脱したくて、漢字と平仮名の併用という世界を作った。そしてそこからも離脱すべく、片仮名語の世界を日本人は確立させた。

 片仮名語ひとつを叫ぶように言うだけで、すべて通じあえる人たちとその世界が、日本のなかにすでにあるはずだ。戦後の日本は効率の高さを維持するため、言葉を単なる記号へと変えた。片仮名語ひとつを叫べば通じるという事態の出現は、戦後の日本のそのような歴史とまさに正しく呼応している。

 片仮名で書きさえすれば、とにかくどんな外国語でも、少なくとも見た目には、日本語になる。片仮名書きされた外国の言葉が次々に日本語になっていくためには、日本の人たちが片仮名書きにすっかり慣れている必要がある。片仮名書きされた外国語に人々がどうしてもなじまないとか、片仮名書きされた外国語が日常の感覚で異常事態に見えたりするようだと、片仮名語が現在のように無数に日本語になるという状況は、起こり得ないだろう。

 片仮名で書いた数多くの外国語の、日本語への強力な定着ぶりは、戦後の日本人がおこなった英語の勉強の、なによりの成果だと言っていいのではないか。ほんの少しだけの英語を、ものすごく間違った方向に向けて長い期間にわたって学校で勉強するのが、戦後の日本人の常態となった。

 そのような非科学的な勉強をいまも続けている日本人にとって、英語は基本的に片仮名の世界なのではないか。単語の発音は片仮名をふって記憶しようとする。記憶のいちばん最初の段階で、英語は日本語という自分たちの都合になってしまう。その結果として、片仮名と正しい綴りとの乖離に、日本人はそれ以後ずっと苦労することになる。苦労は大きい。正しい綴りはなかなか覚えられない。試験で思うように点数が取れない。だから英語は、学び始めてすぐに、誰にとってもいちばん嫌いな科目となる。

 教室で教科書を音読させられる。ふってある片仮名を、つっかえながら読んでいく。あるいは、英文字から視覚的に片仮名を想起し、それを読んでいく。中学で三年、高校で三年、そして大学へいくとさらに二年か三年、このような方式の勉強をとおして、日本の人たちは英語との片仮名接点を持ち続ける。

 本来は選択科目である英語は、現実には必須科目の扱いだから、八年だか九年だかにわたって授業を受け続けることになる。大嫌いな科目としての圧迫感は強く大きい。社会にとっての安全弁は片仮名だ。外国語を片仮名にすることに関して、いっさいなんの抵抗も覚えない人たちを、このような英語教育は大量に育てる。日本社会の質に、英語教育も完璧に沿っている。この意味では、戦後の日本での英語教育は、大成功だった。

 もし日本でまともな英語教育がおこなわれていたなら、片仮名書きされた外国語が大量にあるといういまの日本語の状態に、人々はとうてい耐えられないのではないか。外国語の片仮名書きなど、しようとも思わないことなのではないか。少なくとも節度ある人のすることではない、きわめて奇異なことという正しい位置に、片仮名書きされた外国語は安置されたはずだ。ところがいまでは、片仮名書きされた外国語は、日本語にとって大きな柱のひとつであり、これがなかったらいまのような日本は立ちゆかないまでになっている。

 英語教育は片仮名教育だった。では自国語である日本語の教育は、どうだったのか。これも目標は試験で取る点数だけだった事実を、すでに多くの人たちが自覚している。自国語をまともに教えていれば、外国語をかたっぱしから片仮名書きし、本来の意味や使いかたにはいっさい頓着せず、自分たちの都合だけに合わせて使っていくというでたらめは、なかなか出来るものではないのではないか。

 英語という言語のもっとも基本的な構成単位である単語は、日本の教育現場では、金属のリングで束ねられたどんなに多くてもせいぜい数百枚の、細くて小さな単語カードだ。おもてには筆記体で単語をひとつ書く。片仮名で発音を覚える。だから正しい綴りとの乖離はいっこうに埋まらない。カードの裏には、恐ろしいまでに単純化された、ただひとつの意味を書く。このようなカードを掌のなかで繰り返し見ては、多くの単語を暗記しようと試みる。試験が終われば忘れるための暗記なのだから、苦痛以外のなにものでもないだろう。

 自分の英語がつうじないとき、いざとなれば単語をならべればなんとかなる、という言いかたが存在する。多くの人たちがこの言いかたを支持している。なんとかなるとは、たいそう不遜な言いかたではないか。片仮名の発音で果たしてつうじるだろうか。ならべることが出来るほどに、数多くの単語を知っているのかどうか。

 単語をならべられたほうの人が、意味がつうじたかのように見せかけてくれたなら、単語をならべてつうじたという一例に、それは該当するのかもしれない。相手がたいへんな努力をしてくれた結果、この人はおそらくこういうことを言いたいのだろう、と推測してもらえる場合もあるだろう。

 自分が相手に伝えたいことを、守るべきすべてのマナーを守りつつ、相手になんら負担をかけることなく正しく伝えるためには、正しく組み立てられた文章で話すという、唯一の方法を採択しなくてはならない。文章の正しい組み立てかたの規則とは、文法の規則だ。伝えるべき内容にふさわしい、よく選ばれた言葉が、正しい規則に沿ってならんで、文章とならなければならない。そしてその文章のぜんたいは、無理なくつうじる範囲内の発音で、音声になっていく必要がある。いざというときになんとかするためには、少なくとも以上のことは厳守されないといけない。

 ごく普通の三歳児は、身につき始めた自国語として、二千語の語彙を持っているという。その二千語を三歳児たちはばらばらに知っているのではない。家庭のなかでの自分を中心にした、すでにかなり複雑な相互連関のなかで知っている。外国語として学習する英語の場合、大人が相当にもがいても、三歳児の次元に到達しない。大人だから不必要にもがき、そのことが学習にとって大きな障害となる可能性は、充分にある。

 アメリカ市民権のための四千語というものを、いま僕は思い出した。アメリカ市民となるからには、四千語の英語語彙を獲得しておいてほしい、とアメリカ国家は要求している。四千という数は、派生語を抜きにしてのものだろう。三歳児のわずかに二倍でしかない。

 派生語という言葉からの連想として、片仮名語の基本的な性質について、僕はさらに思う。ほとんどの片仮名語は、名詞として日本語になっていく。他の品詞で使う構文が日本語にはないからだ。このような固く偏った構造が、日本語にはある。

 カロリーという言葉は日本語だ。カロリーとは書かずに、おなじ意味のことを漢字で書きなさいと言われたら、いまは多くの人が書けないのではないか。カロリーという名詞から、「カロリーにおける」というふうに、ほんの少しだけずれると、それを一語で言いあらわすことの出来る片仮名語は、まだ日本語になっていない。「カロリー制限」を「カロリック・リストリクション」と言うときのように。

 ミュージックもとうに日本語だ。音楽という言葉があるのに、なぜさらにミュージックが必要だったのか。音楽という漢字では担いきれないイメージを託すために、音楽とは別にもうひとつ、ミュージックが必要だった。ごく素朴には、ポピュラー・ミュージックやスクリーン・ミュージックなどだ。大衆音楽や映画音楽では、イメージが醸成出来なかったのだ。

 音楽という言葉は、昔からある見慣れた言葉だ。この見慣れた平凡な日本語のひと言を目にしたり耳にしたとたんに想起されるすべてのことから自由になりたい、という気持ちが支配的なまでに強くなると、音楽というひと言はミュージックという片仮名語になるのではないか。それまでの自分をすべて捨てたい、それまでの自分をおなじ場所に繫ぎとめ続けるものから離れたい、と人がきわめて強く願望するとき、その人はミュージックに飛びつくのではないか。

 それまでの日本にはなく、外から入ってきたばかりの新しいものだけが、片仮名語になったのではないようだ。それまでどこにでもあったごく平凡な日常が、一九六〇年代なかばあたりから、次々に片仮名語になった。マイ・ファミリーやマイ・カーを見るといい。自分の家族という平凡なものが、旧来の価値を離脱してなにか新しい別の価値へと乗り移るのだと思いこむとき、昨日までの自分の家族は今日からのマイ・ファミリーとなった。

 マイ・カーは自分の自動車でしかないが、それまではなかったものであり、自分の自動車を持つのはマイという魔力の領域内の出来事であった。だから単に自動車であるだけではとうてい気持ちがおさまらないから、片仮名でカーなのだ。一九六〇年代なかばの日本は、地方農村部から都市部へと、労働人口の大移動がおこなわれた時期だ。旧から新への離脱。それまでの自分から、まったく新しい自分へ。日本人のこのような質的な大転換を、多くの片仮名語が担った。

 一極集中の象徴であり、現実にもその頂点である東京へ、大量の労働人口が流入した。旧からの離脱を願望し、新となることを希求する人たちだった。固有の歴史をすべて捨てるのだから、理屈としてはいっさいが片仮名語になるのが望ましい。だから彼らは新たな大量の片仮名語を作り出して支え、それが日本の隅々まで浸透していって現在を作った。

 音楽性、あるいは音楽的才能というようなことを、ごく簡単にひと言で言いたいとき、正しく適合する一語の片仮名語が、日本語のなかにあるだろうか。自分ならそのくらいの言葉は知っていてもいいはずだと思い、多くの人が頭のなかを探すのではないだろうか。ミュージカリティという片仮名書きの言葉を使う人は、少なくとも統計的にはゼロと言っていい。名詞でも抽象性のほうへと傾いた言葉は、片仮名日本語になりにくい。

 茶色という意味のブラウンなら、これも日本語となって久しい。「少しこげめが出来るまで」という言いかたのなかで、ブラウンはブラウンというかたちのまま、動詞として使われる。そのようなブラウンは日本語になっていない。アントルプルヌールは流行の言葉だ。ごく広い意味で、起業家という意味だ。「起業家的な」と言いたいときには、どうすればいいのか。アントルプルヌーレラルという派生語が簡単に引き受けてくれるが、これは日本語にはなっていかないと僕は思う。「起業家精神」は、どう言えばいいのか。アントルプルヌールシップというひと言で間に合う。これも日本語にはならないだろう。

 DNAは日本語だ。漢字による言いかたは知らなくても、DNAは知っている。DNAという言葉を使うとき、これはもとは英語だ、と思う人はいないのではないか。アルファベットによるこのような省略語は、もはや漢字の一部だ。アルファベット漢字だ。片仮名でフルに書くと、ディオキシリーボニュクレーイックアシッドとなる。さすがの日本語も、片仮名がこれだけ続くと、日本語のなかに取り込むことは出来ない。舌を嚙みそう、と多くの人が言うだろう。単語ひとつといえども固有の構造を持っているのだから、その構造を正確に知るなら、舌など絶対に嚙まない。

 日本語のなかにすでに無数にあり、いまもこれからもおそらく増え続ける片仮名語は、日本が接して受けとめる外国の文化というものについて、根本的な問題を見せてくれてもいる。

 外国の文化のなかのもので、自分たちの文化へ移植するのがもっともたやすいのは、ほとんどの人がなんの抵抗もなくその手にとって、ごく普通のこととしてそれを消費することが出来るようなものだ。それとは完全に遠い反対側にあるのが、外国の言葉という文化だ。これは移植するのがもっともむずかしい。

 日本語のなかにたとえば英語を、本来のかたちでそのまま移植することなど出来っこなかったのだと、すでに無数にある片仮名語が言っている。片仮名で書くことをとおして、意味も使いかたも日本語にした上でないと、外国の言葉という文化は、日本のなかに移植することが出来なかった。そしてそのことじたいは、じつに健全な、あたりまえのことだと僕は思う。

(初出・底本『日本語で生きるとは』筑摩書房 1999年)

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1999年 『日本語で生きるとは』 カタカナ 日本 日本語 英語 言葉
2017年4月23日 00:00
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