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死語と遊ぶひととき

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 あるひとつの事柄が過去のものとなって身辺から消え去り、その結果としてその事柄に言及されることはめったにない、という状態になったとき、その事柄を言いあらわす言葉は死語となる。廃語とも言われる。時間が単に経過するだけで、多くの言葉は死んでいく。

 時代の進展とともに消えていった道具類の呼び名は、こうしたプロセスのなかの出来事として、もっともわかりすい例だろう。道具類の呼び名は、その道具を使う状況が消えるはじから、死語になっていく。火消し壺、火吹き竹、火のし器などは、世代によっては完璧な死語だ。五徳や十能、カンテラなどは、なんのことだかわからないだろう。ただし五徳は、基本性能はまさに五徳であるものが、いまでも日常的に使用されている。どんなに昔のものでも、その基本性能がいまでも必要とされているものは、少なくともその呼び名が死語になることはないようだ。簀の子(すのこ)や布巾(ふきん)あるいは褌(ふんどし)などのほうに。

 畳や畳敷きの部屋という言葉は、死語への道をゆっくりと歩んでいる。いま僕が住んでいる家に畳の部屋はない。畳の部屋のない家は、僕にとってはこの家が最初だ。住宅展示場で既製品の住宅を見てまわると、玄関を入ってすぐ脇に畳敷きの部屋がひとつだけある、という間取りが多い。便利に使える、年寄りが好む、畳の部屋はほっとする、というような理由からだと思うが、昔の畳とまるで感触が異なるし、和室とは言いがたく閉塞感の強い部屋であることがしばしばだ。言葉はまだあっても、正しい実態はもはや失われている、という例だ。

 畳にすわってほっとする、というような言葉や気持ちが、畳もどきの存在によって、少なくともイメージの上では維持されていく。実態は明らかに変質を遂げているのに実態は明らかに変質をとげているのに、言葉だけはそのまま残る。死語への長い道のりには、このような側面もある。畳の部屋が消えると、それにまつわるすべてが消える。すわるときや立つときの身のこなし、あるいは人に座布団をすすめるときの動作や言葉、といった細かなことすべてだ。

 都電の停留所、というものを見たことも聞いたこともない人たちが、そろそろ多数派ではないか。都電にまつわるありとあらゆる事柄が、都電の停留所という言葉でひとからげにされて、死語となった。都電の停留所で都電を待つとはどんな感じなのか、人はもはや二度と知ることが出来ない。

 電話ボックスという言葉も同類だ。自分が入ろうとした電話ボックスのなかに人がいて電話をかけているから、外に立って待っていると、ボックスの窓ガラスごしに邪険な視線が飛んでくる、といった体験とともに、電話ボックスは死語となった。

 概念や価値観、日常のなかにしばしば見ることの出来た場面なども、それらが消えていくと言葉もなくなってしまう。百万ドル、という価値ないしは概念が、かつて強力に存在した。庶民には手の届かない、縁遠い世界を表現する言葉として、多用されたと記憶している。百万ドルの夜景、という言葉は死語だろう。庶民には手の届かない、といった言いかたじたい、死語なのではないか。いまでも使う人がいるとすれは、新聞に投書する年配の女性と新聞記者くらいのものか。

 百万ドルの脚線美、という言葉もあった。これは説明を要するだろう。百万ドルの保険がかけてあるそうだ、という噂が流布されるほどに美しい脚、という意味だ。ハリウッドのスター女優の脚は、それが誰のものであれ、百万ドルの脚線美であった時代が、かつてこの日本にあった。百万ドルの遺産というやつが、推理小説のなかにしばしば書かれた。百二十円で換算すると一億二千万円だ。豪華にきらめく夢や憧れを、素朴で純情だった胸のなかいっぱいに広げてくれた百万ドルという価値の概念だが、いまとなってはたいしたことのあるようなないような、微妙な金額だ。

 おなじ時代の言葉に、うどん玉というのがあった。茹でたうどんを一食分、ゆるく玉のように丸めたものだ。店先の台に敷いたすだれのようなものの上にならべて、食料品店で売っていた。おなじようなものはいまでもあると思うが、新聞紙を小さな四角に切ったものを、店のおばさんが慣れた手つきで漏斗(じょうご)のようにし、そこへうどん玉を入れてくるっと丸めて手渡してくれる、というような状況は完全に消えた。うどん玉に新聞の活字が転写されているのを見ながら、うどん玉に醤油をかけて食べてお昼はそれでおしまい、という庶民生活も消えた。

 終身雇用や年功序列といった言葉は、四十九日を迎えたばかりだ、と言っていい。ボーナス払い。べースアップ。定期昇給。社内親睦運動会。社員慰安旅行。なんという懐かしい言葉であることか。

 そしてこれらの言葉が生き返ることは二度とない。余暇やレジャー、あるいは家族サービス、ごろ寝といった言葉も、会社による雇用の保証があればこそのものであった事実が、早くもお伽話のようではないか。

 会社勤めのお嬢さん、という言葉は、一九五〇年代から六〇年代いっぱいくらいまでは生きていたが、いまではこんな言葉を使う人はいない。そのお嬢さんたちはサラリーマンと結婚し、うちのかみさんになっただけだった。そして当のサラリーマンたちは、ちゃんとした会社に勤める堅い仕事の人、などと呼ばれたのだったが。日本をつい昨日まで支えてきた会社絶対主義とも言うべきものが、音を立てて崩壊を始めている。それとともに消えていき、死語となる言葉は多いだろう。「つらいのはみんなおなじさ、おたがいに我慢して頑張ろう」などという言葉が、いまどこで通用するだろうか。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

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2002年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 戦後 日本語 言葉
2016年12月22日 05:30
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