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一本の鉛筆からすべては始まる

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 いま僕は一本の鉛筆を手にしている。ひとり静かに、落ちついた気持ちで、指先に一本の鉛筆を。たいそう好ましい状態だ。少なくともいまはひとりだけでここにいる自分というものを、その自分が指先に持つ一本の鉛筆は、すっきりと増幅し際立ててくれる。いまきみは孤独だ、とその鉛筆は僕に言ってくれている。

 孤独な僕は、I think better with a pencil in my hand.というワン・センテンスを思い出す。鉛筆を手にしていると自分はより良く考えることができる、という意味だ。ずっと以前にどこかで読み、それ以来いまも忘れずにいる。

 考えるためには、人は孤独であるのが、もっとも好ましい。考えるとは、心が精神作用を営んでいく過程の、ぜんたいだ。考える営みとは、心とその働きそのもののことだ。そして心にとって最高にクリエイティヴな状態は、孤独より他にあり得ない。

 考えるプロセスは心そのものだから、結果としての数字だけを人に求める社会は、心などいらないと言い切って、心とその働きを排除している。排除された心はどうなるのか。自分に価値を認めなかった社会に対して、心はいずれなんらかのかたちで復讐するはずだ。

 ありとあらゆる人による、範囲も種類も無限と言っていい思考、そして彼らがなし得るすべての想像などの膨大な可能性が、一本の鉛筆に託されている。あらゆる言語で無限に書かれ得る言葉が、そして図形が、鉛筆のなかにある一本の芯という、黒鉛と粘土の混合物へと、抽象化されている。一本の鉛筆は、人間が自らの可能性を、最大限に抽象化してみた例ではないか。その一本の芯を木材がくるんでいるが、その木材は、考える心を支える実用性というものの、極限的な抽象化だろう。

 鉛筆を削った子供の頃の自分を僕は思い出す。子供の僕はこれから学校の勉強をしなくてはいけない。ヨシューフクシューだ。予習復習、と漢字で書けるようになったのは、いつ頃のことだったか。学校の勉強はできることならやらずに済ませたかったが、そうもいかないのが成長の日々というものだ。学校の勉強を始めるために、まず鉛筆を削った。削り終えたら勉強を始めなくてはいけないから、何本もの鉛筆をゆっくり丁寧に削った。何本ものとは言っても、そのときセルロイドの筆箱に入っているだけだ。赤青の色鉛筆を加えて、せいぜい四本だったろう。

 四本とも削り終えて、さて、次はなにをすれば勉強の開始を先に延ばすことができるのか、という思案をめぐらせるのだが、削っていくあいだの子供の気持ちは、大げさに言うなら、覚悟の醸成だったのではなかったか。学校の勉強は嫌だが、嫌だ、というその気持ちや態度の克服が、じつは勉強だった。

 人が基本として知っていなければならないことは、たくさんある。それらを子供のうちに知って、自分という人の枠組みにしてしまえば、それ以後は忘れることはない。だから勉強は、社会がそのなかの人すべてに対して、問答無用に強制してくるものであり、一介の子供としてはそれを一身に引き受けるほかない。

 引き受けてもテストはいつもどおりおそらく〇点だが、なんとか五十五点くらいでかわしたいという切なる気持ちで鉛筆を削っていた幼い僕の心は、自分はこうして社会へ参加するのだというごく淡い認識を、小刀の刃先から削り落きれるいくつもの小さな木片に、感じ取っていたような気もする。

底本:『なにを買ったの? 文房具。』東京書籍 2009年

11月11日刊行! 『万年筆インク紙』

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2009年 『なにを買ったの? 文房具』 子供 文房具 書く 鉛筆
2016年11月1日 05:30
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