今日のエッセイ|空の写真集|自分の意味が消えるとき

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「片岡義男全著作電子化計画」では、小説だけでなく、エッセイの電子化もすすめています。

本サイトでは、新刊で入手できなくなった既発表作品(一部のぞく)から、毎日一編を公開する「片岡義男エッセイ365」をお届けしています。特に理由のないこともありますが、季節や記念日、今の社会や歴史上の出来事にちなんだ作品も折々に紹介しています。こちらのブログでは、エッセイ周辺のエピソードや掲載の背景をすこし掘り下げてお伝えしてゆきます。

▼8月5日|片岡義男エッセイ365|自分の意味が消えるとき

さて、今週は、沖縄から東北まで梅雨も明けたので、夏を想起させる”空”のエッセイを少しまとめてご紹介しました。片岡義男といえば、”海”のエッセイはたくさんあるだろうことは想像できますが、”空”のエッセイも意外とたくさんあるのです。

海は、でかけていかないと見られませんが、空は、見上げればそこにある。もっとも身近なこの自然を「見ようともしない人たち」は、今日(8月5日)のエッセイによれば、

「技術と貨幣が作り出す虚無にむかって、今日もまたひたすらに突っ走っているにすぎない。自己を懐疑しないからこそ、そのような不気味な運命を自分の身の上に引き受けることが出来る」「自分の意味が消えるとき」

のだそうです……。

片岡義男のこれまでの写真作品をおさめた「片岡フォト」を眺めてみると、確かに。空の写真がたくさんあります。全部集めれば一冊の写真集になりそうです。

★月刊誌「LEON」(発売中・2016年9月号)で、短編『一日じゅう空を見ていた』が、片岡義男の空の写真とともに掲載(抜粋)されています。文庫本サイズでは味わえなかった、雑誌ならではのビジュアルが美しいです。

★片岡義男『一日じゅう空を見ていた』(1983)

「よく晴れた空の透明な奥行きの、どことも定めないさまざまなところを、静かな視線でじっと見ているだけで、彼女は充分に幸せだった」 朝から夕刻、そして月の浮かぶ夜空まで、刻々とうつろう空を「彼女」とともに味わう一編。

 

2016年8月5日 10:03