東京箱入り娘(その6)|ジューク・ボックス篇

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北條一浩@編集部

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この連載では、片岡義男作品の中にしばしば現れる「箱」に注目してきました。「箱」というのは、前回の第5回の時の「ギフトボックス」のように文字通り箱そのもののこともあれば、自動車のように四角く囲まれて、その中に登場人物がいる状況を「箱」と呼んでいることもあります。これまで、「電話ボックス」「エレヴェーター」「2台の自動車」「ステーション・ワゴン」「ギフトボックス」について書いてきましたが、6回目の今回は前回の「ギフトボックス」に引き続き、その中に人物が入っていないそれを取り上げます。
音を奏でる美しい「箱」

 今回の「箱」は、ジューク・ボックスです。

 先日、写真家の佐藤秀明さんにお目にかかり、インタビューをしました。ご存知の方も多いと思いますが、佐藤さんは片岡さんとは長いお付き合いで、角川文庫版の片岡さんの本のカヴァーには、佐藤さんの写真がたくさん使われています。 

 詳細はまだ書けませんが、その佐藤さんが、かつてアメリカのあちこちを旅して写真を撮っていた頃のこと、そして今年これから再びアメリカを再訪することをお話いただく中で、数々の思い出の中にジューク・ボックスが出てきたのです。

 そうか。ジューク・ボックスか。

 どこにでもあるというものでもないので、20代の方なんかはもしかすると「見たことない」ということもあるかもしれませんが、それがどういう存在であるかはわかりますよね? でっかい箱の中に音響装置があり、あらかじめセットされたレコードがあって、硬貨やコインを入れたら曲のリストの中から聞きたいものを選んでボタンを押す。すると機械がうやうやしく選ばれたレコードを取りに行ってプレーヤーに置き、さあ、音楽が流れてきます。
 要するに、音楽の自動販売機ですね。飲料みたいにブツは出てこないが音は飛び出してくる。
 個人で所有している愛好家もいるけれど、たいていはお店に置いてあります。バーやスナックといった、アルコール、軽食を出す所。かしこまったレストランには、まず見当たりません。ごく気軽で雑多な公共空間にあるのが自然で、インテリアとしても美しいです。

 タバスコのびんを置き、ピザを食べようとして顔をあげた彼は、ふたりの女性が顔を見合わせているのを見た。驚いたような、面白がっているような、そんな表情がふたりの顔に浮かんでいた。  
 ふたりは、彼を見た。ふたりの女性の視線を、同時に彼は見た。
 カウンターの中の女性が、さきに笑った。客の女性も、笑った。
 三角に切れ目を入れたピザをつまみあげようとしたまま、彼は手を止めた。当惑した目で、ふたりの女性を交互に見た。
「ごめんなさい、笑ったりして」
 カウンターの中の女性が、そう言った。
「さっきから何度もかけてたとこなんです、この曲を。五回はかけたわね」
 と、客の女性を見た。
 うなずいて、彼女は煙草を灰皿に消した。
 カウンターの女性は彼女を手で示し、
「ミヤちゃんの大好きな曲なの。うちに見えるお客さんでこの曲をかける人って、めったにいないんですよ。でも、ミヤちゃんのリクエストで、ずっとはずさないで入れてあるんです」
 彼は、ピザをつまみあげた。チーズが糸を引くのを切り、ふたりの女性を見て微笑した。目尻にしわが何本も寄り、乱ぐい歯が見えた。気持ちのやさしい、素直な照れ屋の笑顔だった。
「ぼくも、この歌、大好きなんです」
 低い声で、彼が言った。

ワン・キッス」より

 だいたいの状況、おわかりいただけますよね? 引用した中に「ジューク・ボックス」という言葉こそ出てきませんが、スナックに入ってきた1人の男性が、ピザパイを注文するかたわらジューク・ボックスでお気に入りの曲をかけた。それはいまさっきまで、カウンターの女性(お店の人でしょう)と常連客の女性がさんざん聞き倒した曲で、しかし男性はもちろん、そんなことは知る由もありません。
 男女の出会いのシーンとして、ジューク・ボックスがいい仕事をしています。

 ここでちょっと、理屈をこねてみます。ジューク・ボックスを置いてある店というのはそうそうあるものではないので、例えば今日、私たちがどこか飲食店に入って音楽が流れているとしたら、それは基本的に有線放送かラジオ、もしくは店側が用意してかけている曲ということになります。つまり、そこには客側の選択肢はありません。常連客がお店の人に「あのCDかけて」とお願いすることはできるでしょうが、それは例外に属するでしょう。

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「kataokaフォト・ライブラリー」より

 ジューク・ボックスの肝心な点は、曲の入れ替えが可能だとしても、1つのボックスの中に入れることのできるレコードの数は、そう多くないということです。「ワン・キッス」のスナックにあるようなタイプなら、せいぜい30曲くらいじゃないでしょうか。
 客はジューク・ボックスにある曲のリストを見て「おっ、これいいな」「なつかしいな」と思う曲を選んで、買うことになります(あるいは店によっては無料サーヴィスの場合も)。つまり、そこにあるものを見て初めて欲求に火が付き、それを手に入れたいと思うわけです。

ストーリーの起点となる一曲

 カラオケBOXとの違いで考えてみましょう。そう、あれもまた、まぎれもない「箱」の世界ですね。カラオケBOXには膨大な曲の用意があります。むろん、無限にあるわけではないし、インディーズの曲やマニアックな曲はないにしても、「あれ歌おうかな」と想定するような歌なら、たいていは揃っています。多種多様な客の欲求に答えるのがカラオケBOXです。そして言うまでもなくそこでは「歌う」ことが主眼だから、曲をちゃんと「聞く」ことは困難です。

 例えば小説で、男女がカラオケBOXに一緒に行き、男性が最初の曲を選んで流れてきた瞬間、連れの女性が「それ、私のいちばん好きな曲なんです!」と叫んだらどうでしょう? あまりに滑稽じゃないですか? 数千数万の選択肢の中からベストチョイスすることの滑稽さに対し、あのスナックの、せいぜいが30曲の中の偶然の一致のほうがどれだけストーリーの起点として楽しく、豊かでしょうか。スナックの3人には、会話の前に驚きがあり、思わず顔を見合わせるシーンがあり、笑いがあり、そのあとにやっと言葉がやってきます。
 小説というものは、こういう段取りをちゃんと書いて、組み立てられるべきものではないでしょうか。

 この連載では度々、片岡義男という作家の小説には、「努力」という概念が無いと書いてきました。このジューク・ボックスのシーンもまた、見事に非努力の楽しさに満ちています。カラオケBOXの女性には、ほんとうはいちばん好きというほどではない曲なのに、今後のことを考えて(つまり、彼女なりにがんばって)「いちばん好き!」と叫んだ可能性が相当ありそうなのに(カラオケBOXにこだわってすみません、比較のための単なる状況設定です)、スナックの曲のほうは、ほんとにたまたまの、偶然の一致が、向こうからやってきただけなのです。さほど人気がない曲なのに、「ミヤちゃんの大好きな曲」ということであえて残していた、という所は確かに恣意的な選択なのですが、まさか、今日もさんざん聞いた後に、私たち以外、ほとんど誰も選ぼうとしないあの曲をすぐにかけてくれる男性が現れるなんて。ミヤちゃんも男性も、その曲が好き、ということで共通しますが、しかしそれは2人の(3人の、と言ってもいい)どちらが持ってきたのでもない、彼女たちにも彼にも属さない、ジューク・ボックスという独立した「箱」から、それはやってきました。

 佐藤秀明さんのお話に導かれて、「ジューク・ボックス」の一語から、ここまで書いてきました。最後に、「ジューク・ボックス」(juke box)の juke ってなんだろう? と思って調べてみたら…… そこには、この装置が生まれた背景や空気が濃厚に反映されているのでした。Wikipedia等でカンタンに調べられるので、ここには書きません。興味を持たれた方はぜひ、検索してみてください。そしてついでに画像検索も。昔日の美しい箱の数々を見ることができます。

 ちなみに、晶文社創業55周年記念出版の1冊として一昨年復刊された片岡義男さんの『10セントの意識革命』、あのカヴァーを飾っているのが、ジューク・ボックスです。

引用した本「ワン・キッス

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夜のスナック。同じ曲をジュークボックスでかける、という偶然。帰る家がない、という出来過ぎの状況。 夜の東京の、遊歩道。世田谷、環七、環八あたり。2人が歩く、昼とは違う表情の東京が美しい。

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2017年10月6日 00:00