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映画評論『吉永小百合の映画』より27作品を公開

映画評論『吉永小百合の映画』(東京書籍/2004年)より27作品を本日公開しました(2作品は公開済み)。1959年3月の吉永小百合のデビュー作『朝を呼ぶ口笛』から1962年の『キューポラのある街』までを片岡義男は公開順に鑑賞し、「知っているようで実は何ひとつ知らない」15歳から17歳にかけての女優・吉永小百合について「発見」をしていきます。

01 まえがき

吉永小百合が映画でデビューしたのは、1959年3月の『朝を呼ぶ口笛』という作品からだ。2004年の今からだと、45年前のことだ。45年遅れの観客として、いまこの作品を見たらどんなだろうか。この作品だけではなく、そこから始めて公開順に、まず最初の段階として1962年の『キューポラのある街』まで、28本の全作品を、僕に可能なかぎりの短い期間のなかで、つまりほとんどいっきに見るのは、充分に遅れてきた観客が楽しむ特権のようなものではないか。
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02 『朝を呼ぶ口笛』

『朝を呼ぶ口笛』は、全国小中学生作文コンクールで文部大臣賞となった作文を原作としており、当時15才の吉永小百合のデビュー作だ。脇役のひとりとしてごく小さな、しかし重要な役で登場する。この小さな役を、吉永小百合はきれいにこなしている。物語の中の大きな出来事の前に起こる前振りも、実に丁寧で効果的だ。撮影もたいへんいい。全編をおだやかに引き締めてひとつにまとめている中心軸は、撮影の良さだ。演出の力でもあるだろう。スタッフ全員の誠実な熱意というものの、ひとつのきれいな見本がこの映画のなかにある。画面に登場する誰の周囲にも、ごく自然で無理のない空間が常に存在している。物理的な空間であると同時に心理的な距離でもあり、どの人にとっても確実に安全地帯として機能する空間だ。全体が極めて穏やかに展開するのは、おそらくこのせいではないか、と僕は思う。
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03 『まぼろし探偵 地底人襲来』

1960年、吉永小百合は8本の映画に出演した。その最初が2月に公開された『まぼろし探偵 地底人襲来』だ。少年雑誌に連載されたコミックスを原案としたものだ。公開されてから44年後にこの作品を僕は、まろやかに熟成した穏やかで温厚な展開のコメディとして受けとめた。1本の映画が時を隔ててワインさながらに熟成をとげるということはありえない。全編にいきわたっていると僕が感じた感触は、44年間という時の経過のなかで僕がすっかり失った、1960年の日本との共生感ないしは同時代感にほかならない。自分なりにすれっからしとなったいまの僕は、当時の映画に映し取られた、当時としてはごく普通の感触を、まろやかな熟成として受け取る人となった。作品の中で吉永小百合は吉野という博士の次女を演じている。デビュー作の『朝を呼ぶ口笛』で僕が気づかなくてはいけなかったのは、少なくとも大人の年齢になるまではずっと、どの映画でも、誰かの娘という文字どおりの娘役を、十代なかばから後半にかけてという年齢の女優は演じる、という当然の事実だ。
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04 『拳銃無頼帖 電光石火の男』

1960年の5月に公開された『拳銃無頼帖 電光石火の男』という作品は、赤木圭一郎を主役に据えたシリーズの第2作目であり、吉永小百合にとっては日活からのデビュー作になる。当時の日活は本編のなかで新人女優のスクリーン・テストをやってのけており、吉永は喫茶店でウェイトレスとして働いている節子という女性を演じている。カラー映画のカメラ・テストも兼ねて新人の彼女を紹介するため、なにか適当な役を作ってくれないかと頼まれた脚本家にとって、喫茶店のウェイトレスはもっとも無理のないところだったのではないか、と僕は推測を楽しむ。吉永小百合の聡明さ、まっとうさ、真面目さ、芯の強さ。可憐さに意志のそなわった、すっきりとした顔だち、可愛い声。こういったものが、テストとして全て披露されている。
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05 『霧笛が俺を呼んでいる』

日活での2作目であるこの映画に、吉永小百合は脇役で登場している。10代の半ばから後半に向かいつつある女優は、親の娘という文字通りの娘役を演じるほかに、誰かの妹役を演じる存在でもあるという、ごく当たり前の事実に僕はこの映画で初めて気づいた。この作品は、赤木圭一郎を観客に見せるための映画なのだから、彼は可能な限り多くの場面にいたほうがいいという方針のもとに、物語は進展していく。物語のおよそ半分は過去の中にあり、過去のいきさつは順不同に説明される。現在の中にいる主人公は時計の時間に沿って動くほかなく、したがって都合のいい偶然でつじつまを合わせていく作法が多用される。作劇上のこうした制約から生まれてくる奇妙さは、公開されてから四十数年を経た現在では、その原理さえ理解すればかなりのところまで楽しめる。一方、この映画での吉永の役の設定は、物語にとってなんの必然も持たない。
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06 『拳銃無頼帖 不敵に笑う男』

『拳銃無頼帖 不敵に笑う男』で吉永小百合は、主人公である「抜き射ちの竜」の妹・則子を演じている。ここでも彼女はスクリーン・テストを受けていると僕は思う。しかし彼女がどのような役を演じれば最も好ましいか、製作者たちにはかすかに見えてきたようだ。彼女の台詞の喋り方は、あの時代における平均値からはかなり離れている。このことも少しずつ彼女にとって有利に作用していったのではなかったか、と僕は感じる。この映画の主演、赤木圭一郎は大変にいい俳優であり、残した十数本の作品は貴重だ。僕とは完全に同世代の人だが、映画のなかで演技をしている彼を見るかぎりでは、年齢よりもはるかに大人びている。しかし通常の意味での大人に近い、という意味ではない。独特としか言いようのない位置に、彼は最初から独立していた。
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07 『疾風小僧』

1960年は、日本映画の製作本数と全国の映画館の数がピークに達した年だ。この年の映画『疾風小僧』で、吉永小百合はやくざの組長の娘を演じている。画面に見る吉永小百合が、若い美人であることは確かだ。感じがいい。清潔感がある。画面に映るすべて、そしてそこからかもし出される雰囲気の総体が、清潔感であると言ってもいい。そしてそれ以上に強く観客に伝わるのは、彼女の怜悧さだ。女性としての柔らかさとその重みのようなものを、吉永小百合は画面の中では一切感じさせない。敗戦の年から5年きざみで日本は質的な激変を体験してきた。その激変のなかから生まれた、それまではなかった新しい女性のイメージを、吉永小百合は部分的にせよ体現しているように僕は思う。筑波久子や白木マリたちを仮にそれまでの女性像だとすると、そこから以後の女性像としての吉永小百合との間には、激変としか言いようのない差異があると僕は感じる。
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08 『すべてが狂ってる』

『すべてが狂ってる』は出来の悪い映画であり、後味は良くない。何よりも強く印象に残るのは、全体に及ぶ薄気味の悪さとしか言いようのない、不毛で閉鎖した関係が観客に伝える感触だ。その根源的な発生源は、他者とまともな関係を結ぶための言葉を、登場人物たちが誰ひとりとして持っていないことだ。その不毛さは、現在の日本まで地続きだ。1960年ですでに、日本人がいかに言葉を失っているか、脚本家(星川清司)と監督(鈴木清順)は深く鋭く知り抜いていたのだろうか。そんな中で、吉永小百合が小さな役として演じた女性だけは、平凡ではあるけれどきわめてまともな言葉を持っていることに、いま僕は気づく。重要な言葉の大半を人々がすでに失っているという、核心だけは正確につらぬいて作られた一編のプログラム・ピクチャーが、四十数年という時間を経て予言的な傑作へと昇華されていく。かなり珍しい一例だが、決してありえなくはない。
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09 『ガラスの中の少女』

1960年の11月に公開された『ガラスの中の少女』は、ヴィデオで一度だけ見た印象では不思議な映画だ。一体何をどうしたかったのか、まるでわからないという不思議さ、そして奇妙さだ。吉永は主人公の少女を無理もなくこなしているが、大学教授の娘という設定は、彼女に似合いそうでいてなぜか似合わない。相性が悪い、という言い方をしてもいい。「純愛ものの原点となった作品」というヴィデオ・パッケージの言葉を手がかりにして、この映画を今の僕が解釈することは充分に可能だ。日本映画における純愛ものとは、若い人たちが社会性とは無縁のまま、つまり個人になる前に、社会から死によって退いていく様子を主題にした作品群を意味するようだ。しかしそれほどに強く主人公が社会性を拒否しなければならない理由が、この映画にはどこにもない。
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10 『美しき抵抗』

1960年の12月に公開された『美しき抵抗』は、上映時間が59分のショート・プログラムだ。吉永は三人姉妹の三女を演じている。この映画では彼女の一家の経済の問題や、それと密接に関係する、男とは、そして女とは、という問題についてどちらも深追いされていない。三人娘それぞれの視点から、男とは、という図式が提示されるだけだ。男とは、女とは、という問題に経済の問題を絡めると、男女間のさまざまな格差の問題へと入っていく。しかしこれは厄介すぎて手に負えないから、三人の年頃の女性たちからの平凡な申し立てへと問題をずらしてある。この作品を見終わった僕は、1960年の東京へ、浦島太郎として舞い戻ったような気持ちになった。あまりに単純化されていて奇異なのだ。
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11 『大出世物語』

1961年、吉永小百合は日活で『大出世物語』をはじめ16本の作品に出演した。この作品に限らず、勤労、勤労者、勤労者層といった問題が、ごく素朴に、決して深追いはされない形で、吉永小百合の出演作の底にほぼ共通して流れている事実は注目に値する。この1年に関して、彼女は自伝『夢一途』の中で「この時期は意識や感情を薄れさせてしまうほど殺人的なスケジュールの日々だった。朝早くから夜明けまで、皆でひたむきに映画づくりに励んでいた。日本全体がそんな時期でもあった」というように書いている。こんなスケジュールの日々で映画を作っていれば、映画界はじり貧になって当然だ。1本の娯楽映画としての骨格すらおぼつかない作品が、毎週、日本全国で公開された。日本全体がそんな時期でもあった、という記述は興味深い。16歳の少女は撮影をこなしながらも、日本全体を感じ取っていたのだ、と僕は判断する。
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12 『天使が俺を追い駈ける』

『天使が俺を追い駈ける』では、化粧品会社に勤務するセールスマン役で三木のり平が主演している。彼の会社がある建物のエレヴェーター・ガールを演じているのが吉永小百合だ。演じた当人にこの役の記憶はほとんどないのではないか。制作意図としては喜劇だろう。しかし面白くもなんともない喜劇にどれほどの価値があるものか。この時期、「なにはなくとも江戸むらさき」という海苔の佃煮の広告コピーがTVCMを中心にして、流行語のように全国に広まった。このTVCMに出演していたのが三木のり平だ。きっとのちほど何かあるな、と思いながら見ていくと、あるシーンで江戸むらさきの瓶が登場する。このシーンのある1か所だけが、僕にとって笑えたところだった。
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13 『花と娘と白い道』

1961年3月に公開された『花と娘と白い道』は、関係し合う主要な人物たち同士の、気持ちのありかたやその動きあるいは変化などの描き方に、不均衡な空白がある時にしばしば生まれる奇妙な印象が、見終わると同時に全体を覆う。吉永小百合演じる主人公は、農家を営む両親と、結婚して3ヶ月で他界した兄の妻と4人で暮らしている。「わがままを言ってます」という言葉が兄嫁の台詞にあるが、それはこういった状況の全体を意味しているようだ。自分が何をどうしたいのか、気持ちや意志がもっともはっきりしないのはこの兄嫁で、不均衡な空白とはこのようなことを指す。一方、主人公が発揮する彼女の意志は、あくまでも強く明るく明確で、18、9歳という若さにふさわしい心くばりが、その意志を魅力的な影として縁取る。吉永小百合に対して日活がなんとか用意することができたのは、このような紋切り型の役どころだった、と僕は理解している。
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14 『ろくでなし稼業』

『ろくでなし稼業』(1961年3月公開)は『稼業』シリーズの第1作で、宍戸錠の初主演作だ。彼の出演する映画のさまざまな約束事をすべて承知した善意の観客が、まあなんとか許してくれるかどうか、という出来ばえの作品だ。ある事情でなかば失業し、酒浸りの中年男性の娘・澄子の役を吉永小百合が演じている。暮らし向きは楽そうに見えないが、明るく元気であり、まっすぐに前進しようとしている。そんな都会的な雰囲気の美少女の「おとっつあん」という台詞は、違和感を作り出すと同時に内面的にはよく似合っている様子が、もうひとつの違和感を作り出す。そのあと、ほとんど一間に近い室内のありかたとも無理なくなじんでいることを僕は知る。吉永小百合の映画の13作目において、僕は吉永小百合をこうして発見する。もうひとつ、室内から外に出ると間違いなくあるはずの、こまごまと建てこんだ路地や裏道などと、好ましい相性の良さを彼女は持っていることを僕は発見した。
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15 『警察日記 ブタ箱は満員』

『警察日記 ブタ箱は満員』は、ストーリーはともかく、小さな芝居の集合体として、よくまとまっている。この映画で、生活に困窮して東京へ集団就職する零細小作農の長女のヨシエという役と、吉永小百合との相性のようなものについて僕は思う。彼女をひと目見れば、都会的な雰囲気の人だ、と誰もが思うはずだ。はっきりした目鼻だちに、曖昧な緩みやふくらみがなく、自分の強い明確な意志に支えられて存分に怜悧そうだ。しかし、彼女にお嬢様は似合わない。お嬢様とは勤労しなくてもいい人だと定義すると、それが似合わないとは、勤労者の役こそ彼女には似合う、ということだ。程度の差こそ多少はあるにしても、平均すればけっして楽ではない暮らし向き、というような勤労者のおそらくは胸のうちを、彼女は無理なく体現することができるのだろう。そうであれば、舞台が都会か農村かは関係ない。16歳の吉永小百合は、少なくとも映画のなかでは、つまりまだごく若い女優としては、1960年代が始まった頃の日本の、もっとも若い年齢層の勤労者だ。
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16 『早射ち野郎』

この作品で吉永小百合は、ダム景気に沸く新開地の医師の娘、美佐を演じている。ごく小さな役であり、ストーリーやその展開に対して与える影響はほとんどない。しかし、性格の設定のされかたは、これまで吉永小百合の役にあたえられた性格から外れることのない、極めて特徴的なものとなっている。自分を信じて目標に向けて前進する、という性格だ。この性格は、ここまでの彼女が演じて来た役のほとんどに共通している。このような性格を演じると彼女がもっとも精彩を放つという事実を、現場の誰もがひとまずは見抜いていたようだ。彼女の体つきは、周囲のなにをも、そして誰をも、邪魔しない。かと言って、誰に対しても自分を預けるようになじんでしまう、ということもない。まだ16歳だということもあるが、持って生まれた基本的な質として、従来通りの女というものを、彼女は感じさせない。しかし、中性的と断じていいほどに、女から離れているわけでもない。この微妙なところがきわめて新しい。
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17 『有難や節 あゝ有難や有難や』

『有難や節 あゝ有難や有難や』は、1961年の5月に公開された。守屋浩という歌手によってヒットした歌謡曲「有難や節」に便乗した、いわゆる歌謡映画のひとつだ。「有難や節」という題名くらいなら、僕でも知っている。しかし、それはいつのヒットでしたかと訊かれると、答えられない。この映画を見て初めて聴いた歌だと言っていいが、たいそう奇妙な歌だ。メロディ的に展開の希望がいっさい持てない、陽気なようでいて実はかなりのところまで陰気な歌だ。この歌の助けを借りて娯楽映画を1本作るのは至難の技だと僕は思う。そしてその至難さゆえに、歌とはなんの関係もない、悪は滅び、正義の人たちに勝利がもたらされるという、毎度おなじみのパターンのアクションものとなっている。吉永小百合は零細自動車修理工場を営む男の娘の役で出演しており、冒頭にごく短く彼女の出番がある。経済的な苦境にある父親をはげます聡明で美しい娘という役だが、ストーリーにはまったく関係せず、最後の祭礼の場面にもう一度だけ、短く登場する。
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18 『青い芽の素顔』

この映画では玩具工場で高級輸出玩具の組み立て工として働きながら大学進学を目指す、山中みどりを吉永小百合が演じている。父親はおらず、母親の営む一杯飲み屋は姉が手伝っている。そのみどりはたまたま映画館の前で出会った、川地民夫演じる大学生の誠と付き合い始め、お互いに好意を深めていく。ストーリーは勤労層と富裕層の対比の構造で成立しているが、誠との場面における吉永は明らかに精彩を欠いている。この作品の全体にわたって、かなり多く出てくる実写された光景は、計算にもとづいて一定の意図のもとに取りこまれたもののようだ、と僕は解釈している。また、飲み屋での人物の演技の間合いや所作など、手順としての人の動きをそのとおりに撮っただけのシーンと思うが、僕にとっては素晴らしいものだった。娯楽映画のなかのなにげない場面は、時としてその製作当時の人々の生活を、そのままにすくい取ってフィルムに固定する。
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19 『闇に流れる口笛』

『闇に流れる口笛』は和田浩治主演のアクション映画だ。この主人公の父を殺し、今はキャバレーの経営者であり密輸業者でもある男への敵討ちの話だが、この経営者のひとり娘、咲子を演じるのが吉永小百合だ。社長令嬢ということになっているが、令嬢という役を演じるために必要な、根源的な相性のようなものを吉永小百合は持っていない。衣装や髪型、持ち物、化粧など令嬢とはまあこんなものだろう、という堅苦しさの固定観念に作り過ぎの様相が加わり、その結果として彼女だけが浮いて見える。こうしたことも吉永小百合には似合わない。なぜこれらが彼女にはこうも似合わないのか。彼女には自由意思が似合うからだ。これが自分だ、と言い切ることの出来る状況や生きかた、つまり自分のアイデンティティへの忠実さが、彼女にはもっとも良く似合う。
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20 『この若さある限り』

『この若さある限り』は学園もの、とかつては呼ばれた領域に属する作品だ。吉永小百合は高校生の亮子という役だ。隣の家には行雄という、経済的にも生活環境的にも亮子と同じような環境の少年がおり、亮子は行雄を好きだが、行雄は高校の国語教師・のぶ子に夢中だ。この映画では、自分の思うとおりには動かない行雄への感情を、一本の鋭くまっすぐな強い我意のようなものに転換した上で、自ら抑制することもなく、周囲に対して放っていくという吉永を見ることができる。たいへんいい、と僕は思うけれど、これを主役としてストーリーのなかで生かすのは難しいだろう、とも思う。どうすればいいのか進むべき方向の見きわめも決断もつかないまま、あれこれと迷っている状況からあるときすっぱりと抜け出し、それ以後はひたすら強い本来の性格のままに、早口の筋道正しい論理で誰であれ説得しては信じる方向へと突き進む、というような性格が彼女にはもっとも良く似合う。
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21 『俺は死なないぜ』

和田浩治主演のいわゆる日活アクションものだ。緊密に構築されたストーリーなど、期待するほうが間違っているという種類の映画だから、そんなものはゼロに等しく、撮影と編集の技巧の冴えが生み出す緊迫感にからめ取られ、アクションというカタルシスを充分に体験させられる、といった快感もまったくない。ただ、この作品での吉永小百合は、ここまで見てきた彼女の延長線上にあるものとして、たいそう興味深い。吉永小百合が演じる和田の義理の妹は、ストーリーのなかでなんら機能していないが、性格付けは彼女にふさわしいものとなっている。彼女は二度だけ画面に現れるが、二度目の風情の方はこれでこそ吉永小百合だと言うべきものであり、初めに出て来るときにくらべると、比較にならないほどに彼女は魅力的だ。正しい論理の道筋を輪郭明瞭に、自分の前方に描き出している強い性格の女性だということがわかる。
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22 『闘いつづける男』

『闘いつづける男』はかなりの秀作だ。この映画を、若い二人のボクサーとそれぞれの恋人が主役の物語だととらえると、青春映画だろう。それ以外にもさまざまな視点があるが、ストーリー全体の底部にあたる部分からこの映画を見るなら、おなじみの日活アクションそのものだと言っていい。吉永小百合は主人公のボクサーが所属するジムの経営者の娘を演じているが、基本的には必要のないものだ。主人公との関係もある一定以上に進展することはなく、日活のアクションものの中で吉永小百合が果たし得る機能は、実はここまでが限度なのだということをようやく僕は理解した。もちろんそれは彼女の能力の問題ではなく、当時の日活が作っていた映画の問題だ。そしてこの限りでの吉永小百合の、この映画における配置のされ方はたいへんいい。何の機能も果たさないが台詞はかなりあり、髪、服、表情など、これまで見てきた20本の作品の中で、今回が最も好ましい。
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23 『太陽は狂ってる』

真面目で平凡な高校生という道を外れると、非行グループやチンピラたちの世界が待ち受けているという前提で進んでいく物語は、まぎれもなく1960年代初めの頃のものだ。当時の東京の平凡な高校生、という役を浜田光夫(光曠)が演じている。そしてチンピラの世界にいるのが、高校生の浜田とほぼ同じ年齢とおぼしき川地民夫演じる若者だ。川地と浜田の性格的な違いを際立たせるための存在として、吉永小百合の演じる役が設定されている。喫茶店で勉強をする大学生の役だ。川地にとって彼女たちは、財布のなかの紙幣をゆする対象でしかないが、浜田にとっては、僕はきみが好きだという形で、いきなり惹かれていく対象であるようだ。浜田と吉永の二人でいくつも演じることになる「純愛」の物語の始まりが、ここにあることに僕は気づく。それにしても、吉永小百合を主演に使ってどんな映画を作ればいいのか、日活にはまだほとんどなにもわかってはいなかったようだ。
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24 『あいつと私』

『あいつと私』は、スキーで骨折して休んでいた石原裕次郎が、8か月ぶりに復帰した第一作だった。制作の環境全体にわたって力が入っていたことは、作品だけを見ていてもはっきりとわかる。しかし評価としては凡作だろう。この物語は、自己をどうするか、という物語だ。この時期、経済と技術の高度成長という、それまで誰ひとりとして体験していなかった、未だかつてなかった時代へ日本は突入していった。ひとりの人の自己や主体と直接にかかわる仕事や労働が、形態にしろ内容にしろ、それまでとは別物の新時代となっていく。そのことに呼応して、自己や主体の問題が、新たな形で浮かび上がってきた。日活の男性映画がごく短い期間、かすかにそれをすくい取った、というのが僕の判断だ。物語の最後に主人公の三郎と婚約することになる、けい子という学生のナレーションがときどきある。三郎という自己の物語は、すぐ傍にいるけい子という女性の視点から語られたつもりであるようだ。このけい子の妹に吉永小百合が配役されているが、家族の一員として彼女がいるというだけで、それ以上の機能は果たしていない。
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25 『草を刈る娘』

吉永小百合の24本目の映画『草を刈る娘』は1961年10月25日に公開された。吉永小百合はここでひとまず完成し、『キューポラのある街』はその仕上げだ、という捉え方をしてもいいと思う。女優としての彼女が、ここまでの期間のなかで獲得したもののうち、もっとも重要なのは浜田光夫という相手役だ。『草を刈る娘』のなかで彼女と浜田が置かれている世界も演じる役柄も、お互いにとって初めてのものだ。都会の人に設定された彼女が、なかば無理やり自然の景色のなかに引き出されると、その景色に彼女は似合わない。しかし何代にもわたって山村や平野に根を降ろし続け、そこをいまも生活の現場にしている人の娘として設定されてそのとおりに描かれるなら、彼女は田舎によく似合う。公開された当時にこの映画を見た人たちは、一本の娯楽映画をただ単に楽しんだのではなく、いま少し深いところに届くなにごとかを確認したはずだ、と僕は思う。
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26 『黒い傷あとのブルース』

夜の波止場で男はなぜトレンチ・コートの襟を立てるのか。襟を立てるとは、そこから歩み去ることだ。初めて見た小林旭主演の『黒い傷あとのブルース』で、僕はこんなことを学んだ。その傷はもちろん心にある。そこから歩み去った男の心だけではなく、歩み去られたほうの人の心にも、同じような傷があるはずだ。彼がトレンチ・コートの襟を立てて歩み去ったあとに残されるのは、ひとりの美しい女性だ。彼女に対して彼の想いは充分にあるのだが、俺たちは結ばれない仲だ、という結論はすでに彼の胸のなかに固くある。その相手役が吉永小百合だ。少なくとも経済的には不自由はなく、生活そのものはお嬢さんのものだと言っていい。お嬢さんの状況にある女性を演じるとき、小百合の良さは発揮されない。しかし自分の強い意志を、なにかひとつのことに向けて集中させるとき、小百合は最大限に魅力を発揮する。そのことを、僕はこの作品でも確認した。
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27 『キューポラのある街』

『キューポラのある街』(1962)の主人公の少女・ジュンの、どんなときにもくじけることなく、常に明るく前向きに元気に頑張るというキャラクターは、映像上の吉永小百合と違和感なくきれいに一致したようだ。その一致ぶりを観客は賛意をもって認めた。デビュー作の『朝を呼ぶ口笛』から『キューポラのある街』の間に出演した26本の映画は、体験となって少女の内部に蓄積され、この作品では余裕として画面にあらわれている。監督との共同作業は、この余裕があったから成功した、と言っていい。作品のなかに役の上で彼女を大きく越えている存在はいないし、全く釣り合わない相手も完全に不在だ。思いのほか重要だったのは、彼女の声ではなかったか。映画の中の彼女は、あらゆる台詞を他の人に向けて言う。観客はそれをすべて画面から受けとめる。そのとたん、観客ひとりひとりの自らの声となったのではないか。自分の声が、小百合をとおして、画面から自分に届いてくる。小百合の台詞を自分の声として、観客は受けとめた。17歳でまず最初の完成域に到達した吉永小百合とは、そういうものだった。
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2023年11月17日 00:00 | 電子化計画

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