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エッセイ『この演奏がいまも聴こえる』より5作品を公開

エッセイ『この演奏がいまも聴こえる』(『At Once』JTBパブリッシング/2008年11月号~2009年4月号掲載)より5作品を本日公開いたしました。

1950年代半ばから、いろんなポピュラー音楽家が日本へ公演をしに来るようになった。戦後からまだ10年のこの頃の日本の人たちにとって、特にアメリカのポピュラー音楽とその情報は、外の世界を貪欲に見るための貴重な窓だった。1962年の暮れにホレス・シルヴァーのクインテットが日本へ来た時には、当時大学生だった僕は、彼らですら来るようになったのか、という強い感銘を受けた。その後、ホレス・シルヴァー・クインテットは日本での好ましい体験をもとに、『ザ・トーキョー・ブルース』というLPを作った。
『The Horace Silver Quintet – The Tokyo Blues』
『Jaime Delgado Aparicio y Su Trio – Jazz』

(『At Once』2008年11月号掲載)

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40〜50年前、日本でハワイ音楽が大流行していた頃、LPを買うとほぼ必ず『ハワイの戦争の歌』(ハワイアン・ウォー・チャント)という曲が収録されていた。ハワイ語の原題を『タフワフワイ』という。1950年代なかばに録音されたクルト・エーデルハーゲンと彼のビッグ・バンドによる『ドイツからのジャズ』というLPにもこの曲があった。なぜこれがこんなところに、と思いつつ聴いてびっくり、白熱の極みをつくした火の出るような純粋のビッグ・バンド・ジャズではないか。何度も繰り返して聴くうちに、僕はひとつの仮説を手にした。
『Buddy Rich / Gene Krupa – Burnin' Beat』
『Kurt Edelhagen And His Orchestra* – Jazz From Germany』

(『At Once』2009年1月号掲載)

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スタン・ケントンが自分のバンドを率いてカリフォルニアのバルボア・ビーチでデヴューしたのは、1941年、彼が29歳のときだった。1950年代なかばにはその人気はピークに達したが、スタン・ケントン自身がどの方向を目指していたのか、どのような成長をとげたのかなど、20枚を越えるLPをたどっても、よくわからない。1957年、17歳の僕は『リズムにおける芸術の新たな概念』というLPを近所の女性に聴かせてもらった。そのB面の最初のトラックは、曲の演奏ではなかったが、素晴らしいものだった。
『Stan Kenton And His Orchestra – New Concepts Of Artistry In Rhythm』

(『At Once』2009年2月号掲載)

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イギリスの戦前や戦中を僕はまったく知らないが、ヴェラ・リンという名前はなぜか子供の頃から知っている。戦後まだ間もない時期に、当時のアメリカの雑誌でヴェラ・リンについて読んだりしたのではなかったか。戦争の日々のなかにあったイギリスの人々を支えた歌、というジャンルがあるとするなら、ヴェラ・リンはそのような歌を歌った女性として、もっとも強く人々の記憶の中にある。彼女の歌声を僕が最初に聴いたのは、僕が40歳くらいの頃だった。聴いたとたん、僕は懐かしさを覚えた。
『Vera Lynn – White Cliffs Of Dover』

(『At Once』2009年3月号掲載)

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20代の前半に僕はテナー・サックスを少しだけ練習したことがある。課題曲には『ユア・チーティング・ハート』と『ハーフ・アズ・マッチ』の二曲を選んだ。ともにハンク・ウィリアムズの作品だ。一年を経ずして挫折するのだが、そこに至るまでのごく短い幸せな期間、この2曲は、僕の頭の中で、胸の底で、聴こえ続けた。今でも消えてはいまい。ほぼそのままそこに残っている。カントリーの名曲をカヴァーした演奏もののなかを探していけば、この2曲はたくさん見つかるだろう。
『The 101 Strings Orchestra* – The Country Collection』
『Roy Clark & Joe Pass – Play Hank Williams』

(『At Once』2009年4月号掲載)

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2023年6月6日 00:00 | 電子化計画

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