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エッセイ『ジャケットを見せたい 曲も聴かせたい』より13作品を公開

エッセイ『ジャケットを見せたい 曲も聴かせたい』(『Free&Easy』/2013~2015年)より13作品を本日公開いたしました。

二十一歳のパット・ブーンが、『パット・ブーン』という題名のLPジャケットのなかにいる。撮影された場所はコロンビア大学だ。この頃の彼は、大学へかようときには、いつもこのような服装をしていたのではなかったか。このような服装は、いまでも充分にいけるのではないか、と僕は思う。こういう服を着る発想をする人がいないだけで、服装そのものは少なくとも半分は時代を越えている。LPはリズム・アンド・ブルースのカヴァーとバラッドをおよそ半々に、という方針で作られており、AとBの両面に六曲ずつ収録してある。とてもカヴァーには聴こえない。若い白人男性の歌手に歌わせるために、最初からそのように作られた歌にしか聴こえないところが、いまとなってはたいそう愉快だ。
『Pat Boone – Pat's Big Hits』

(Free&Easy 2014年5月号掲載

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歌っている当人の顔を写真に撮ってジャケットに使ったLPとして、ひょっとしたらこれを越えるものは、ないのではないか。どんなレンズを使って、いったいなにをどうすればこんな写真を撮ることが出来るのか、僕には見当もつかない。よく撮ったよ、と僕は言う。マルヴィーナ・レノルズという名前は、遠い記憶とつながっている。僕の場合は一九六〇年代の終わり近くの、サンフランシスコだ。いろんなところで、じつに多くの人たちから、彼女の名前を聞いた。必ずレコードを買えよ、と僕に念を押した人がいた。
『Malvina Reynolds – Sings The Truth』

(Free&Easy 2014年7月号掲載)

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歌手のディーン・マーティンとジェリー・リュイスは、映画のためのコメディ・ティームを組み、十六本の作品を作った。日本では「底抜け」という冠を与えらえれて公開されたシリーズは、『アメリカ映画作品全集』(一九七五年、キネマ旬報社)に記載されているかぎりでは、二十四本にのぼっている。アルバム『ジェリー・リュイス・ジャスト・シングス』は、一九五一年の映画『底抜け右向け左』のなかでの五曲の歌の、続きとして受けとめればいい、と僕は思う。『ジャスト・シングス』とは、ただ歌うだけ、という意味だが、歌うだけで面白い台詞は言ってない、という含みがある。
『Jerry Lewis (3) – Just Sings』

(Free&Easy 2014年8月号掲載)

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ロサンジェルスのビリー・バーグというジャズ・クラブにチャーリー・パーカーが出演していたとき、チェット・ベイカーが飛入りで演奏してパーカーを驚愕させたことは現在も語りつがれている。「えらいトランペットがいるよ、お前らみんなそいつに食われるよ」と、パーカーはマイルス・デイヴィスに語ったという。『チェット・ベイカー・シングス』のLPが、十インチそして十二インチで発売された頃のチェット・ベイカーは、当時のアメリカ西海岸のクールなジャズの、只中のしかも頂点にいた。このLPは素晴らしい出来ばえで、トランペット奏者であり歌もヴィブラートなしで歌うという音楽家の、誠意だけがそのまま音楽になっているという、ほとんどあり得ないほどに希有な傑作だ。
『Chet Baker – Chet Baker Sings』

(Free&Easy 2014年9月号掲載)

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僕が電車でひと駅の町田へいく最大の理由は、長いあいだレコファンという中古LPとCDの店だった。この店が最近になって撤退した。ディスク・ユニオンはまだ健在だ。しかし、しばらく立ち寄っていないことに気づいた僕は、ある日、ディスク・ユニオンの客となった。ジャズのコーナーの「ヴォーカル」というひと言で仕切られたところで、『ナナ・ムスクーリ・イン・ニューヨーク』という復刻LPの、ファクトリー・シールもそのままの一枚を抜き出した。一九六二年、二十五歳だったナナが、初めてのアメリカの初めてのニューヨークで、クインシー・ジョーンズのプロデュースで録音した、マーキュリーのLPの復刻盤だ。
『Nana Mouskouri – Nana Mouskouri In New York - The Girl From Greece Sings』

(Free&Easy 2014年10月号掲載)

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アストラッド・ジルベルトのLPは何種類もあるが、僕は『ジ・エッセンシャル』というベスト盤がいちばん好きだ。ジャケットの写真が撮影されたのが一九六三年の夏の前あるいは夏だったら、アストラッドは二十四歳だ。『イパネマの娘』を英語で歌って評判になった年だ……などと書きながら、いまようやく僕は、アストラッド・ジルベルトとおなじ年齢であることに、気づいた。このベスト盤のLPには十七曲が収録されている。A面の一曲目に『イパネマの娘』があり、四曲目には『コルコヴァード』がある。ともに一九六三年三月のニューヨークでの録音セッションでの収穫だということは、最初の音を受けとめた瞬間にわかる。
『Astrud Gilberto – The Essential Astrud Gilberto』

(Free&Easy 2014年11月号)

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ドイツのベア・ファミリーから、一九九五年に、ロバート・ミッチャムの歌を収録したCDが発売された。このCDには『ロバート・ミッチャム カリプソ・イズ・ライク・ソー』というLPの十二曲を含む二十六曲が収録してある。ロバート・ミッチャムがカリプソと直接に触れたのは、映画のロケーション撮影でトリニダッドとトバゴに滞在したときだった。ミッチャムは音楽の知識が実践的にきわめて豊富で、トバゴに着いてから一週間もたたないうちに、現地の人たちの音楽を、その歌詞から複雑なリズムにいたるまで、完璧に自分のものにしていたという。ピジンに近いカリプソ英語の音や節回しがミッチャムの声にうまく重なっている。
『Robert Mitchum – Calypso - Is Like So ...』

(Free&Easy 2014年12月号)

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アメリカのジャズ歌手、アニータ・オデイは、ヴァーヴというレーベルに十六枚のLPを残した。ここにある『アニータ・オデイ・シングス・ザ・ウィナーズ』はそのうちの一枚で、録音されたのは一九五八年だ。いまから五十六年も前のことだが、このジャケットにそれだけの時間はまったく感じない。時間を超越している。マイクロフォンの前に立ったアニータ・オデイの、立ち姿の素晴らしさに関して、どんな言葉をつらねればいいのか。顔立ちとその表情がすべてを決定づけていることは確かだが、ドレスや髪、耳飾りなど完璧だと言っていい。歌っている途中だろうか、彼女の口は注目に値する。ジャズを歌う女性の口は、こうでなくてはいけない。
『Anita O'Day – Anita O'Day Sings The Winners』

(Free&Easy 2015年1月号)

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ジョージ・マハリスのハリウッド映画での俳優としてのデビューは一九六〇年の『栄光への脱出』という作品だった。同じ年、『ルート66』という題名の連続TVドラマがCBS系で始まった。主人公のアメリカ青年ふたりのうち一人をジョージ・マハリスが演じ、ドラマも演技も、高い評価を得た。ジョージ・マハリスが歌手として広く知られることになったきっかけは、一九六二年にシングル盤で発表した『ティーチ・ミー・トゥナイト』の歌唱によってだった。『今夜教えて』という日本語題名を持つこの歌は、一九五四年に作られたもので、マハリスが歌った時にはすでにスタンダードと言っていい位置を獲得していた。いい歌手だ。これだけ歌うことが出来れば、歌う当人としては、なんの問題もなかったはずだ。
『George Maharis – Portrait In Music』

(Free&Easy 2015年2月号)

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赤木圭一郎が歌った『霧笛が俺を呼んでいる』という歌は、一九六〇年に公開され、赤木圭一郎が主演した同名の日活映画の主題歌だ。ポリトール・オーケストラが伴奏をつけた、三分三十二秒の歌だ。いい歌だ、と僕は思う。前奏に間奏に、そして終わりかたのなかに、一九六〇年が封じ込められてそのままに残っている。映画の最後に、まるでおまけのように、この歌のぜんたいを聞かせるための、赤木の主演したミュージック・ヴィデオのような部分がある。この部分だけを観る、という観かたを、ぜひ試みてみたい、と僕はかねてより思っている。
『赤木圭一郎 – 霧笛が俺を呼んでる / 男の怒りをぶちまけろ』

(Free&Easy 2015年3月号掲載)

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マリー・マクドナルドが歌手として残した一枚だけのLPは、一九五七年にアメリカでRCAから発売された。そのLPが一九九三年の日本で、当時のBGMヴィクターから復刻されて市場に出た。ライナー・ノートによると、ハリウッドで女優をしていたマリー・マクドナルドは1940年秋、ハリウッド・パレイディアムに出演していたトミー・ドーシーに見出され、西海岸での生活を引き払い、ニューヨークへ移ることにきめた。女優としての将来に見切りをつけたからだ。彼女が一枚だけ残したジャズ歌唱のLPジャケットの左上には、ザ・ボディ・シングス、と感嘆符をつけて、うたってある。「ザ・ボディ」とは、彼女につけられた愛称であり、少なくともある時期の彼女は、この呼び名で広く知られた。
『Marie McDonald – The Body Sings !』

(Free&Easy 2015年4月号掲載)

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1960年に発売されたジョニー・キャッシュのコンセプトLP『ライド・ジス・トレイン』。彼が自作の歌で歌い、おそらく自分で書いたはずのナレーションで語っていくアメリカとは、このLPの冒頭で彼が列挙していくアメリカの地名の、彼の音声によって空間に放たれると同時に喚起される、アメリカそのものとしか言いようのないイメージだ。ジャケットを僕は観察する。そのいでたちと雰囲気は、日本の時代劇映画になぞらえて言うなら、旅人さんだろうか。六連発の拳銃に、弾丸が込めてあるかどうか確認しているようなポーズだ。西部開拓時代の、明らかに堅気ではない流れ者だ。ただし悪漢ではないのだろう。
『Johnny Cash – Ride This Train』

(Free&Easy 2015年5月号掲載)

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均一な黒い色がこれだけ広いLPジャケットは珍しい、と僕は思う。このLP『ジス・イズ・グレン・ミラー』は一九五六年に発売されたものだ。グレン・ミラー自身は悲劇的な展開のなかで、十年以上前にこの世を去っていた。しかしその悲劇はまだアメリカの人たちの胸のなかで、生きていた。だからこその、黒一色のなかのグレン・ミラーの全身なのだ。このLPに収録されている十二曲は、一九三九年から一九四二年にかけて録音されたものだ。彼のオーケストラが、人気の絶頂、と呼ばれた位置にあった頃の作品で、七十年以上も前のものとは誰にも思えない、究極の高みに到達している。第二次世界大戦前後の時代のアメリカをグレン・ミラー・オーケストラの音楽は体現している、としばしば言われる。そのとおりだと僕も思う。
『Glenn Miller And His Orchestra – This Is Glenn Miller』

(Free&Easy 2014年5月号〜2015年6月号掲載)

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2023年3月7日 00:00 | 電子化計画

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