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連作短編「グッドラックとしか言いようがない」から2作品、『この冬の私はあの蜜柑だ』から1作品を公開

連作短編「グッドラックとしか言いようがない」(『マガジン・ノン』祥伝社/1985〜86年)から『土星の環を見る彼女』『凧をあげる彼女』と、『この冬の私はあの蜜柑だ』(講談社/2015年)からの表題作を本日公開しました。

 その日は午後から雨が降りはじめた。傘をさした多くの人が横断歩道を行き交う。ステーション・ワゴンの中で信号を待ちながらその様子を見ていた中野祐司の視界に、見覚えのある横顔が急ぎ足で通った。池田扶美子だった。彼女は傘もささず、細長くかさばる段ボール箱を2つ抱えていた。その中身は望遠鏡(フィールド・スコープ)で、それで土星の環を見るのだという。数日後、祐司は観測に絶好の場所を扶美子に紹介し、一緒に行くことになるのだが……。

(『マガジン・ノン』1985年11月号掲載)

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 東京の姉夫婦の家に滞在中の理恵子は、現在借りている部屋でピアノ・トリオのジャズを聴きながらふと考えた。窓の外から見える住宅の立ち並ぶ高台のスロープが、砂山だったらどんなだろう。冬の午後遅く、砂丘の向こうに自分がいて、海をただ見るだけではなく何かをしているとしたら、何をしていると最も気分がいいだろうか。思ったその瞬間、閃いた。凧あげだ。九十九里の海岸へ、特急に乗って出かけていこう。窓越しの空に理恵子は自分が上げている凧を想像する。そこにはごく単純な昔ながらの奴凧が似合う。中野裕司も誘い、凧をどこで買うかを相談してみよう。彼はさまざまな領域で実によく役立つのだ 。

(『マガジン・ノン』1985年12月号掲載)

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 蜜柑(みかん)と言えば炬燵(こたつ)、炬燵と言えば蜜柑、この短編小説は煎じ詰めれば、そういう物語だ。作家の矢吹優美子が実家を出て一人暮らしを始めた一軒家は、何もないがらんとした空間だったが、そこには電気式ながら掘り炬燵があることを優美子は発見する。親しい友人から引っ越し祝い代わりに送られてきたカタログから炬燵布団を買い、12月に入ったら炬燵蜜柑をしに行くと言ったその友人・野田景子を新居に迎える。炬燵と蜜柑の組み合わせは二人の会話を次々と転がしていき、男性と一緒にその炬燵に入る自分を優美子は想起し、一人の男性を招くことにする。そこで「炬燵と言えば蜜柑」の意味を理解するのだった。

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(『この冬の私はあの蜜柑だ』講談社/2015年11月)

2022年12月23日 00:00 | 電子化計画

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