メイキング『あの道がそう言った』ができるまで
片岡義男の新刊『あの道がそう言った』が7月14日に発売になりました。編集を担当されたJAFメディアワークスの佐々木優至さんに、本書の企画から校了までのメイキング、そして本書の魅力について寄稿して頂きました。

2025年7月14日、(株)JAFメディアワークスより『あの道がそう言った』が発売されました。このエッセイ集は、日本自動車連盟(JAF)の機関誌である『JAF Mate』に連載された同名のエッセイを軸に、片岡義男さんが半世紀にわたって執筆された作品の中から、道にまつわるエッセイを選んで1冊にまとめたものです。若き日の片岡さんが愛した東京の道、広大なアメリカの荒野を貫く道、そしてオートバイで走る道と、さまざまなシーンを彩る道の魅力が描き出されています。
第1回 片岡です……
この本が生まれるきっかけとなったのは、今から9年前、日本自動車連盟の機関誌『JAF Mate』(以下メイト誌)に連載されたエッセイでした。
当時は紙媒体からネット媒体へ読者を誘導するにはどうすべきか、ということが盛んに議論されていた頃で、読み物を紙媒体に半分掲載し、続きはネットで……という手法を試すコーナーがメイト誌にも設けられていました。そこで僕が執筆をお願いしたいと考えたのが、昔から大ファンだった片岡義男さんでした。
しかし、お願いするといっても、お会いしたこともないし連絡先も知りません。早速、路頭に迷ってしまった僕。助けてくださったのは、ほかでもない『片岡義男ドットコム』を運営されているボイジャーさんでした。
当時、すでに個人的に『片岡義男ドットコム』の会員だったこともあり、ダメ元でボイジャーさんに電話をして趣旨を伝え、なんとか先生に取り次いでいただけないか、とお願いしたところ、快く引き受けてくださったのです。
ただし、「連絡がくるかどうかはわかりませんよ。片岡さんが興味をお持ちにならなければ、たぶん連絡はないと思ってください。お返事がくるといいですね!」とのこと。なんとも不安な幕開けです。
しかし、一週間ぐらい過ぎた頃でしょうか、その電話は唐突にやってきました。
「片岡です……」
それが片岡義男さんとのファースト・コンタクトでした。
第2回 初めての打ち合わせ
片岡さんに執筆をお願いしたのは『片岡義男の回顧録』。その名の通り、80年代のオートバイをテーマにした作品を対象に、そのバックグラウンドを語っていただく企画です。連載は全5回を予定。企画趣旨の詳細な説明と、ラインナップについてご相談するのが片岡さんとの最初の打ち合わせでした。
打ち合わせは、都内のコーヒーショップで行いました。初めてお会いした片岡さんは、写真から想像するよりずっと穏やかな雰囲気の方でした。
自己紹介を終え、まずは手土産に持参した10ホールズ(10穴)・ハーモニカをお渡しします。手土産と言えば、普通はケーキとかお菓子を持参するものですが、片岡義男にケーキはないだろう、という勝手な思い込みから、わざわざ10ホールズを選んでいったのです。10ホールズは高級品と一般品の価格差が小さく、常識的な手土産の範囲で失礼のないものが買えるというのが選んだ理由だったのですが、要はカッコをつけたかったのでしょう。
10ホールズを手に取った片岡さんは、しばらく眺めた後、こうおっしゃいました。
「ホーナー社のマリンバンドですね。ちょうどCが1本ほしかったところです」
「よかったです。ハーモニカを演奏されるのですか?」
「ええ、ギターもベースもドラムもピアノも、楽器はひと通りやってきました」
「それはすごい!」
「しかし、なにひとつものにはなりませんでした(笑)」
まさかの自虐ネタです。きっと初対面でカチカチな僕を見て、緊張をほぐそうとしてくださったのでしょう。おかげでなんとなく肩の力が抜け、その後はスムーズに打ち合わせを進めることができました。ああ、カッコなんてつけずに羊羹でよかったのかも。
「メイト誌の読者は幅広いでしょうから、できるだけ有名になったものがいいでしょう」
片岡さんの提案で、連載は『スローなブギにしてくれ』 『湾岸道路』 『ボビーに首ったけ』といった、映画化された作品を中心にラインナップすることになりました。第1回の題材に『ときには星の下で眠る』を選んでいただいたのは僕からのリクエスト、最終回に『幸せは白いTシャツ』をチョイスしたのは、片岡さんのこだわりだったと思います。
こうして、2016年11月号から連載がはじまった『片岡義男の回顧録』では、『ときには星の下で眠る』がボブ・ディランの曲から生まれたことや、『幸せは白いTシャツ』に掲載されたオートバイは、ホンダ CB450ではなく、ヤマハ XZ400Dになっていたかもしれないなど、今までほとんど知られていなかった興味深いエピソードや、執筆時の舞台裏が語られました。これらは本書の最終章に収録していますので、ぜひご覧になってください。

第3回 新連載はじまる
『片岡義男の回顧録』が終了するタイミングで、メイト誌は全面リニューアルを行うことになり、片岡さんの新しいエッセイをその目玉にできないか、という話が持ち上がりました。いよいよ本格的な連載エッセイのはじまりです。
「こんどはJAFらしく、自動車や旅に関するエッセイを執筆していただきたいのです」
片岡さんは僕たちの要望を快諾してくださり、新連載のテーマについてやりとりを重ねました。自動車やオートバイ、旅というキーワードはいつしか「道」という言葉に収斂されていき、企画の骨子がまとまりました。連載タイトルは未定のままでしたが、ここは編集部で決めるわけにはいきません。ファンの皆さんならご存じの通り、片岡義男の世界はタイトルの1文字目からすでに始まっているからです。
「連載タイトルは片岡さんに考えていただけると大変うれしいです」
「わかりました。では考えてみましょう」
その一週間後、編集部のFAXに反応がありました。ジジーッと打ち出されてくる感熱紙。そこには直筆で[あの道がそう言った]とだけ記されていました。それはなぜだかとても印象的なシーンで、いまでもはっきりと記憶しています。
確かそのときのFAXを僕は保管していたはずですが、ちょっと見当たりません。大切にしすぎてどこかにしまい込んでしまったのでしょう。
2017年5月号から連載がはじまった『あの道がそう言った』は、5回の連載予定を7回まで延長する人気企画となり、12月号の『砂糖キビ畑の曲がり角』をもって終了しました。
好評のうちに幕を閉じたため、この連載に書き下ろしを足して書籍化する案は、実はこのときすでに存在していました。しかし、その後3年に及ぶコロナ禍と、それに伴う周辺状況の変化によって、すぐに行動に移すことができず、ただただ時間だけが過ぎていきました。
7年間の沈黙を破ったのは『JAF Mate Books』レーベルの誕生でした。これはメイト誌で連載したコンテンツを再編集し、一般向けの市販本として世に出そうというものです。その題材のひとつに『あの道がそう言った』が選ばれたのでした。
早速、片岡さんにお伝えしたところ、スケジュール的に書き下ろしは困難とのこと。最終的にはメイト誌の2つの連載を軸にしながら、これまで片岡さんが執筆されてきたエッセイの中から「道」にフォーカスしたものを選んで、1冊の書籍にまとめることになりました。

第4回 膨大な作品群からの宝探し
企画が成立し、まず着手したのは、ラインナップの叩き台作りでした。自宅にある蔵書をめくり、『片岡義男ドットコム』でも検索し、気になった作品を選んでいきます。
選定基準は、何らかのかたちで「道」に関わる話であること。ただし紀行文ではないので、国道1号とか東名高速道路のような具体的な道路だけでなく、田園地帯の二車線道路、といった特定できない道や、想像の中の街路といった抽象的なものも候補に含めました。
また、移動手段はオートバイやクルマといった特定の乗り物にこだわらず、徒歩も含めた幅広い内容になるよう留意しました。さまざまな手段を並列に扱うことで、アプローチの違いによって道の表情も変化することを、作品から感じてほしかったからです。
結局、約2500ものエッセイを猛烈な速度で読破することになりましたが、この時間は担当編集者にとっては、まさに至福のひとときでした。なにせ業務時間内に大好きな片岡作品をひたすら味わえるのですから。
そして、その叩き台を片岡さんと親交の深いベテラン編集者のSさんにも吟味していただきます。Sさんは赤い背表紙でおなじみの80年代角川文庫シリーズの編集を実際に担当されていたレジェンドのような方で、50年の歴史を客観的にふり返っていただくには欠かせない存在です。
このようにして検討を重ねた結果、書籍版『あの道がそう言った』は、「追憶の地図の上を歩く」「USハイウェイ」「オートバイ・ライダー」「片岡義男の回顧録」の4つの章からなる、計61作品を収録することに決定。収録にあたっては、最多の掲載数となる角川文庫(KADOKAWA)をはじめとする13社より掲載許可をいただき、いよいよ編集作業に入っていくことになりました。

第5回 底本探しと入力作業
作品選定の次に取りかかったのは、底本の入手と文字の入力作業です。
入力作業には元になる本(底本)が必要です。本には「初版」「第2版」「第3版」といった分類があり、どこかに手が加わると版数が変わります。多くの場合、それは誤植の訂正だったり、言い回しの変更だったりするので、一般には版数を重ねるごとに改良されていくといえます。いわばクルマのマイナーチェンジみたいなものですが、クルマの場合、マイナーチェンジを重ねるごとにオリジナルの魅力が薄まるという意見もあり、ゆえに初期モデルに価値を見出すという人が少なからず存在します。それと同じような感覚で、この本では、できるだけ生まれたままの姿に近い状態で収録することを裏テーマとし、ほとんどの作品が漢字もルビも言い回しも、初版本のまま掲載されています。『片岡義男ドットコム』に掲載されているものと比較しても、微妙に表現が違っているものがいくつもありますから、そんな発見をしていただくのも楽しみ方のひとつかもしれません。
実際の入力作業は、スキャニングと手打ちを併用して行いましたが、出来上がった原稿を校正してみると、それぞれに特有の誤植傾向があることがわかりました。手入力の場合の間違いは誤変換だったり、文字や文節の脱落だったりと比較的わかりやすいのですが、最も厄介だったのが、スキャナーの読み取りミスによる誤植でした。例をあげると、
オートバイ→オートパイ
ギター→キター
ボール→ポール
燃料タンク→燃料クンク
素敵な→索敵な
凝縮→擬縮
時間→時問
東京→束京
十四歳→十四蔵
都電→都雷
高田馬場→商田罵場
まるで間違い探しクイズか、ひっかけ問題みたいな誤植です。スキャニング誤植はどの文字に発生するか予測がつかないため、結局、最終校正まで悩まされ続けることになります。便利な機器にも意外な盲点があることを思い知らされました。
第6回 箱根でW1のナマ音を聴く
同時並行して進めていたのが写真です。書籍の中で写真を多用してリズムを生み出す手法は、篠原恒木さんが編集された『珈琲が呼ぶ』『僕は珈琲』から学ばせていただきました。
まず、片岡さんが歩いた思い出の道について触れた「追憶の地図の上を歩く」では、湾岸周辺や神保町界隈で、ゆかりのあるポイントを撮影。「USハイウェイ」の章では、以前、写真展を見に行って感銘を受けた写真家の佐藤秀明さんにお願いして、それぞれの内容に相応しい80年代アメリカの風景を映した素晴らしい写真をお借りしました。
「オートバイ・ライダー」の章は、カワサキW1を所有している、モータージャーナリストの青木タカオさんにご協力いただき、箱根でロケを行いました。カメラマンは奥隅圭之さんです。なんと奥隅さんは、ロケ前日にわざわざ『ときには星の下で眠る』を読み返してイメージトレーニングを積んできたとのこと。青木さんも、エンジンの写真が「4サイクル・ツイン」で使われることを知るや、「あの話、大好きなんですよ!」と目を輝かせます。やっぱりこの業界には、片岡義男ファンがあふれているようです。
青木さんのW1は左チェンジになってすぐの型で、改めて見ると、そのコンパクトさに驚かされます。かつては大きなオートバイという印象でしたが、昨今のリッターバイクを見慣れた目には、まるで400ccの中型車ぐらいに感じられます。
一方、その排気音は鮮烈でした。W1といえば、ドロ~ンとした吹け上がりの鈍いOHV(Over Head Valve)エンジンを勝手に想像していたのですが、実物の排気音はドッドッドッというより、ババババという破裂音に近く、回転もアクセル操作に応じて俊敏に吹け上がる印象。現代のオートバイより勇ましく、迫力あるサウンドを叩き出してくれます。乗り手が青木さんということもありますが、箱根のコーナーを軽快に切り返しながら駆け抜けていく姿は、とても50年以上も前に作られたオートバイとは思えないものでした。
撮影は箱根ターンパイクから伊豆スカイラインの間で行う予定でしたが、峠は一面の霧。ならば、と向かった西伊豆スカイラインはさらにひどい霧で、結局昼食もすっとばして霧のない場所を探しながら撮影を続け、日も暮れかかった頃にやっと終了したのでした。
天候には恵まれませんでしたが、雨と霧のなか頑張ってくれたお二人のおかげで、とても素敵な写真に仕上がったと思います。
表紙カバーのデザインは、ブックグラフィカの櫛部有彩さんが担当してくださいました。基本要件としては、メイト誌での連載時に描いていただいた安藤俊彦さんのイラストをモチーフにする、ということしか決めていなかったのですが、ユニークなタイトル文字とも相まって、良い雰囲気に仕上げてくださったと思います。

第7回 電子版がない理由と、本書の楽しみ方
『あの道がそう言った~片岡義男ロード・エッセイ、50年の軌跡』は、以上のように本当に多くの方々の協力を得て完成しました。この文章がアップされる頃には、おそらく全国の書店に並べられていることかと思います。ただ、一般的には同時発売される電子書籍版がこの本には用意されていません。その理由をお話ししましょう。
『片岡義男ドットコム』をご覧の皆さんならご存じの通り、これまでに発表された片岡作品は膨大な数に上っています。それぞれの作品は、単独あるいは複数で一冊の本という単位に落としこまれ、その中で独自の役割を果たしてきました。
これを電子化し、読者自身の自由自在なチョイスを可能にしたのが『片岡義男ドットコム』でした。『片岡義男ドットコム』は、本というパッケージを作品単位に解体した点において新しい試みであり、音楽業界でいえば、CDで販売されていた音楽が配信サービスに移行したのと同じぐらい、画期的な出来事でした。
『あの道がそう言った~片岡義男ロード・エッセイ、50年の軌跡』も、同様に既存の本という単位を解体して、個々の作品を抽出しました。しかし、こちらは「道」という別のテーマの下に作品を集結させ、もう一度、紙媒体に戻した点が大きく異なっています。
紙というのは、電子のそれに比べて非常に融通の利かない媒体です。持ち運びに不便、共有しにくい、検索性は悪い、読み上げ機能もないなど、電子媒体であれば普通にできることが、何ひとつできません。しかし、集めた作品たちが形作る世界観をシンプルに読者に伝えるには、この不自由さが逆に良い方向に働きます。冒頭の「道路の小説を書きたい」から、最後の「ひとり旅が似合う女性ライダーの物語」まで、61のストーリーは、どことも繋がることなく、この1冊のためだけに存在し、その世界観を表現するためのパーツとして機能しています。言うなれば、本という閉鎖空間に置かれることで、作品はもともと収録されていた場所=底本からも切り離され、新しい役割を担わされた存在に生まれ変わるのです。
もちろん、これは電子書籍でも可能ですが、やはり、紙の本という実体を伴ったものにはかないません。ニス塗りの手触り、インクのにおい、ページをめくる感触、厚み、重さ、風合い、そういったものすべてと相まって醸成されるパーソナルな所有感を、僕たちは目指しました。ゆえに、この本をデジタルにすることはしませんでした。
『あの道がそう言った~片岡義男ロード・エッセイ、50年の軌跡』は、昔ながらのアナログレコードにプレスされた、片岡義男ベスト盤のようなものです。オリジナル・アルバムのもつ味わいとはひと味違う、懐かしくも新しい魅力に触れてみたい方は、ぜひ、針を落として聴いてみていただければ幸いです。
佐々木優至(JAFメディアワークス)
Previous Post
Next Post
