『彼は海へむかう He that will learn to pray, let him go to sea.』目次
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『彼は海へむかう He that will learn to pray, let him go to sea.』は1991年1月に東京書籍から刊行されました。片岡義男がこれまで書いてきたサーフィンや波、海に関する主要なエッセイを再録し、書き下ろし作品1篇と佐藤秀明さんとの対談などを加えたものです。
「波乗りは長くどこまでも続く、ひとつの物語なのです。いろんな要素を取りこみつつ、いろんな方向から書くことの可能な物語です。ぼくが小説を書きはじめたきっかけは、波乗りの小説を書いたことですから。波乗りのストーリーだけを書いていたいと思うほどに、波乗りはフル・タイムの物語です。フィルムをとおしてスクリーンに写し出される映像には、これは当然のことですけれど、匂いや音、現場のぜんたい的な空間の感覚、そして当事者の体の動き、つまり筋肉の使いかたの具体例などが、欠落するのです。現実に自分でもおこなってみて、その欠落を補いつつ、文章としても書いていくという忙しいことになりました」
(「六月の雨の日、横浜中華街で夕食をともにするまえに」より)
日が沈むころ、オンボロ自動車で波乗りフィルムを見に行く ※2
地元サーファー、グレイト・ホワイト・シャークに食われ死ぬ ※4
自分を理解するためには、自分を他から切り離さなくてはいけない ※8
一九六二年、真冬、限りなき夏 ※10
波の上を歩いた姉 ※12
六月の雨の日、横浜中華街で夕食をともにするまえに 対談 片岡義男×佐藤秀明 ※13
記憶の中の波を旅する 文/佐藤秀明 ※14
※1「長い海岸線の全域にわたって」は『個人的な雑誌2』(1988)の一篇として公開。
※2「日が沈むころ、オンボロ自動車で波乗りフィルムを見に行く」は、「陽が沈むころ、オンボロ自動車で波乗りフィルムを見に行く」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』」(1995)に収録。初出は「キネマ旬報」1976年10月号
※3「海岸の古びた一軒家でソリッドな食事をし煙草をすわない」は、「海岸の古びた一軒家で、ソリッドな食事をし煙草を吸わない」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』」(1995)に収録。初出は「ポパイ」1983年7月号
※4「地元サーファー、グレイト・ホワイト・シャークに食われ死ぬ」は「地元サーファー、グレイト・ホワイト・シャークに食われ、死ぬ」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』」(1995)に収録。初出は『彼とぼくと彼女たち』(1983)。
※5「誰がいちばんはじめに波に乗ったのか」は「誰がいちばん初めに波に乗ったのか」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』(1995)に収録。初出は「宝島」1976年10月号。
※6「波乗りとは、最終的には心の状態だ」は、「波乗りとは、最終的には、心の状態だ」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』(1995)に収録。初出は「宝島」1976年12月号。
※7「閉所恐怖症の彼は太平洋まで逃げた」は「彼がはじめて太平洋を見たとき」と改題され、『個人的な雑誌2』(1988)の一篇として公開。
※8「自分を理解するためには、自分を他から切り離さなくてはいけない」は、『コーヒーもう一杯』(1980)収録の「小さな島にいると自分がよくわかる、という話」を改題して再録。
※9「聖地への入口としてのコンクリートの駐車場」は、『個人的な雑誌2』(1988)の一篇として公開。
※10「一九六二年、真冬、限りなき夏」は、「一九六二年、限りなき夏」と改題され、「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』」(1995)に収録。
※11「波が君を変える! あるいはサーファーになること」は、『町からはじめて、旅へ』(2015)収録の作品を改訂して掲載。初出は「宝島」1975年8月号。
※12「波の上を歩いた姉」は本書のための書き下ろし。同タイトルのまま一部改定され「片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』」(1995)に収録。
※13「六月の雨の日、横浜中華街で夕食をともにするまえに 対談 片岡義男×佐藤秀明」は未公開です。
※14「記憶の中の波を旅する」は未公開です。
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