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『湾岸道路』

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 かつて僕に割り振られた角川文庫の背中の色は、赤だった。これを書いているいまから数えて、すでに一年と六か月以上、僕は角川文庫から文庫を刊行していない。背中の赤い色も、すでに過去のものだと言っていい。その過去を、さらに僕はさかのぼっていく。そうすると、『湾岸道路』という作品にいき当たる。文庫で三百五十ページを超えた分量だ。このくらいあるなら、それは長編と言っていいだろうか。ジャケットを表紙の内側へ巻き込んだ袖の部分に、次のような文章が印刷してある。

『「元気でいろよ」のひと言を残して、彼はあの年の夏の彼方へ消えてしまった。あとにひとり残された彼女としては、生まれつきの才能を努力で鋭くみがき上げ、自分もどこかへいってしまうほかに、充実した生きかたはなかった。だから彼女は、そうした。ふたりともいなくなり、陽が射して風が吹き、これ以上のハッピー・エンドはどこにもない』

 この文章は僕が書いた。書き写していると、自分の文章だということは、よくわかる。この文章は、『湾岸道路』という小説の基本的な性質を、正確には言い当てていないということも、僕にはよくわかる。こう書いておけばいいだろうと思って、僕はかつてこう書いた。あるいは、このように書きたくて、そう書いた。こんなふうにしか書けなかった、ということだってあるかもしれない。

 僕のこの短い紹介文だと、ひとりの女性が男性に捨てられ、そこから彼女が自力で立ち上がり、そのことによるハッピー・エンディングの小説である、という印象を多くの人は持つだろう。しかしこの小説は、じつはそうではない。自分ひとりでは生きていくことが出来ず、彼女を絶対に必要としている男性が、「元気でいろよ」という強がりを言って、オートバイでどこかへいってしまう。彼であれ誰であれ、自分のほかに人を必要としていない彼女は、彼がどこへどう消えようとも、ひとりで平然と生きていける。自分をいかに必要としているかを、自分のもとから強がって去っていくことをとおして表現したあの男に、軽い冗談としてもう一度だけ会っておこう、と彼女は思う。だから彼女も、オートバイで旅立つ。

『湾岸道路』とは、そのような小説だ。三百五十ページにわたって、いったいなにが書いてあるのだろうか、と僕はいま思う。文庫で出たのは一九八四年のことだ。その前に単行本で出た。文庫にするまで二年は経過していると推測して、単行本で出たのは一九八二年になる。そのさらに前、およそ半分の量を、『野性時代』という雑誌に連載した。連載の期間は、おそらく一九八一年だろう。文庫になってから二十二回も版を重ねている。なぜ、と現在の僕は思う。この小説のなかでいちばんいいのは、川島芙美子という主人公が、オートバイでどこかへいってしまう部分だ。〔29という番号のついた次のような〕最終章が、その部分の全体だ*。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 1996年

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*この後、「29」という番号の付された11頁にわたる章全体の紹介が続きますが、本サイトの掲載にあたっては、最終章という性格を考慮し省略とさせていただきました。


片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』
2015年11月21日 06:32
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