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「わからない」と答える人たち

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 アメリカとイギリスがイラクに対しておこなう戦争を、日本が支持することについてどう思うかというアンケート調査に、「わからない」と答えた人たちの数が半数を越えていた。やっかいな問題であることは確かだが、いくら考えてもわからないきわめつきの難問、というようなものではない。正しい歴史観の上に立ち、深く正確な知識に支えられて健全な論理の道筋をたどるなら、「わからない」という答えはまずあり得ない。

 それなのになぜ「わからない」のかというと、考えてないからだ。なぜ考えてないのか、その理由はきわめて単純なものだ。考えられないからだ。ではなぜ考えられないのかというと、自前できちんと考えるための豊富な材料をまず持っていないし、歴史観などは皆無であり、おそらく歴史観といった言葉の意味すら、もはやつうじないのではないか。そして、自分ひとりで最後まで論理をつきつめて考えをまとめる、というような訓練の蓄積も、悲しいかなゼロであるからだ。

 自分で少し考えることによって、それまでは知らなかったことを少しだけ知る。少し知ることをとおして、少しわかる。少しわかることの結果として、自分のありかたが少しだけ良くなる。「わからない」と答える人たちは、このどこまでも続く一連のプロセスに、耐えられない。だからそんなものは引き受けたくないし、その用意もない。考えてなにになるの、と開きなおればそれでいい。いまある自分のままに生きていくにあたって、大衆が用いるマイナーな戦術は、いつだってこれだ。

 ちょっとでも難しそうなことはいっさい考えず、考えるための意欲や能力などがゼロのままでも、会社に入って人海戦術の頭数になれば、人なみに人生の日々をこなしていくことが出来たのが、バブル崩壊までの戦後の日本だった。きめられたことをきめられたとおりに処理する労働力さえあれば、企業は利潤を右肩上がりで確保することが可能だったからだ。戦後の日本社会は考えられないからなにも考えない、したがってなにも「わからない」人たちが、圧倒的多数となった社会だ。目の前のあれやこれやにかまけつつ、質が劣化するいっぽうの管理社会の底辺近くを、彼らは流れていく。社会の質の劣化は、じつは多数派の彼らが作り出す。そしてその彼らが、自分たちの作り出した社会に合わせていく。なんという楽なことか。

 バブルが崩壊して早くも十数年が経過した。その十数年は、失われた十年とかつて言われたとおり、経済を中心にほとんどすべてのことが、縮小と衰退の下り坂を停滞へと落下していった年月だ。事態はさらなる悪化と深刻化のただなかにある。崩壊のきざしを基調とした停滞がさらに十年続くとしたら、合計で二十年の長期停滞から抜け出して上昇していく道は、完全に閉ざされるのではないか。

 経済とはぜんたいのことであり、ごく簡単にいうと、カネ、モノ、ヒトの三つが、緊密にからみ合って関係している。いちばん大事なのはカネあるいはモノだという誤解が広まっているが、経済の動向にとってもっとも重要なのは、ヒトなのだ。そのヒトが、なにも考えられないから考えず、したがってなにもわからず、自分のありかたや生きかた、つまり自分が持ち得る価値を高めることに関して、興味も関心もないのだから、これはもはや景気がどう、株価がこうといった問題ではない。どうしても株価が気になるなら、その株価は、「わからない」と言うだけの人たちの将来を先取りして反映したもの、つまり下落するだけのものとなるだろう。

 なにがどうなっているのか、なにをどうすればいいのか、まるで「わからない」人たちの社会が必然的に背負うしかないものとしての、底なしの不況と停滞。いま日本が体験している経済の縮小とは、じつはこのような種類あるいは性質のものなのだ。頭打ちという言葉があるが、人々の質が相当に低いところで頭打ちとなっている状態が、いまの日本だ。そしてそのような人が、いまの日本の政治や経済などを、信用していない。日本が停滞から抜け出すことなど、絶対にあり得ない。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 会社 戦後 日本 社会 経済
2016年3月12日 05:30
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