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知らぬ町 雨の一日 冬至なり

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 季節感を楽しむために日本はある、と僕は信じている。日本は季節変化の国だ。1年365日のなかで、四つのまったく異なった季節が、完璧にひとめぐりする。世のなかは三日見ぬ間の桜かな、という言葉がある。これを文字どおりに解釈すると、日本の季節は3日ごとにそのニュアンスと質を変化させている、という意味になる。確かに、日本の季節変化は多彩で早い。それを楽しむためには工夫が必要だ。しかも素朴さをきわめたような工夫が。

 夏を楽しむための法則みたいなものは、僕は僕自身のためにすでに考え出してある。6月1日に、早くも真夏のようになっている場所へいってしまう。そこから転々と各地をめぐって歩く生活をかさね、真夏の寸前に北国にいて、そこから南にむけて折り返していく。関東甲信越で真夏をむかえ、夏が去っていく速度に同調させつつ西へむかう。そして南へ降りていく。9月の終わりには、その季節でもまだ真夏に近い場所へ戻って来て、そこで夏の余韻を楽しむ。こうすると、夏のあいだ120日、日本の夏を満喫することが出来る。

 120日にわたって夏の全国を転々とするのは、たとえば会社で毎日のように残業をしている、というような生活を送っていては無理だろう。日本のなかで日本の季節感を楽しむことをライフ・ワークにした人たち、たとえば芭蕉、山頭火、西行といった人たちは、日本にあるさまざまな自然の楽しみかたの、すくなくともある部分に関しては、本当によく知っている。彼らは会社には勤めていなかった。

 枯草がいちめんに広がっているところに冬の晴れ陽が当たっているのを見ると、思わずその枯草の上にすわりたくなる、という意味の句が山頭火の句のなかにある。これは冬の楽しみかたの、ひとつのたいへんに素朴な原形ではないだろうか。落葉を踏みながらひとりで歩いていると、頭のなかの考えごとはいつもかならず堂々めぐりをしてしまう、という意味の句もあった。

 冬を楽しむにあたっても、僕としては120日の自由が欲しい。11、12、1、2の4か月が僕にとっては冬だ。僕は子供の頃から部屋のなかでスニーカーをはく生活をしてきた。いまでも秋になって足もとが涼しくなると、スニーカーをはく。今年は昨日からはいた。3月20日の誕生日あたりまで、毎年スニーカーをはいている。部屋のなかでスニーカーをはいている季節が、僕の冬だ。

 冬の楽しみかたの基本は、部屋にいてなんとなくあいまいに1日を過ごすことだ。120日の自由があるなら、10月のなかばに北国へいき、初冠雪めぐりをするといい。そこからすこしずつ南へ下ってくる。3日ごとに冬を深めニュアンスを変化させていく日本の冬をさまざまに楽しみながら、すこしずつ南へ降りていく。2月が終わる頃には日本のいちばん南にいるといい。夏の場合は日本列島を往復するが、冬は片道だ。これまでの経験から、僕の場合はそうなっている。しかし、いつもかならずそうでなくてはいけない、というわけではない。120日もあるのだから、使いかたは当人の自由だ。

 さて、今年の冬をどのように楽しもうか。120日間の自由、などと僕は呑気に書いているけれど、夏も冬も自覚せず、多忙なままに十数年をやり過ごしてしまった体験もある。子供の頃に充分に遊んだから、心のなかの蓄えがあったために出来たことだが、いまは再び遊ぶほうに心の針が振れている。どうやって冬を遊ぶか。

 冬とは、地球の上にある日本の位置、そしてその地球と太陽との関係が、冬として極致に達する瞬間の前後左右にあるいくばくかの時間のことだ。僕の作った俳句に「知らぬ町 雨の一日 冬至なり」というのがある。何年もまえに頭だけで作った抽象的な句だが、これを日本のどこかできわめて具体的に体験すれば、それが今年の冬遊びの頂点になるのではないかと、いまから僕は予感を楽しんでいる。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年


1991年 『アール・グレイから始まる日』 季節
2015年12月22日 05:55
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