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ビートルズ詩集とはなにか

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 久しぶりに会う友人の編集者は、僕が知っているとおりの彼だった。雰囲気、身のこなし、表情、そして笑顔や言葉など、僕をうれしい気持ちにさせた。彼と落ち合ったのが経堂駅のすぐ近くにある素晴らしい鮨の店だったから、うれしい気持ちはより高まった。カウンターの席で僕の右隣にすわると同時に、

「こんなのを見つけた」

 と言って、一冊の古い雑誌を彼は僕に差し出した。

「神保町の古書店の店先に段ボールの箱が出ていて、そのなかにあった一冊。百円だった」

 ユリイカ、という雑誌の一九七三年一月一日発行の一月号、第五巻第一号だった。存分に汚れた表紙は、ザ・ビートルズの四人の、老齢となった顔を想像して戯画的に描いたもので、山藤章二さんの絵だということはすぐにわかった。誌名のすぐ下には穏やかな赤い文字で、特集ビートルズ、とあった。

 特集ビートルズは、二百五十ページほどあるその雑誌の、なかばあたりから始まっていた。何人もの人たちが、ザ・ビートルズをめぐって、文章を寄せていた。「ジョン・レノンセンス論」という文章があるではないか。高橋康也さんの寄稿だ。

 遠い昔、ジョン・レノンの著作を、僕は日本語に翻訳した。その日本語の本の題名が、『ジョン・レノンセンス』だった。ほぼ完全に忘れていた小さな出来事のぜんたいを、僕は思い出した。あの翻訳本を作った時、「タイトルはジョン・レノンセンスにします。高橋康也さんの造語ですが、使用に関する許諾は全面的に得ています」と、担当の編集者が僕に伝えたときの、時間にしてものの二、三分ほどの出来事を、その鮨店のカウンターで、その出来事以来初めて、僕は思い出した。正しいきっかけさえあれば、そんな出来事ですら思い出すことが出来るのだ、という事実に僕は驚いた。

 高橋さんのこの文章は読み返さないといけない、などと思いながら、特集ビートルズをなおも見ていくと、「ビートルズ詩集」というページがあった。ジョン・レノンの歌詞によるザ・ビートルズの歌が九曲、その歌詞が日本語に翻訳されて、ならんでいた。翻訳したのはこの僕と、詩人の三木卓さんのふたりだという。

 僕はふたたび驚いた。当人のひとりであるこの僕が、四十三年前のこととはいえ、ビートルズ詩集という共同の仕事について、なにひとつ記憶していない事実には、かなりの驚きがともなって当然だろう。草思社という出版社から『ビートルズ革命』と題した翻訳本を出版したとき、巻末に三木卓さんの翻訳によるビートルズの歌がいくつか掲載されたことは、僕は覚えていた。一九七三年のユリイカに掲載された「ビートルズ詩集」は、この巻末から発想されたものだったか。

 いまとなっては確かめようもないことだが、「ビートルズ詩集」は確かに掲載されていて、翻訳者のひとりとして、僕の名は三木卓さんの名とならんでいた。自分の名を見つめながら、鮨の店のカウンター席で、四十三年前へと頭のなかで駆け戻り、そこから現在へとおなじく駆け戻って来るという、頭のなかでの時間旅行の果てに僕がふと思ったのは、九曲のうちのどれを僕が翻訳したのだったか、という疑問についてだ。読めばわかる、と僕は思った。そのとおりだった。これは自分の翻訳だ、これは違う、とより分けることはたやすく可能だった。

「ノーホエア・マン」は三木卓さんの翻訳だ。「どこにもいない人」と訳されている。英語の字面を反射的に日本語にするとこうなるが、どうにもならない人、とでもしたほうが、より正確になると僕は思う。なぜいまこんなことを書くかというと、ジョン・レノンとポール・マッカートニーによる歌詞を日本語に翻訳して『ビートルズ詩集』と題名をつけた文庫本が上下二冊、僕の仕事として残っているからだ。そのなかでは僕も、「ノーホエア・マン」を、「どこにもいない人」という日本語にしたはずだから。

 あの二冊の文庫本の題名は、ユリイカのビートルズ特集のなかの、僕と三木さんによる翻訳への題名であった「ビートルズ詩集」の、そのままの流用であった可能性は充分にある。二冊の文庫本とユリイカの時間差を調べれば、可能性は確定に変わるか、あるいは、僕による単なる推測に終わるかの、どちらかだ、などと書いて僕は楽しむ。遠い昔の仕事をめぐる事実関係のひとつを、完全に忘れたまま思い出すことも出来ないから、いまの僕としては、こうでもするほかない。

 文庫本『ビートルズ詩集』上下二冊の仕事を僕がしたのはいまから四十三年ほど前のことだ。少しずつ思い出すことをつなげていくと、なんとなく楽しい。世田谷の代田二丁目、坂の途中にあった集合住宅の三階のあの部屋で、僕は翻訳の作業をおこなった。レコード・プレーヤーをいつもの位置から仕事デスクのすぐ近くに変えて、LPを何度も再生させながら歌詞を聞き取って紙に書き、国内盤のLPに歌詞が掲載されている場合は、歌を聴きながら歌詞の誤植を訂正していった。

 ビートルズの歌の歌詞を日本語に翻訳して文庫本にする仕事を提案されたとき、僕はそれを断った。理由はただひとつ、聞けばわかるじゃないか、わざわざ日本語にする必要はない、というものだった。日本語に変換されたものとして受けとめたい、と願う人たちがたくさんいるという事実に、そのときはまるで思いいたらなかった。

 ジョン・レノンとポール・マッカートニーが作った歌の歌詞に限ることにしよう、と提案したのは僕だ。歌の数はそのときすでに、充分にたくさんあったからだ。この提案は受け入れられた。レノン=マッカートニーの、外国で出版された曲集を僕が持っていて、その曲集から歌詞をすべて翻訳すればいいではないか、と提案したのも僕だった、という記憶がある。翻訳すべき材料はここにすべてあります、というかたちで英語の歌詞を印刷した紙を受け取った記憶が、僕にはないから。

 翻訳作業のための時間は、ほとんどない、という種類の仕事だった。文庫本を刊行する日付はすでに確定されていて動かすことは出来ず、したがって、翻訳原稿がこの日までに完成しないといけない、という期限も確定されていた。翻訳の作業を僕が始めたとき、その期限はすぐ目の前にあった。

 曲集に採録されていた歌は、当然のこととして、何枚かのLPに分散していた。歌詞をひとつずつ整え直しては、曲集の第一ページから僕は翻訳していった。整えた歌詞と、ザ・ビートルズが歌っている歌詞とが整合しているかどうかを、LPを聴きながら確認するのが、翻訳作業の第一歩だった。

 次の歌になるごとに、その歌はどれか別のLPに入っていたから、ひとつ翻訳するとそのたびに、次の歌を別なLPから見つけては、プレーヤーのターン・テーブルに置き直す、という作業を僕は繰り返した。繰り返しと言えば、ザ・ビートルズの歌にはリフレインが多い。このリフレインは彼らが歌っているとおりに日本語にしておく、という方針だったから、リフレインの部分になると、そのリフレインが何度繰り返されるのか、メモ用紙に正の字を書きながら、リフレインの回数を確かめる作業も、かつての自分がしたこととして、ごく淡くにではあるがいまも記憶している。

 リフレインの回数が違っている翻訳がいくつかある、という指摘は以前から受けている。リフレインぜんたいが抜け落ちている翻訳もあるそうだ。おなじメロディでありながら、言葉がひとつだけ異なっているリフレインに、深夜の集合住宅の部屋で気づくのは、かなり不思議な体験だった。

 作業は気持ちを集中させて続けたのだが、期限切れが目前に迫った。どうするか、という話になった。担当の編集者はいたはずだが、それが誰だったか僕は覚えていない。そのかわりに、作業のぜんたいにつきあった人として、翻訳出版全域に関するエージェントだった、僕とおなじ年齢の、そのときですでに十年の友人だった男性を、僕は記憶している。期限切れについても、彼と話し合った。

 ヘルプを頼もうか、と彼は言った。それがきみの冗談かい、と僕が言い返した記憶がある。このままではとうてい間に合わない、と彼は正しいことを言い、友人に少しだけ助けてもらおう、とつけ加えた。またきみは冗談を言ったな、と僕は笑った。笑うほかなかったからだ。

 信頼出来る若い翻訳家に、何曲かの翻訳を分担してもらったような気がするけれど、それが誰だったかまったく覚えていないし、分担してもらう歌をどのように選んだかに関しても、記憶はまるでない。曲集の終わりから十二曲、というような選びかただったろうか。LPを一枚渡して、このなかのレノン=マッカートニーをすべて、というわけにはいかなかったはずだ。手助けの人選、英語の歌詞を渡すこと、そして出来上がった翻訳原稿を受け取って編集者に届けることなど、すべてその友人が引き受けたのではなかったか。

『ビートルズ詩集』の文庫本上下が完成したとき、「レディ・マドンナ」の歌詞をふと見て、そこに仰天の種があったのは、僕が創作した記憶だろうか。See how they run.という歌詞がこの歌のなかにあり、この歌のこの文脈では、「彼女がはいてるストッキングの伝線ぶりを見てごらんよ」というような意味になる。完成した文庫本のなかで、この部分が、英語の字面をそのまま日本語に置き換えた、という種類の翻訳になっているのを見て僕は仰天し、すぐに担当編集者に連絡し、第二刷りで訂正してもらう手はずを整えた、という一連の記憶がいまもはっきりあるのだが、じつはこの一連ぜんたいが、ひょっとしたら、僕の創作かもしれない。そのような創作を成立させる箇所として、「レディ・マドンナ」のこの部分は、たいそうふさわしいのだから。

 すべての言葉を徹底して平らかな日本語にする、という方針を維持した翻訳のつもりだが、翻訳してない言葉がありますよ、という指摘をごく最近になって受けた。ある歌のなかにheavyという言葉があり、ひとりの女性のありかたのようなものを言いあらわす言葉として使用されている。この言葉を僕は日本語にせず、ヘヴィと片仮名書きしている。日本語にすることを回避したのは明らかだ。と同時に、ヘヴィと片仮名書きしても、ある程度までは通じる、という判断も僕はしていたはずだ。そうか、四十何年も前の僕は、ヘヴィを片仮名書きしたかと、四十何年後の僕は感銘とともに受けとめた。なぜ感銘とともにかと言うと、ヘヴィを日本語にすることに意味はほとんどない、といまも思っているからだ。

 翻訳したこの僕の責任は、経過していく年月とともに、際立っていく。すべては僕の責任だ。出版社も、編集者も、エージェントも、その関与は希薄になり続けるのに反して、翻訳者の僕の責任は、責任という一点に向けて、尖り続けていく。

『フリースタイル』2016年6月30日


ザ・ビートルズ ジョン・レノン ビートルズ詩集 フリースタイル ユリイカ 翻訳 英語 LP
2020年4月1日 07:00
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