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猫のことを書くなら

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 人から聞いた猫の話を書いておこう。それほど遠くはない過去の、ある日ある時、その人は仕事で訪れた町のはずれを、平日の午後、ひとりで歩いていた。FAXで受信した略地図を、その人は持っていた。略地図のなかに記された道順どおりに歩き、脇道へと入った。この道を次の十字路までいき、それを左へ曲がればいいのだ、などと思いながら歩いていったその人は、突然、立ち止まった。立ち止まらざるを得なかったからだ。その人のすぐ目の前、三メートルと離れていないところに一匹の猫が、道幅いっぱいに横たわっていたからだ。

 一方通行の道だったが、自動車は通ることができた。だから道幅は少なく見積もっても四メートルはあった。のびのびと横たわるその猫は、四メートルの道幅を、ゆったりとふさいでいた。前脚を揃えてのばし、その上に頭を横たえていた。よく実った西瓜に髭と耳をつけたような顔だった、とその人は言う。その前脚の先端が道幅のいっぽうの端にあり、もういっぽうの端にあったのは、猫の尻からのびた太い尻尾のまんなかあたりだった。尻尾はそこで悠然とカーヴを描いていた。

 その猫のあまりの大きさに、その人はひとりそこに立ちどまったまま声もなく、やや腰を引きぎみに、鞄を脇の下に持ち替え、道幅をふさぐ猫の端から端まで、何度も視線を往復させた。猫の顔にその視線が止まったとき、猫はおもむろに目を開き、じろっとその人を見た。その視線に込められた力、そして体ぜんたいの大きさにたじろいだその人は、たったいま自分が脇道へと入った十字路まで、慌てて引き返した。猫がふさいでいる道を歩かず、その一本隣の道をいくことにした。その道に向けて十字路を曲がるとき、その人は振り返った。揃えた前脚の上に頭をもたげ、猫はその人を見ていた。

 この巨大な猫を見たときの自分は、いま思い起こすと夢を見ていたような状態でした、とその人は言った。あとでよく考えると、怖さの奥行きがじんわりと深くなっていくような夢だ。なぜ怖いのか。猫が大きいからだが、怖さの源泉は単なる大きさではない。猫というものが持つ大きさの範囲を、その猫はなんの遠慮もなく、いっさいの躊躇なしに、無視すると同時に飛び越えてもいた。

 小さい猫もいれば大きな猫もいますけど、猫というものの大きさのスケールはきまっていて、そのなかに収まっているからこそ猫は猫なのです、とその人は言っていた。人間を中心に、さまざまな生き物や物体などの大きさが、すべてきまっている。統一された、そしてそれゆえに安定した大きさのスケール感というものが出来上がっていて、すべてのものはそのなかに収まります、しかしその猫は違ってました、とその人は力説した。そのようなスケール感から、その猫だけが、なんの説明も断りもなしに、思う存分に逸脱していた。人間の世のなかをびっしりと埋めている、さまざまな事物とその認識にかかわる基本的な遠近法がその猫によって狂わされた、そしてそれが怖かった、というのがその人の結論だった。

 似たような体験は僕にもある。横浜の大桟橋の埠頭にクイーン・エリザベス二世号という客船が停泊しているのを見たとき、僕はスケール感からの逸脱の問題をめぐって、その人が巨大猫で体験したのとおなじような、遠近法の一時的な、部分的な狂いのようなものを体験した。自分の必要だけを眼中に置いて、クイーン・エリザベス二世号は、遠慮会釈なしに、ぬうっとどこまでも大きいのだ。乗客も乗員も普通の人間なのだし、人間のために人間が造ったものなのだが、外から見た船体の容積や量感などの、他のさまざまな物体との比率や釣り合いなどいっさい考慮に入れていない大きさは、怖い夢のなかで見たものと言うにふさわしい、尋常ではない雰囲気をたたえて周囲を圧倒していた。

 仕事で人を訪ねたその人は、帰り道におなじ道を駅まで戻ろうとしたが、あの猫が道をふさいだままでいると嫌なので、猫を避けて歩いた一本隣の道をふたたび歩いた。猫はいないようだったが、途中にダンプ・カーが一台、停まっていた。片側に寄せて停まっているそのダンプ・カーの、道幅にゆとりのある反対側を、その人は歩いた。ダンプ・カーの後部タイアの脇を通り過ぎようとしたとき、タイアのすぐ脇になにか大きな物があることに、その人は気づいた。その大きな物に視線を向けて、その人は驚愕した。あまりにも驚いたので、もうちょっとで声を上げるところだった、とその人は言う。もし声を上げていたなら、その声は悲鳴に近いものとなったのではないか、ともその人は言う。

 ダンプ・カーの二重になった大きな後部タイアのすぐかたわらに、さきほどの巨大猫がすわっていた。前脚を自分の前で揃え、延々と長い背中を太く豊かに丸めて、タイアとおなじ大きさで、そこにいるではないか。それはあまりにも大きく、さきほどとおなじく猫という生き物のスケールを逸脱しているし、周囲の事物とも釣り合いがまったく取れていない。怖さに足がすくんだわけではないけれど、その人は猫を見下ろしてそこに立ちどまった。見下ろす彼の視線を、見上げる猫の視線が受けとめ、両者の視線はダンプ・カーの荷台の脇の空間で、ぶつかり合った。

 その視線も大きかった、とその人は言う。猫にいくら見られてもその視線は猫のものであり、たいていの場合それは可愛い。しかしダンプ・カーの後部タイアの脇にすわっていたその猫においては、視線も猫のそれを大きく逸脱していた。巨大猫の視線をたじろぎ気味に受けとめる自分の視線が、いつもとなんら変わらない自分の視線であることに、彼は強い不安感に裏打ちされた底深い恐怖をはっきり感じたという。

底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年


2009年 『ピーナツ・バターで始める朝』
2016年7月24日 05:30
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