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タクシーで聴いた歌

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 春まだ浅い、という言いかたがほとんどあてはまらない、冬の終りに近い温い日の夜、十時前後、僕は東京でひとりタクシーに乗って走っていた。中波のラジオがかかっていた。聴取者が葉書で歌をリクエストする短い番組がやがてはじまった。最初のリクエストは『白い町』〔原文ママ〕というタイトルの歌だった。石原裕次郎が歌った。彼が歌う『白い町』という歌を、このとき僕ははじめて知った。

 いい歌だった。メロディもいい、編曲もいい、詩も悪くない、そして歌いかたは石原裕次郎そのものだ。聞いていくとわかるのだが、この歌は名古屋をテーマにした歌だ。白い町とは名古屋のことなのだ。ひと言で言うならご当地ソングかもしれないが、ご当地ソングとは言いたくないとてもいい雰囲気が、ぜんたいにほどよくいきわたっていた。僕はその歌を好きになった。

 いまはもう誰も作らなくなったような歌だ。楽器の構成などに懐かしいものを感じると同時に、いつのまにかすっかり失われ、誰もが等しく忘れてしまったなにか純なものを、その歌に僕は感じた。白い町のなかで、ひとつの恋愛関係がきわめてクラシックなかたちで展開されていくのを、僕はタクシーのなかで気持ち良く聴いた。

 さほどヒットしないままに、時代の彼方に流れ去ってそれっきりになったいい歌が、『白い町』のほかにもたくさんあるのではないだろうか、と僕は思った。どこにどんないい歌があるか、手に入れて聴くまではわからないのだから、これを機会にぜひとも石原裕次郎の全曲集を買うべきだと僕は思った。

 それ以来、CDやカセット・テープを売っている店に何度も立ち寄っては、石原裕次郎の大全集あるいは全曲集を僕はさがした。なかなかみつからなかった。どの店も品揃えがよくなかった。品物の揃えかたと同時に、配列のしかたがでたらめと言っていいひどさだ。LPの頃はもっときちんとしていたのだが。

 さがしているものがみつからないままに、歌謡曲のカセットがならんでいる棚を見るともなく見ていた僕は、『ちあきなおみ 石原裕次郎を歌う』というカセットをみつけた。うれしく閃くものを感じた僕は、それを買った。聴いてみた。たいへん良かった。A面では「夜霧よ今夜も有難う」が、そしてB面では「狂った果実」が、僕の気持ちをとらえた。いまはこの二曲を、僕はウオークマンでくりかえし聴いている。『白い町』を手に入れよう。何度も聴きたい歌がこうして増えていくのは、本当に楽しい。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年

今日のリンク|白い街|石原裕次郎


1991年 『ちあきなおみ 石原裕次郎を歌う』 『アール・グレイから始まる日』 『白い町』 ちあきなおみ ラジオ 東京 歌謡曲 石原裕次郎 音楽
2016年3月8日 05:48
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