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演説

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 1960年の11月に、ジョン・F・ケネディは、共和党の大統領候補であったリチャード・ニクソンを僅差で破り、アメリカの大統領になった。

 ニクソンが大統領になるかもしれないという可能性に反対していたぼくは、ケネディの勝利がたいへんにうれしかった。もしニクソンが大統領になったら、1950年が終ってもなにひとつ変わらず、変わらないどころか、よくない方向へむかっていくにちがいないという思いでいたアメリカ人の友人たちといっしょに、ケネディの当選を東京で祝ったことを、ぼくはいまでもはっきり記憶している。

 ケネディが大統領になってすぐあと、明くる年の1月なかばに、もとの大統領のドワイト・D・アイゼンハワーがアメリカのテレビで演説をおこなった。大統領の座を降りるにあたって、自分の考えているさまざまなことをアメリカ国民に語っておく、というような演説だったと思う。この演説を、ぼくは文章で読んだ。アメリカ人の友人たちのなかにジャーナリストがいて、彼がぼくに読ませてくれたのだ。

 ぼくが文章で読んだアイゼンハワーのお別れ演説のなかでもっとも印象的だったのは、彼が産軍複合体について警告を発している部分だった。こまかな言葉づかいは忘れたが、いまアメリカのなかですでにかなりの大きさとなっている産軍複合体を厳しく監視していかないと、アメリカにとって最終的にはいろんな不利益がもたらされるだろう、というようなことをアイゼンハワーは言っていた。

 アメリカにとって自由民主主義がタテマエのような金科玉条なら、ホンネは強大な武力をうしろだてにして強引にことをはこんでいく世界最強国としての軍国主義のようなものだとぼくは思う。アメリカを裏にかえすとそこにアメリカの本流としてはっきりとある軍国主義が、すなわち、産軍複合体なのだ。アメリカという国の基本的性格をある面から正確にとらえたひと言として、産軍複合体、ミリタリー・インダストリアル・コンプレックスは、印象深かった。

 ケネディの大統領当選と、アイゼンハワーの演説のなかにあった産軍複合体というひと言は、ぼくのなかで強く結びついて、1960年の終りちかくから1961年のはじめにかけてのアメリカのイメージを、かたちづくっている。

 1961年の12月には、アメリカは、南ヴェトナムの戦争に本格的に介入したのとなんら変わらないまでの軍事援助を、増強しはじめた。そして、1962年の3月には、当時の国防長官ロバート・S・マクナマラが、ヴェトナムの内戦へのアメリカの直接的介入を認めた。

 このような、アメリカの好戦的で軍事的な動きのなかで、大統領としてのケネディがやろうとしていることをいつもぼくに説明してくれていたアメリカ人のジャーナリストは、ケネディと産軍複合体はすでに決定的に対立しているのだ、と言っていた。アメリカの本流である産軍複合体にとってケネディの存在は不都合であり、産軍複合体のほうがケネディよりもはるかに強いであろう、と彼は主張していた。1963年11月、ケネディ大統領は、もののみごとに、あからさまに、暗殺されてしまった。

 当時のぼくの周辺にいたアメリカ人の友人たちは、ケネディが暗殺されたことを悲しみ、慣っていた。アメリカという青年は、これによってまともに成長するチャンスを永久に失ったことになるかもしれない、と言っていた友人の言葉を、ぼくはいま思い出している。

(『すでに遥か彼方』1985所収)


1960年代 1985年 『すでに遥か彼方』 アメリカ ジョン・F・ケネディ リチャード・ニクソン 大統領
2015年11月22日 05:30
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