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最初から絶対に孤独な人たち

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 映画『ぼくの美しい人だから』の原作『ホワイト・パラス』(邦訳は新潮文庫『ぼくの美しい人だから』)のことを、ぼくはイギリス版の『エル』に掲載されていた紹介記事で知った。もう二年ほどまえのことだ。この小説は面白そうだ、ぜひとも手に入れて読んでみよう、と思ってそのまま忘れてしまった。そしてある日、書店の棚で『ホワイト・パラス』のペーパーバックを僕は見つけた。すぐに読んでみた。たいへんに面白かった。自分でもこんな小説を書きたい、と思ったほどに面白かった。

 生まれ育った背景も、受けた教育も手に入れた世界観も、そして現在の生活のしかたも、すべてまったく異なったひと組の男女が、おたがいに相手に対して抱いた強い恋愛感情に、いかに誠実であり続けるかというテーマを長編小説として描いたものだ。彼女は客層を低い位置に設定したファスト・フード店のウエイトレスだ。性的な魅力のある人だが、教養はない。男性のほうはいい家庭に育ち、いまは広告代理店で仕事をしている優秀な人だ。彼は彼女よりもずっと年下だ。このふたりが、最初は肉体的にひかれ合う。そしてすぐにその関係は恋愛関係となっていく。

 ふとした機会に知り合って恋愛にいたるひと組の男女は、一般的に言って、どちらも似かよった生活背景を持っている。そうでないと知り合うチャンスすらないからだ。主人公たちはふたりの階層のちがいは、この小説にとっては、さほど大きな意味は持っていない。しかし、ふたりの生活背景の相違は、たいへん効果的に使ってあると僕は思う。

 彼女は彼女の階層のひとりを代表している。彼もまた彼の属する階層を、彼ひとりで代表している。代表どうしとして、たとえば知り合う最初のきっかけをおたがいに手に入れ、最初に視線を交わし合い、最初に言葉を交わし合ったとき、彼らはどちらも対等にくっきりと孤独だ。

 生まれ落ちた瞬間から絶対的に孤独であるアメリカやヨーロッパの人たちは、孤独を深めながら、自分をどこからも独立した個として確立させ、成長していく。どこまでいっても、自分は自分ひとりだけだ。寄りかかることを許してくれる人はどこにもいない。だから基本的に常に不安定だ。たいへんな欠落感がつきまとう。もうだいじょうぶ、これで安心だ、という安定しきった状態は、死ぬまで手に入らない。そういう人たちは、だからこそ、恋愛をする。

 恋愛関係のスタート地点が、性的魅力がとりもつ肉体的な関係であることは、いっこうにかまわないと僕は思う。体の結びつきは確かに快楽だし、不安の解消に役立つ。肉体の結びつきだけが、孤独という重大な欠落感を忘れさせてくれる事実を土台として残しつつ、恋愛感情はさらにその奥をめざす。等しく孤独は埋めあわされて消えたような幻想を、ほんのいっときふたりは持つことが出来る。孤独が消えたというその幻想は、この世にあるどんなものよりも甘美だ。

 しかし孤独は消えない。完成して安全地帯となった恋愛など、どこにもあり得ない。どちらの孤独も現実的な妥協など絶対にしないから、ふたりの愛は明日にはもうないかもしれない。人と人の結びつきにハッピー・エンディングというものがあったらどんなにいいだろうか、と願うせつない気持ちは、おとぎ話のなかにだけ、ハッピー・エンドを認めた。おとぎ話以外の世界には、ハッピー・エンドはない。グレン・サヴァンのこの小説も、ハッピー・エンドではなかった。今後における衝突やくいちがいの連続を予感させて終わっていた。

底本:『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年


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2015年10月29日 05:30
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