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ローマ字で書かれた駅名、という謎

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『ザ・トーキョー・トランジット・ブック』というタイトルの、 八十四ページの小さな本は、たいへんに感動的だった。

 日本語はさっぱりわからないけれど英語は自由になる人たち、つまり外国の人たちのために、東京の交通機関について英語でおおまかに説明し、利用のしかたについても解説を試みた、勇敢な本だ。この小さな一冊の本を仲介に、交通機関をなんとか利用していくことをとおして、東京というひとつの謎の一端に接していくひとりの外国人を想像するとき、そこにある種の感動が生まれてくる。

 解説文は、東京の交通機関のありかたに関して、呆れている。呆れてはいても、ユーモアは忘れていない。だから、ただ読んでいるだけでも、かなり面白い。何点もの写真が添えてある。文章とともに、この写真もまた、なにごとかをかなり雄弁に物語っているようだと、僕は感じる。

 この本のなかでもっとも面白いのは、東京にいくつもある鉄道の路線名、そしていくつあるのか東京の人たちも知らないほどにたくさんある鉄道の駅の名が、すべてローマ字書きになっている様子だ。どの路線のどの駅名も、すべてただひたすら、ローマ字になおしてある。日本語をただローマ字になおした、そのローマ字の羅列が何ページにもわたって続いている。この様子は、圧倒的に面白い。

 トブトジョラインヒガシマツヤマとか、シンタマガワラインフタコタマガワなどと、英語は「ライン」だけであり、あとはすべてローマ字だ。外国から来た人たちは、このローマ字に接するよりほかに、当座はなすすべがない。アルファベットのひとつひとつは深くなじんだものであっても、子音と母音の交互的なくりかえしによる長い言葉には、意味などまったくないし、まずなによりもきわめて覚えにくい。口に出して言える音ですらない。日本語による駅名が、その音節のとおりに、ローマ字に置き換えられているだけにすぎない。

 このような、意味もなにもまったく感じられないローマ字の羅列は、僕にとって他人事ではない。箱根がローマ字でHAKONEと書いてあるのを、子供の頃の僕はヘイコーンとしか読むことが出来なかった。外国から日本へ来るということは、たとえば、なんのことかまったく見当もつかないローマ字書きの駅名に接することだ。

 ローマ字によって書かれた駅名や地名は、ちょっとやそっとでは解くことの出来ない、巨大な謎だ。そしてその謎の彼方に、じつは漢字の世界がある。SHINOCHANOMIZUとローマ字で書くと、ぱっと見ただけでは、日本人でも理解は出来ない。冒頭から一音節ずつ読んでいき、頭のなかで音になおし、その音をもとに、漢字を正しく推理することをとおしてはじめて、SHINOCHANOMIZUは意味を持つ。

 しかし、ローマ字を読んで正しく音になおし、その音から正しく漢字を推理することの不可能な外国の人たちにとって、ローマ字で書かれた駅名や地名は、ただ単に謎であるだけではなく、解くことを最初から許されていない謎なのだ。漢字による事物の理解に習熟しないかぎり、その謎は解けない。

 ローマ字書きされた駅名や地名は、日本人にとっては、なんら必要なものではない。そんなものは、あってもなくても、どうでもいい。ローマ字は、真実にせまるものではない。ローマ字は、外国から来た人たちのために、ほんのおざなりとして存在しているだけであり、それがどこまで効果を持つのか、あるいは持たないのか、日本人にはまったく関心がない。

 漢字による事物の理解は、図形や画像による理解だ。そしてその理解は、相当に奥行きが深い。そしてさらに、そのような画像による世界の理解のしかたは、日本人のものの考えかたと分かちがたく一体となって、日本人の文化のありかたそのものをかたち作ってもいる。

 駅名を漢字で見るとき、日本の人たちは、ぱっとひと目見ただけで、東京という町のさまざまな部分を、画像で理解している。「御茶ノ水」という駅名を見れば、平均的な日本人のほとんどすべてが、その駅名および地名の歴史的な由来すら、おぼろげにではあっても、理解することが可能だ。「御茶ノ水」という文字は、立体的な画像なのだ。「新」というひと文字も、「ニュー」という意味の概念ではなく、 「無理を承知でこう名づけた」という意味をたたえた、その無理な様子ぜんたいの画像にほかならない。

 文字という記号で書きさえすれば、ほとんどの事物が機能的にきれいに整理された上で普遍的に伝わっていく世界が、たとえば英語圏という外国だとするなら、日本は漢字による立体的で奥行きのある画像での理解が、ごく一般的におこなわれている。ローマ字書きされた駅名は、解けない謎であるだけではなく、なんの役にも立たない不要のものだ。日本人はまったく別のシステムによって動いている事実を、やがて知るにいたって、外国から来た人たちはいったん絶望する。自分たちのシステムと、日本人のシステムとのあいだにある、絶望的に大きなへだたりを目の前にして、ふと感情を短絡させるなら、日本のシステムはアンフェアだ、というような意見がそこに生まれたりする。

 東京の、そこかしこの見なれた駅名をローマ字書きにするだけで、日本と外国とのあいだにある事物の理解システムの途方もなく大きな相違がはっきりと見えてしまう。これは、感動的、という言いかたに充分に値する。

『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年


1992年 1995年 『ノートブックに誘惑された』 『自分を語るアメリカ』 エッセイ・コレクション ローマ字 日本語 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』 英語 読む
2016年5月20日 05:30
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