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身を守ってくれる日本語

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 昭和二十年代から三十年代いっぱい、そして四十年代の後半に入るあたりまでの期間に製作・公開された日本映画を、僕はヴィデオで少しずつ見ている。趣味のひとつだと言っていい。この期間は僕にとっては、子供から少年へと成長していった期間だ。そのなかを僕は実際に生きてきたのだが、社会の様相や時代の感触など、子供の特権とでも言うべきか、ほとんど記憶にない。ごく淡く、なんとなく知っている、という程度だ。それに日本映画は、ごく最近になるまで、僕は一本も見てはいなかった。

 だからこの時代の映画をいま見ると、あらゆるものがきわめて新鮮で、その新鮮さのなかには多くの発見がある。ときどき画面にあらわれる実写された街の光景など、記憶の底に薄れつつ残る線画が、いきなり現実そのものへと転換されていくような錯覚があり、これはたいそう楽しめる。ほかにも楽しめる部分はたくさんあるのだが、いまもっとも興味を持っているのは、この時代の日本映画のなかで、女性の出演者たちが台詞として喋っている女言葉だ。いまはもうどこにもない日本語、と言っていい種類の言葉を、彼女たちは完全に自分たちのものとして、自在に操っている。

 女言葉を喋る彼女たちの、なんと生き生きとして自由に見えることか。言葉の選択やものの言いかたの、的確でほど良く控え目な様子の美しさ。自分がなんらかの関係を持つさまざまな人とのあいだに、自分がどれだけの距離をどのような質で作り出して維持していかなければならないか、彼女たちは体の芯から正確に知り抜いている。そしてそのように作った距離の内部には、自分からはまず絶対に踏み込むことのない、柔らかで優しい意思の強靭さを彼女たちはこともなげに発揮する。こういったことのすべては、彼女たちがなんの無理もなく縦横に駆使してやまない、女言葉という種類の日本語によって可能になるものだ、と僕は判断している。

 あの時代の映画が当時の現実をそのまま映しているとは誰も思わないけれど、大衆娯楽を支えるいちばん大きな柱であった映画は、大衆の意識がどのあたりにあるかに関して、常に敏感でいたはずだ。だからそれらの映画にヴィデオでいま初めて接していく僕としては、当時の映画に登場する女性たちの喋りかたは現実に限りなく近いものであった、という態度を取ることにきめている。庶民の日常生活からいまは完全に消えている女言葉が、かつての映画のなかには、いまもそのままに記録されている。

 人との距離の取りかたの、あらゆる微妙なニュアンスが、彼女たちの女言葉によって、いともたやすく可能になっている様子に、僕は驚愕すら覚える。人とのあいだに適正な距離を保つための絶妙な手段である女言葉で、彼女たちは自分のまわりに緩衝能力の充分にある安全地帯を確保し、そのなかで溌剌と行動しながら、自分の意思を滑らかにまっとうしていく。ごく普通にそうしているだけなのに、いまの若い女性たちにくらべると、比較にもならないほどに映画のなかの彼女たちは上品であり、人間関係における軋轢の発端など、彼女たちの日常には皆無であると言っていい様子は、驚嘆に値する。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

『彼女が演じた役ー原節子の戦後主演作を見て考える』電子版(Kindle)
(「『青い山脈』(1949年)ー生活の基本的不自由さと、娯楽の他愛なさの関係」)

今日(7月19日)は、1949年(昭和24年)、今井正監督の映画『青い山脈』が封切られた日。これを記念して「戦後民主主義到来の日」と呼ばれています。石坂洋次郎の原作は「日本国憲法」が発布された翌月から朝日新聞で連載開始、男女の自由な恋愛、対等な関係を理想として描き、映画も藤山一郎の主題歌とともに大ヒットしました。『青い山脈』については、片岡義男は『彼女が演じた役ー原節子の戦後主演作を見て考える』電子版(Kindle)にて詳しく論じていますが、冒頭で取り上げられるのが、女学生・寺沢新子役の杉葉子の声に注目した「女言葉」です(上記動画の冒頭(13:17〜)で、この「女言葉」を聞くことができます)。「杉葉子による、いまの日本のどこへいってももはや聞くことの不可能な、若い女性の女言葉は、僕の関心をとらえた」(同書、p.88)。
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2016年7月19日 05:30
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