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このとおりに過ごした一日

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 五月なかばのよく晴れた日。高校三年生の僕は、自宅にあったすべての教科書を入れた鞄を持って、ひとりで駅に向けて歩いていた。教科書をすべて鞄に入れたのは、時間割りがどこかへいってしまい、その日の授業がなにとなにだったか、わからなかったからだ。三年生になったばかりの頃は、一週間の時間割りを僕は記憶していた。しかし、しばらく学校へいかない日が続くと、時間割りなどたちまち忘れてしまう。

 住宅地のなかの坂道を上がりきった僕は、そのまっすぐ前方でおなじような道とTの字に交差するところに向けて、歩いた。駅へいくには、そのT字交差を左へ曲がらなくてはいけない。だからそこへ到達して左へと曲がった僕のうしろから、「あら、ヨシオちゃん」と、女性の声が呼ぶのを、僕は聞いた。

 振り返った僕は、立ちどまった。近所に住んでいて以前からよく知っている、僕より五歳年上のたいへん姿のいい美人が、五月の陽ざしのなかを僕へと歩み寄った。僕と肩をならべて歩きながら、

「鞄なんか持って、どこへいくの?」

 と、彼女は訊いた。 

「学校へいくのです」 

「およしなさいよ、そんなこと。それよりも私と映画を見ましょう。ね、そうしましょうよ」

 提案はそのまま決定であり、命令でもあったのだろう、といまの僕は思う。僕は彼女と駅へ歩いた。映画は下北沢のオデオン座で見るという。 

「映画はなるべく自宅の近くで見ることにしてるの」

 と、彼女は言った。

 なぜなのか、その理由はいまもわからない。謎だ。たいした謎ではないだろう。自宅の近くなら、見たいと思ったそのとき、気楽に出かけていくことが出来る。美しい女性の心の謎は、黒くて小さな蝶のように、僕の視界の片隅にあらわれ、そして飛び去った。

 僕たちは駅で電車を待った。やがて来た各駅停車の上りに乗り、下北沢で降りた。いまで言うならピーコックのあるほうに出て、そこから商店街のなかを歩いた。ピーコックの前をまっすぐにいき、突き当たって右へいき、おもての道に出て左へいく。まっすぐいって突き当たりを右へ曲がると、すぐ前方に小田急の踏切がいまもある。

 彼女と僕がその踏切に近づくと警告音が鳴り始め、踏切の棒が降りていった。僕たちは踏切の前に立ちどまった。その踏切を越えるとすぐ左側、線路の脇に、映画館オデオン座があった 

「あら、鞄はどうしたの?」

 と、彼女が訊いた。僕が鞄を持っていないことに、彼女は気づいたのだ。 

「置いてきました」

「どこへ?」 

「駅のホームです。囲いのあるベンチのところです」 

「忘れたの?」 

「置いてきたのです」 

「なぜ?」 

「重いから」 

「取りにいってらっしゃい」

 と、彼女は言った。 

「私はここで待ってるわ。いますぐ取りにいけば、まだあるわよ」

 教科書の詰まった鞄など、僕は取りにいきたくない。 

「いいですよ」 

「なにがいいの、よくないわ」 

「なくなりません」 

「どうして?」 

「見つけた人は忘れ物だと思って、駅の事務所に届けてくれるでしょう」

 年上の美しい女性は笑った。

「とても虫のいい考えかただと思うわ。でも、そういうことにしておきましょうか。なくなっても、私は知らないのよ、よくって?」

 よくって、と彼女に言われたなら、すべてのことがみんないい。だから僕は、 

「それでいいです」

 と答えた。 

「なくなったらどうするの?」 

「学校へいかなければいいのです」

 踏切を渡りながら、年上の女性は僕と腕を組んだ。右手の五本の指を、僕の左手の指に深くからませ、力をこめて僕の手を握った。あのとき彼女が指にこめた力は、いったいなにを意味していたのか。賢くも美しい姉による、やや愚かな弟に対する、保護愛に似た感情の表現だったか。平日の午前中に、ともに映画を見ようとする者どうしの、かりそめの連帯の感情だったか。

 そのときの彼女の姿を、いまの僕は記憶のなかに再生している。うしろから見るパンプスにナイロンのストッキング。ふくらはぎのなかばあたりまでのスカートは、腰から膝にかけてタイトぎみで、膝下から裾までは、足さばきのためにゆとりが持たせてあった。両脇には少しだスリットが入っていた。

 シャツと言うよりも当時の言葉ではブラウス。その上にジャケット。若い女性のためにデザインされたものであることは、どこからどう見ても明らかであるという作りの、ジャケットだ。髪のまとめかたを説明したり描写したりするのは、もっとも難しい。そのときふたりで見たアメリカ映画の主演女優の髪に、どことなく似ていた。彼女は映画のなかの幻と同時代の人だった、と言っておこう。

 オデオン座が消えて十年を越えただろうか。昔のままに少しずつ古くなり、古くなっていくことをとおり越して少しずつ朽ち始めたかたちと雰囲気で存在しているのを、小田急線の電車のなかから僕はいつも見ていた。

 写真に撮ろう、と僕は思っていた。一九五〇年代からそこにあったその映画館は、ごく平凡な普及品としての建物だった。しかしいまはもう絶えて作られることはないし、作ろうとしてもあのとおりにはとうてい作れないような造形とディテールを持っていたことは、確かだ。特にファサードのディテールは、写真に撮るに値した。

 電車の窓から、その映画館を僕はいつも見ていた。まだある、近いうちに写真に撮ろう、と何度となく思っているうちに、ある日のこと、オデオン座は忽然と消えていた。

 写真に撮ろうと思っているうちに消えた映画館は、おなじ小田急線の向ヶ丘遊園という駅の近くにもあった。これも電車の窓から見えた。独特な風情をまといつけた映画館で、すぐ前には路線バスの転車台があった。それもあわせてぜひ写真に撮ろうと思っているうちに、その映画館も消えた。

 彼女と入ったその日のオデオン座は、驚いたことに、平日の午前中なのに、およそ八十パーセントの入りで客席に客がいた。いい位置の空席にならんですわり、二本立てのうちの一本を、僕たちは途中から見ていった。ミュージカルとコメディの二本立てだった、と僕は記憶している。

 一本を見終わって、二本めが始まった。きれいな模様の風呂敷による小さな包みを、彼女は持っていた。本を二冊包んだだけ、というような雰囲気だった。僕にふと顔を寄せた彼女は、 

「お腹がすいたわ」

 と、囁いた。そしてそろえた太腿の上で、風呂敷包みを開いた。なかには紙できれいにくるんだサンドイッチがあった。映画を見ながら彼女がひとりで食べるつもりだったサンドイッチを、僕も食べた。たいへん良く出来ていた。おいしいと僕が言うと、 

「私が作ったのよ」

 と、彼女は僕の耳もとで言った。

 アメリカのミュージカル映画とコメディ映画を二本とも見終わり、ニュースや予告編も見て、僕たちはオデオン座を出た。午後三時前という時間だった。

 彼女そして僕が昼食時に感じた空腹は、映画を見ながら分け合ったサンドイッチによって六十パーセントまでは抑えられていた。映画を見終わって映画館を出たいま、満たされずに残っていた四十パーセントの空腹は、七十パーセントほどに広がっていた。 

「なにか軽く食べましょう。夕食の邪魔をしないもの」

 彼女が言った。

 なにを食べるといいか、相談しながら僕たちは歩いていった。カレーパンはどうですか、と僕は提案した。カレーパン一個の大きさは、軽く食べるのにふさわしいのではないか、と僕は思った。 

「カレーパンにコーヒー牛乳です」 

「そういう気分なの?」 

「コロッケでもいいですね」 

「カレーパンにしましょう」

 売っている店はマーケットのなかにあった。コーヒー牛乳も、その店で買うことが出来た。カレー・パンは三つ買い、ひとつずつ食べ、残ったひとつを半分ずつ食べる、という方針を彼女が考えた。だからカレー・パンは三つ買った。紙に包んだカレー・パンを僕が持った。コーヒー牛乳二本を彼女が持った。店の人がストローを二本くれた。それを彼女はジャケットの胸ポケットに差した。

 どこで食べるかは、すでに彼女が考えていた。駅の近くのビリヤードへ、僕たちはいった。店は営業していた。彼女はそこの常連で、ポケット・ビリヤードに関してはプロなみの腕前だった。窓辺のベンチにならんですわり、僕たちはカレーパンを食べ、コーヒー牛乳をストローから飲んだ。

 そのあとは、当然のように玉突きとなった。シカゴとも呼ばれていたロテーションは、もっとも単純なゲームだ。ふたりでおこなうものとしては、エイト・ボールやフィフティーン・ポインツが面白かった。僕と彼女はフィフティーン・ポインツを何度も繰り返した。

 玉に書いてある数字の合計が15となるように、ふたつの玉を連続してポケットに落とす。たとえば僕がまず6の玉を落としたとすると、次には9の玉を落とさなくてはいけない。6と9とで合計は15となり、ひと組上がりでワン・ポイントとなる。15の玉は最後に落とす。そしてそれは一個でワン・ポイントだ。ポイントの合計数の多いほうが勝ちとなる。

 テーブルの周囲を歩くときの彼女の、滑らかな体の動きは注目に値した。美しいフォーム。まったく正しいキューさばき。グリーンのフェルトの上にどのようなラインを彼女が読むのか、僕には見当すらつかないほどに、彼女はビリヤードのエキスパートだった。その僕が相手ではつまらないはずなのだが、彼女は熱心に教えながら相手をしてくれた。

 ふたりで見てきたばかりの、総天然色テクニカラーのアメリカ映画に主演していた女優たちよりも、いま目の前で玉を突いているこの女性のほうが、はるかに美しいではないか、と僕は彼女を見ながら思った。映画という幻に対する、彼女という現実によるカウンター・バランスは、明らかに彼女の勝ちとして作用するのを目のあたりにするのは、僕という少年の精神衛生にとって、たいそう好ましいことだった。

 映画のあとの時間は、そのようにして経過してどこかへ去った。僕たちはビリヤードを出た。夕食の材料を買って自宅へ帰らなくてはいけない、と彼女は言った。 

「今夜は叔父さん夫妻がお客さまで、夕食はすき焼きなのよ。家にない材料を買っていけばいいだけだから、私は楽なの」

 と言う彼女に、僕はつきあうことになった。すき焼きの材料を買うごとに、彼女はそれを風呂敷に包んでいった。その風呂敷包みを僕が持った。包むものが増えるにしたがって、包みかたは微妙にそして的確に、変化した。風呂敷を巧みに使えることは、まともな女性の条件として大切なことのひとつだった。

 買い物はやがて終わった。僕たちは駅の周辺で買い物をしていた。だから駅へいき、そこから下りの各駅停車の電車に乗った。次の駅で降り、午前中に歩いたのとおなじ住宅地のなかの道を、僕は彼女と歩いた。じつに気持ちよく暮れなずんでいる五月の夕方の空気の感触によって、このときの僕と彼女はつながれていた。 

「あら、ヨシオちゃん」

 と、午前中のあの時間、彼女に呼びとめられた場所で、僕は彼女に風呂敷包みを渡した。そしてそこで彼女と別れた。自宅に向けて坂道を下っていく途中で、僕は鞄のことを思い出した。駅へいって訊いてみようか、と僕は思った。その思いを否定して、僕は自宅へ帰った。

 教科書の詰まった鞄が自宅に届いていた。住所を見たら近くだったので、若い駅員さんがわざわざ届けてくれた、ということだった。

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年


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2016年5月12日 05:30
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