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それも姉が教えてくれた

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 姉について僕が最初に聞かされたのは、父親からだ。僕はそのとき九歳だった。「カリフォルニアから姉が来て、しばらく日本に滞在する」と、父親は言った。単に姉とだけ言ったところに、彼らしさが本当に彼らしくあらわれていることに、僕はとっくに気づいている。自分の姉だと僕には思わせておき、いよいよというときになって、きみの姉だよ、とこともなげに言って僕を驚かせようとしたのだ。驚かすことによって、姉の存在を一瞬のうちに、僕に認めさせることに彼は成功した。

 彼には兄弟や姉妹が多かった。ハワイで生まれて少年時代までそこで過ごしたあと、彼はカリフォルニアへ渡った。そのまえに、両親たちは、自分はハワイに残ると言った彼と弟を残したまま、ほかの何人かの子供を連れて、日本へ帰った。そのあとで生まれた子供たち、つまり僕の父親にとってのかなり年のちがう弟や妹たちには、ずいぶんあとになってから、おたがいに遠い親戚のような気持ちで初めて会う、というようなこともあった。そのような現場のひとつに、僕は一度だけ立ち会った記憶がある。カリフォルニアから来る姉とは、そのような兄弟姉妹のひとりなのだろうと、僕は思った。

 ふた月ほどあとになってから、「明日、軍用機で、姉が到着するよ。ちゃんとした英語を話すから、コミュニケートするにあたって問題はない。仲良くしなさい。彼女は十三歳だ」と、父親は言った。「別のお母さんが生んだのだよ」と、それがごく普通のことであるかのように、彼は言っていた。

 次の日の正午、昼食のため学校のなかをカフェテリアにむけて歩いていた僕は、その存在を知らされたばかりの姉に、初めて会った。廊下のむこうから、見なれない女の子がひとりで歩いて来た。見なれない女の子だ、と僕は思っただけだったのだが、彼女は僕が自分の弟だとすぐにわかった と言っていた。胸がふくらみはじめたばかりの、信じられないほどにすっきりとした細身の、美少女だった。

 高くまっすぐにとおった薄い鼻筋を中心に、そばかすがたくさん散っていた。茶色に変色した髪もそばかすも、カリフォルニアの陽ざしがしたことだと、彼女は言った。そばかすはいまでは消えている。口づけをするときに目を開いていると、そばかすの名残がごく淡く、見えなくもない。

 カリフォルニアで生まれてそこに育った異母姉は、日本のことを学ぶために日本へ来たのだった。学校へはいかず、何人かの先生について、日本語、華道、お茶、書、踊り、合気道など、広い範囲で彼女は学んだ。頭が良く、鋭すぎるほどの感受性は底なしに近く豊かで、集中力が僕などとは桁ちがいだった彼女は、学んだことすべてを、なんの苦もなく、たいそう涼しげに、いつのまにか、完璧に身につけてしまった。踊りのお師匠さんは、自分の跡を継ぐ一番弟子に、彼女を熱望した。

 美貌の万能姉と僕との、現在にいたっても続いている仲良し関係、と言うよりも、なにごとにつけても彼女がリードして僕が従うという一種の主従関係のなかで、僕は成長途中での影響をはかり知れないほどに受けた。その影響の中心となったものは、すべてのことが完璧に出来るのが姉なら、僕はごくおおまかでいいのだという、妙な安心感だ。その安心感は僕の後天的な性格を作り、僕の運命はその性格どおりとなった。

 彼女から受けた影響とこの写真集との関係について触れるなら、おおよそ次のようなことになるだろう。目のまえや身のまわりにある光景や状況のぜんたいを、六感のすべてをとおして感じ取る能力は自分のものだが、日常の光景のなかに無数にあるディテールのなかから、なにかを選び取ってそれをじっと見るということに関しては、姉ゆずりだ。

 日本に対して来訪者であった彼女は、それまでつちかってきた感受性の若く鋭い発動のなかで、なんらかの理由によって気持ちを強く動かされた 対象を、僕にもおなじように見ることを、機会あるごとに強く勧め、なかば強制した。

 夏の空に立ち上がる入道雲や梅雨の雨の降りかたなど、歳時記ふうに言うなら気象や天文などを基本的な土台に、人文つまり人のしわざの数々へとのびていく彼女の感受性は、日常のいたるところにある、多くの場合なんとなくわびしく明らかにもの悲しいディテールを発見しては、それに来訪者的に驚嘆し、僕にもおなじものをおなじ気持ちで見せようとした。

 僕がさほど興味を示さないでいると、彼女は僕のうしろにまわって僕の顔を両手で左右からはさみ、力をこめてぐいとばかりに、自分が見せたいものへ僕の顔をむけるのだった。そして僕の肩ごしにうしろから右腕をまっすぐに伸ばし、見せたいものを人さし指で示した。

 何年にもわたって、日本のいたるところで、何度もこれをくりかえされているうちに、日常のなかからなんらかのディテールを見つけ出す彼女の視線は、僕に移植されて僕のものになった。姉の視線にくらべると僕の視線は運命的に薄味だと僕は思うが、この写真集のなかの写真はすべてそのような視線が撮らせた。ファインダーのなかの精密に縮小された世界へ僕の視線が入りこむとき、九歳、十歳、十一歳といった年齢の頃の僕が、現在の自分のなかにほぼそのままあることに気づき、僕は何度となく驚いた。幼い頃もいまも、僕はおなじようにものを見ているのだ。そしてその見かたは、姉に調教されて生まれたものだ。

 あなたが生きていく世界や時代はこれですよと、姉は僕に教えてくれていた。このような世界のなかであなたの性格は作られ、その性格のとおりに生きることになるのよと、いま思えば異星人と言っていいほどにおませだった姉は、その影響下にある僕に、教えていた。

(『日本訪問記ー写真で作る小説』1992年所収)


1992年 『日本訪問記』 カリフォルニア ハワイ 写真 少年時代
2016年2月19日 05:30
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