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マヨネーズ、という一語で終わる本

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 リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』は、デル・ブックスというペーパーバック叢書のローレル・エディションで刊行される以前に、いろんなかたちでいくつかのところに発表された。だからローレル・エディションの初版を持っていても、そのことじたいにはさほどの意味はない。しかしいまも僕のところにあるこのペーパーバックは、一九七二年二月の初版だ。

 おなじ年の五月に、ホノルルの街角の雑貨店のような店で、僕はこれを買った。店の奥にペーパーバックの棚があったのだ。レシートがはさまったままになっている。一九七二年五月八日。街角の雑貨店にペーパーバックの棚があり、そこにはブローティガンがあった時代だ。

 買ったその日に読んで呆然となり、次の日にもう一冊買った。だからそれから長いあいだ、この薄いペーパーバックは二冊、僕のところにあった。いまは一冊しかない。おそらく誰かに一冊を進呈したのだ。そしてそれが誰だったのか、記憶はいっさいない。

 いまも手もとにあるローレル・エディション初版ペーパーバックの百十一ページにあるのは、「マヨネーズの章のプレリュード」と題された二十一行の文章だ。この二十一行のうち最後の二行は、一行の空白をあけてなかば独立していて、内容は次のようだ。「人間の欲求の表現として、マヨネーズという一語で終わる本を書きたいと、いつも思っている」

 そしてこのページを開いた次の百十二ページは、この本にとっての最後のページだ。「マヨネーズの章」という題名に続いているのは、短い手紙の体裁をとっている十六行の文章だ。この手紙の最後に追伸があり、その追伸は次のように書かれている。「マヨネーズをあげるのを忘れたのは失敗」。仮に日本語に訳しても、マヨネーズという一語は文章の冒頭にきてしまう。英語だと文章の最後にマヨネーズの一語がなんの無理もなく位置する。

 マヨネーズ、という一語で終わる小説を、僕も書きたいと思っている。いちばん最後にマヨネーズという言葉を置くにはどうすればいいか、ひとまずの案は出来ている。夫婦でも恋人でもなんでもいいけれど、とにかくひと組の男女が、電話で話をしている場面にすればいい。男性が部屋にいて女性は外に出ている。その彼女が電話をかけてきた。買い物をしてから部屋へ帰ると言うのだが、その買い物について、きわめて日常的などうでもいいようなことを、彼女は彼に確認する。話が終わって電話を切ろうとするとき、

「ああ、そうだ、それから」

 と、彼が言う。

「なにかしら」

 と、彼女が訊く。

「忘れるところだった」

「なにを?」

「忘れないでくれよ。マヨネーズ」

 こんなふうにすれば、マヨネーズの一語でその小説は終わるではないか。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


1972年 2005年 NHK出版 『白いプラスティックのフォーク』 アメリカ アメリカの鱒釣り デル・ブックス ペーパーバック ホノルル マヨネーズ マヨネーズの章 マヨネーズの章のプレリュード リチャード・ブローティガン ローレル・エディション 女性 小説 彼女 白いプラスティックのフォーク 雑貨店
2020年5月29日 07:00
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