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僕はこうして日本語を覚えた

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 日本で育っている子供は、その子供をいつも取り巻いている日常のなかで、日本語を覚えていく。身辺にいる大人たちが喋るのを聞いては、覚えていく。育っていく環境という、成り行きの見本のような日常のなかに、どの子供もいる。その成り行きのなかで、言葉を覚えていく。

 教材はいたるところにある。身辺の人たちが喋る言葉だけが教材ではない。たとえば子供は、漫画を読む。その子供は小学生になったばかりの年齢だとしようか。そしてその子供は、僕だと思っていい。読んでいく漫画のこまのなかで、土木工事をしているらしい大人の男がひとり、土管にすわってうれしそうに弁当を食べている。弁当という言葉は、すでにその子供は知っていた。土木工事をする大人の男の昼食だ。

 男は左手に箱のようなものを持っている。ただ持っているだけではなく、自分の顔に向けて、かかげるかのように、持っている。この持ちかたも子供は覚える。覚えたならごく近いうち、自分でもやってみる。弁当箱の日本人としての正しい持ちかたを、子供は学習していく。

 そのやや長方形の箱には、炊いた白いご飯が、入れてあると言うよりは、ぎゅうぎゅうと詰めてあるように、子供には見える。四角い長方形の箱に、白いご飯が詰めてある。そしてその白いまんなかに、黒い丸がひとつ、描いてある。僕が子供だった頃の漫画は、特別な場合をのぞいて、すべて白黒だった。ご飯は白く、そのまんなかにある丸いものは、ただ黒かった。

 この箱はなにか、と子供は思った。詰めてある白いご飯のまんなかにある、ほどよい大きさの黒い丸は、いったいなにか、とも子供は思った。漫画を読んでいたら、謎がふたつ、生じた。謎は解かなければならない。謎を解くための、もっとも手近な方法は、すぐ近くにいる大人に訊くことだ。だからその子供は、訊いた。おじさんが持っているこの四角い箱はなにですか。そしてご飯のまんなかにある、この黒い丸は、なになのですか。

 訊かれた大人は、破顔一笑だ。破顔一笑という言葉をいま初めて僕は使う。ずっと以前から、おそらく少年の頃から知っている言葉だが、自分で使う機会は、いまのいままで、なかった。その箱は弁当箱だよ、と笑いながら大人は教えてくれた。弁当箱、という言葉をこのとき僕は初めて聞いた。弁当という言葉と、箱という言葉が結びついてひとつになり、弁当箱という言葉が、新たに生まれる。魔法ではないか。

 そしてその黒い丸は、とさらに笑いながら、大人は言う。一個の梅干しだよ。梅干し。知ってるだろう、と大人は言う。梅干しはこのときすでに、僕の好物になっていた。この黒い丸は梅干しなのか、と子供は驚く。弁当箱という箱に白いご飯を詰め、そのまんなかに梅干しをひとつ、おそらく押し込むように入れた。それが、土木工事の大人がうれしそうに食べる、昼食なのか。

 日の丸弁当、とも言うんだよ、と大人は教えてくれる。弁当箱に白いご飯を詰め、そのまんなかに梅干しをひとつ入れたものが、日の丸弁当とは、どういうことなのか。日の丸、という言葉はすでに知っていた。似てるだろう、と大人は笑いながら言う。四角い白地に赤い丸ひとつ。それが日の丸だ。日本国旗だ。四角い箱に詰めた白いご飯。そのまんなかに、丸い梅干しひとつ。梅干しの色は赤だと言っていい。似てるじゃないか、と重ねて大人は言う。似てる、と言ってもいい。梅干しひとつをまんなかに入れた弁当を、日の丸弁当と呼ぶ。またもや魔法だ。日本語の魔法だ。梅干し弁当と言うけれど、日の丸弁当とも言うんだよ、と大人は教えてくれた。

 雑貨屋で弁当箱というものを初めて見たのは、それから半年くらいあとのことだった。深いものと、ほどよい深さのものと、ふたとおりあった。材料に関しては、アルマイト、という言葉を、そのとき覚えた。いまも忘れてはいないけれど、自分がこうして書いていく文章のなかに使うのは、これが初めてだ。ご飯のまんなかに入れた梅干しの酸によってアルマイトはすぐに腐食されて粉を吹いたようになり、そうなると穴があく日は近い、ということもそのとき知った。梅干しによって穴のあいたアルマイトの弁当箱の蓋、というものを、後日、見た記憶がある。知らなかった言葉とその実体とを、日常のなかで育っていく子供は、一例としてこんなふうに覚えていく。

 日の丸弁当を作るとき、一個の梅干しを、人はかならずご飯のまんなかに入れた。ある時代までは、確かにそうだった。しかしいまでは、梅干しがまんなかにあるとは、限らない。日の丸弁当、という意識がなければ、梅干しはまんなか以外のどこに置いてもいい。日の丸弁当という言葉が、こうして消えていく。

『お山の杉の子』という歌は、小学校低学年の頃のある日、音楽の授業で斉唱して覚えた。日本語の学習とからめて、きわめて印象深い歌だったので、いまでも僕はこの歌を覚えている。日本語を勉強するための材料が、この歌にはたくさんある。

 歌い出しの語句は、「むかし、むかし、そのむかし」という。ロング・ロング・タイム・アゴー、という英語での言いかたと、見事に対応しているではないか。ロング・ロング・タイム・アゴーという言いかたをすでに僕は知っていた。そのことは、僕が自覚していなかったわずかな特殊性かもしれない、といまの僕は思う。

「むかし、むかし」と二度、昔が繰り返されている。ロング・ロング・タイム・アゴーでも、ロングが二度、繰り返されている。それだけでも、子供の僕をからめ取るには、充分だった。ロングは、日本語にするなら、長い、だ。経過した時間というものを一本の線のようにとらえるなら、その線は、長く、長く、したがって、昔、という意味になる。しかも、長いのはタイムだから、時間が長く長く経過した、ということを英語ではそのとおりに言わねばならず、日本語のように、昔、というひと文字ですませることはできないのだ、というかたちで学ぶ日本語、というものが子供の頃の僕にはあった。昔とは、ロング・タイム・アゴーのことだ、という理解を側面のどこかで支えたのは、たとえば、ハワイの日系の人たちが言う、ロング・タイムよのう、というような言いかただ。久しぶりだね、という意味だ。

『お山の杉の子』には、歌詞のごく最初の部分だけでも、まるまる、これこれ、にこにこ、とおなじ言葉を繰り返すことによって成立している言葉が、三つもある。おなじ言葉ないしは音を二度繰り返す日本語の言葉に子供の僕が興味を持ったきっかけとなったのが、『お山の杉の子』という歌だった。

 あまりにも面白いので、専用のノートを作り、あいうえお順に、おなじ音を二度繰り返す言葉を、自分で書き込んでは興奮していたのを、いまも思い出す。視覚的に愉快なので片仮名で書くとして、コレコレのほかに、頭にコの字がつくものを、思いつくままに、書き出してみた。どの文字にも濁点のつかないものだけでも、こんなにたくさんある。

 コラコラ。コミコミ。コネコネ。コトコト。コテコテ。コツコツ。コセコセ。ココココ。コクンコクン。コキコキ。コウコウ。コンコン。コソコソ。コロコロ。ついでだから、濁点のつくものも、拾い上げてみた。コリゴリ。ゴロゴロ。ゴソゴソ。コマゴマ。コナゴナ。コマゴマ。ゴモゴモ。ゴミゴミ。コワゴワ。ゴワゴワ。ゴテゴテ。

 おなじ音を二度繰り返す言葉こそ日本語ではないか、とすら思った子供の日々について、いまふたたび考えてみる。論理的な連続性がまったくないではないか、というようなことを、子供なりに思ったことを、かすかに思いだす。コロコロとゴロゴロとのあいだに、論理的なつながりは、なにもない。コロコロはコロコロとして、そしてゴロゴロはまた別の状況のなかで、ゴロゴロとして覚えるほかない。現実のなかに次々にあらわれる状況ごとに、そのことを言いあらわす言葉がある、というようなことを、ほのかに思ったような記憶もあるが、大人になってからずっとあと、日本語の言葉の山のなかから引き出した、理屈かもしれない。日本語の学習が現場主義であることは正しいと思う。現実のひとつひとつに対して、もっともふさわしい言葉とその言いかたというものがあり、成長の過程はそれを身につける日々なのだ。

 書き順、という言葉を初めて知ったのも小学校の授業でだった。漢字には、そして片仮名や平仮名にも、おそらく書いていくときの順番があるはずだ、とは認識していたが、その順番に関しては、まったく無知だった。文字を書いたことがないのだから。

 ある日の午前中、なぜだか僕は教室のなかにいた。国語の時間だった。僕はごくたまにしか、学校へいかなかった。その日は、だからたまたま、教室のなかにいた。父兄が授業を参観する日だった。教室のうしろに母親たちが三十人はいただろうか。僕の母親は来ていなかった。

「今日は漢字の書き順の授業じゃ。まずひと文字、誰かに書いてもらおう。カタオカ、黒板へ出ていって、田ちゅう字を書いてみい。田ちゅう字は知っとろうがや」

 と、先生は僕を指定した。田という字は僕も知っていた。田上、田所、田村など、クラスのなかには田の字のつく名前の人が何人もいた。村田もいた。田という字は見ればわかったし、音声にするなら「タ」だ、とも知っていた。「デン」はまだ知らなかったはずだ。

 僕に田の字は書けっこないのだが、黒板へと出ていった僕は、縦、縦、縦、横、横、横と、六本の直線で田という字のかたちを作った。みんな笑った。お母さんたちも笑った。先生は苦笑しながらも得意そうだった。「田ちゅう字のかたちにはなっとるが」と言ったあと、田という漢字の書き順を、順番に黒板に大きく書いていった。

 画、という言葉を知ったのは、このときだったのではないか。田は五画だという。線は六本なのに、画は五画だ。これはちょっとした謎だった。二画目の横棒とそれに続く縦棒とが、ひとつにつながって、それが二画目なのだと知ったときには、かなりの衝撃があった。田という文字の正しい書き順を知ることは、日本語の漢字の世界の入口に立つことだった。

 後日、このまだ若い男の先生は、国語の授業を野外でおこなう、という試みを実行に移した。クラスの全員を引き連れて学校を出ていき、田舎道を歩き、山の斜面を登っていった。斜面を少しだけ上がったところにある棚田のような田を見渡し、彼はご機嫌だった。「ほら、見てみい。あそこじゃ。田んぼの端っこの、あそこじゃ。あそこだけ切り取ると、漢字の田ちゅう字とおなじじゃろうがや。よう見てみい」

 なるほど、そこはまさに、田という漢字そのものだった。若い先生は象形文字というものの一端を、現物で見せてくれた。このことはのちほど大いに役立った。口、目、耳、すべて象形ではないか。鼻が少しだけ問題だったが、漢字に理屈は通用しない、ただ従うだけだ、というような真理を、鼻という字で学んだと僕は思う。

 子供だった僕にやることはたくさんあったが、そのなかの重要なひとつは、日本語を覚えていくことだった。苦労してるなあ、といまの僕は思う。成り行きのなかで、ほとんど偶然のように日本語に接しては、それを学んでいく。日常という成り行きにすべてをまかせ、具体的な状況とそれを言いあらわす言葉とを、いっしょくたに受けとめていくのが、日本語の習得方法としては正解なのだろうか、とも思う。

 僕の母親は終生変わることのない、見事な関西弁の人だった。父親は、自分には日本語はわからない、と言い張ったアメリカ英語の人だった。僕は空爆を逃れて疎開するまでの、生まれてから五歳までの期間に、東京の言葉をおそらく完璧に身につけたと思う。その東京の坊やは、疎開先の山口県と広島県の、方言による日本語というものを、現地に到着した次の日から喋り始め、その地を去った明くる日には、どちらの方言もいっさい使わない、という東京の日々を送ることになった。この四種類の言葉の、どれとも深刻には抵触しない言葉を、子供の僕は、子供なりに直感的に、選び取ったのではなかったか。立証のしようがないから、推測だけをこうして書いておく。

『中央公論』2019年12月号


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2020年7月3日 07:00
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